帝都復興の時代 震災以後

アフター関東大震災

帝都復興の時代 - 関東大震災以後 (中公選書)

帝都復興の時代 - 関東大震災以後 (中公選書)

  • 作者:筒井 清忠
  • 発売日: 2011/11/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

復興局

[関東大震災翌年8月の]連載企画記事「謎のお役所――復興局」はもう復興局に対する明確な批判記事となっている。「内務、鉄道、大蔵、三系統の寄合い世帯 事務はそっちのけ自派の勢力扶植いがみ合うのがその日の仕事」
(略)
「うらやましい復興局のお役人 復興局始まって以来、最うニケ年を越えるのに、少しも事業は進歩しない。一体にお役人さんたちは何をしているのか」。幹部は私用の旅に忙しく下僚は朝から晩まで「退屈時間をもどかしがる有様」。朝10時頃に集まって雑談に時を過ごし「お昼食」、午後もさぼりながら4時の時計を待つ。「何んという恵まれた人たちだろう」

平等性

今回の震災を機縁にして(略)人間の心の中に微妙な自他の平等という種子が蒔かれて来はしないか[田山花袋](略)
「昨日まで人力車ばかリ乗り廻して地面の上を歩るいた事のない金持が悄然として尻を端し折って行くうしろ姿も気になった。
『貧乏人も大尽もなくなって仕舞たんでさ。大昔にかえったんですよ。これからは実力でさ。私ら見たような腕一本脛一本の人間は、今度で漸くのびのびしたんですよ。』一面識のある大工さんはこう云ったのだよ(川崎長太郎「滅びた小田原より」『太陽』1923年10月号)
「『馬鹿にしてやがる。……『これっばかりの丁稚がさ。木刀を振りかぶりやがって、この俺に住所氏名を云えなんてぬかしやがる(略)
後者は自警団によって生じた平常時の社会的位階の転倒についての叙述だが(略)
社会主義者が幾年もかかって未だに成し遂げなかった平等を、自然はわけもなく遣ってしまった」「たとえ二三日だったといっても、共産主義の実行されたことは嬉しいことだ。人のもの、自分のものという差別はなかった」(嶋中雄作『婦人公論』1923年第11号、清水幾太郎『流言蜚語』

地震後「天譴論」が警世家的言論界を覆ったが、庶民は「お説教」として反発し「享楽」化に傾いた

世の中が浮華軽佻に赴いた時分に、或変災を来たすと云うことは、蓋し免れぬように思うのであります。(略)この位な激しいお灸がすわらなければ、本当に人の心を心底から改革することは、難しいのではないか[渋沢栄一](略)
日清日露両役以来トントン拍子に国誉を揚げ(略)日本国自身が成金国であって日本国民全部が大なり小なり各々成金であった。」「半睡半醒に惰眠を貪っている真最中俄然として択りに択って一国の中枢地帯を震撼したのが此の大地震であった。多くの人は天鑓であると云った。」「天鑓には差別もない、情実もない」「一列平等に破壊して根本的の新規蒔直しを強圧する。成金のダラケた気分は此際一掃されて、上下共にシンソコから裸一貫となってやリ直しをしなければならない。」[内田魯庵]

「東京人の堕落時代」夢野久作

図書カード:東京人の堕落時代青空文庫

東京の上流人士は震災後の血迷った、混乱した人心につけ込んだ。あらゆる手段であらゆる異性を堕落さした。彼等が金や権力を持っている事その事が既に誘惑そのものであった。(略)
彼等権力者、もしくは金力者は、混沌たるバラック都市の裡面に遺憾なく魔力を揮っている。それ程左様に新東京ではイージーに女が得られるのである。(略) その結果、上流人士の女道楽が次第に進んで来て、変態性欲にまで高潮して来た。(略)
理窟詰めの禁欲論、味もセセラもない利害得失論で少年少女の不良性を押さえつける事が不可能な事を知った学校と社会とは、慌てて方針を立て直した。正反対の自由尊重主義に向った。(略)
「自分の権利はどこまでも主張する。同時に何等の義務も責任も感じないのが自由な魂である」
 というような考えが全人類の思想の底を流れた。(略)
「まだ子供ですから」
 という理由で叱らない方針の学校が出来た。大抵の不良行為は、「自尊心を傷つける」という理由で咎めない中学校が出来始めた。
 親が子供を学校にやる時代から、子供が学校に行ってやる世の中になりかけて来た。

谷崎潤一郎は震災時、

妻子の安否を気遣いつつも、歓喜

「自分は東京生まれだけれども、今の東京には何の未練もない。いっそ大火事でもあって、あの五味溜めを引っくり覆えしたような町々が烏有に帰してしまったらいい。」「私は明け暮れにそんなことばかり考えていた。」だから地震の報を聞くと、「泥濘と、悪道路と、不秩序と、険悪な人情の外何物もない東京」は「焼けろ焼けろ、みんな焼けちまえ」と思ったのだった。「その焼け野原に鬱然たる近代都市が勃興するであろうことには、何の疑いも抱かなかった。」こうして、思い浮かんできた喜びに溢れた「妄想」は次のようなものであった。
(略)
井然たる街路と、ピカピカした新装の舗道と、自動車の洪水と、幾何学的な美観を以て層々累々とそそリ立つブロックと、その間を縫う高架線、地下鉄、路面の電車と、一大不夜城の夜の賑わいと、巴里や紐育にあるような娯楽機関と。そして、その時こそは東京の市民は純欧米風の生活をするようになり、男も女も、若い人たちは皆洋服を着るのである。それは必然の勢いであって、欲すると否とに拘わらずそうなる。為政者達が我が国の淳風美俗を口にして西洋流の奢侈逸楽を禁じようとしても(略)
羅綾と繻子と脚線美と人工光線の氾濫であるボードヴィルの舞台、銀座や浅草や丸の内や日比谷公園の灯影に出没するストリートウォーカーの媚笑、土耳古風呂、マッサーヂ、美容室等の秘密な悦楽、猟奇的な犯罪。