ジャンキーと女たち、キース自伝・その4

前回からのつづき。

ライフ

ライフ

 

俺が生き延びられたのは、

やってたドラッグが上物だったおかげだけじゃない。きっちり量を守っていたからだ。もうちょっと気持ちよくなろうとして量を足したりしなかった。たいていのやつはそこでしくじるんだ。(略)
上質のコカインがひとラインありゃ、ひと晩じゅう効いてるはずだ。ところが、十分もすると、みんなもう一回、また一回とやっちまう。その点、俺は珍しい部類なのかもしれない。そこが俺の強みなのかもしれないな。
俺はきびしい現場監督だった。特にあの当時は偏執症患者みたいに徹底して手を抜かなかった。(略)俺が不機嫌そうにしていたほうがうまくいくってことがわかった。(略)あいつ、おかしいぞ。ちょっとイっちまってる。手に負えそうにない。その日の終わりには、俺がドラッグや歌に探し求めていたものが作られてる。必要と思ったときだけそうやって芝居を打った。俺が言ったことをみんなが考えてるあいだ、便所で注射打つ時間がたっぷりできたしな。

麻薬断ち

人生でいちばん長い三日間だった。こんなことがなけりゃ大金持ちのロックスターの人生を送れてるのに、なんで自分にこんなことをしてるんだって不思議になる。ゲロ吐いて発狂寸前に陥る。身の毛がよだち、はらわたを激しくかきまわされ、手足が引きつって動きまわるのを止められず、ゲロ吐くと同時に脱糞し、目と鼻からクソが出てくる。現実に初めてそうなったとき、分別のある人間は「俺は麻薬中毒だ」って猛省する。なのに、その分別があるはずの人間が、また麻薬に戻っていくのを止められないんだ。(略)
クリニックにいるあいだ、アニタは娘のアンジェラを出産する準備に入っていた。いつものトラウマから抜け出すと、俺はギターをかかえ、ある日の午後、ベッドにすわって「悲しみのアンジー」を書いた。

ジャマイカ

ジャマイカのラジオにはアメリカの局がふたつ入るのを知った。あんな離れているのに、きれいに電波が届くんだ。ひとつはナッシュヴィルので、カントリーミュージックの局らしい。もうひとつはニューオーリンズ(略)一九七二年に[「山羊の頭のスープ」の録音で]ジャマイカを再訪したとき、ここの住民はこのふたつの局を聴いて、いろんな音楽を積み重ねていったんだって気がついた。当時ブリーチャーズが出していたレゲエ版の「センド・ミー・ザ・ピロー・ザット・ユー・ドリーム・オン」を聴いてみな。リズム・セクションはニューオーリンズで、声と歌はナッシュヴィル。要するにロカビリーだ。黒人音楽と白人音楽が驚きの形で混ざりあっている。

女たち

当時でさえ、俺は、心から好きじゃない女とはいっしょにいられなかった。ひと晩とかふた晩のことでもだ。(略)女とベッドインしたがなんにもしなかったなんてことは、よくあった。寄り添って眠るだけだ。(略)ヒューストンのある女のことを思い出す。常用者仲間だ。たしか七二年のツアーのときだ。俺は薬が切れて、頭がおかしくなって、禁断症状の鳥肌が立っている。酒場でそいつにばったり出くわした。少し麻薬をくれた。一週間、俺はあいつを愛し、あいつは俺を愛し、つらい時間をくぐり技ける俺を見守ってくれた。俺は自分のルールを破って麻薬に溺れていた。(略)
オーストラリアのメルボルンでもあった。女には赤ん坊がいた。優しくて、シャイで、でしゃばらない女だが、苦しい状況に置かれていた。男が子どもを置いて出ていったんだ。その女が純正コカインを見つけてきてくれた。いつもホテルまで届けてくれるから、言ったんだ。おい、俺がそっちに移ろうか?メルボルンの郊外で母子と暮らすのは、ちょっと不思議な感じだった。四、五日もすると、俺はオーストラリア人の真っ当な亭主みたいだった。(略)いい気分だったぜ、ちきしょう。俺にもこんなことができるんだってな。もう一人の俺が自分を見ている感じだ。赤ん坊の世話をする。女は仕事に行く。あの週の俺は専業主夫だった。(略)
数をこなそうとしてたわけじゃない。何人とやったか書き留めているビル・ワイマンミック・ジャガーとはちがってな。(略)俺はセックスするためだけに女とベッドに入ったためしがない。興味の的はそれじゃないんだ。抱きしめて、キスをして、気持ちよくさせて、守りたいんだ。(略)ただ女のアソコにツッコむだけなら、マスかいてたほうがましだ。生まれてこのかた、女とやるために金を払ったことはいちどもない。支払われたことはあるけどな。(略)
ルーピーは家族の延長みたいなもんだ。俺が気に入ってたのは、そこに嫉妬心や所有欲がなかったからだ。あの当時は、一種の巡回ルートがあった。(略)あいつらは次の土地にいる友だちに連絡してくれる。そこへ行って、助けを求める。ベイビー、もう死にそうなんだ!

ビリー・プレストン

もっとずっと上ヘ行けたはずなんだ。ありったけの才能が備わっていた。この業界が長すぎたんだな。そのうえ、大っぴらにゲイと言えない時代からゲイだった。それもあいつの人生をいっそう難しくした。ふだんのビリーはひたすら陽気で面白かった。ただ、たまに機嫌が悪くなった。いちど、エレベーターのなかでボーイフレンドをぼこぼこに殴っていて、俺が割って入るはめになった。「ビリー、そのくらいにしねえと、そのばかみたいなアフロのかつらを引きむしるぜ」。

血液交換伝説

「すぐ死にそうな有名人リスト」に十年間ずっとトップとして君臨した!(略)トップから落ちたときは、ほんとにがっかりしたよ。しまいには九位まで落ちた。なんてこった、もう死にたくなったぜ。(略)
[血液交換伝説は]薬物浄化しにスイスに行くことになって、飛行機を乗り換えるためにヒースロー空港に降り立ったことで生まれた。マスコミが追っかけてきて、「ちょっと、キース!」と呼びかけてくる。それで「おい、静かにしろ。俺はこれから血を入れ替えにいくんだからな」って言ってやったんだ。(略)
俺のために書かれた台本の役をどこまで演じられたかは、よくわからない。髑髏の指輪とか、折れた歯とか、隈取り用のコールとかのことだ。まあ、半々ってとこか?(略)世間はいまだに俺のことを、どうしようもないジャンキーだと思ってる。ドープをやめてから、もう三十年になるってのに!(略)みんなそういうイメージが大好きなんだ。(略)俺はその期待にこたえられるよう、ベストを尽くすぜ。

ロン・ウッド

あいつの前に何人かほかの演奏者を試してみた――ウェイン・パーキンス、ハーヴィー・マンデルと。どっちも一流のギタリストだし、二人とも『ブラック・アンド・ブルー』に参加している。ロニーは最後の一人として登場し、正直言って見込みは五分五分だった。俺たちはパーキンスをすごく気に入っていた。腕のいい演奏者だし、スタイルも似ている。ミック・テイラーのやってたことから大きくそれやしないだろう。美しい旋律に、巧みな演奏だ。(略)
とどのつまりは、ロニーがイギリス人だったからだ。まあ、今ならそんな考えかたはしないかもしれないが、ストーンズはイギリスのバンドだ。当時の俺たちはみんな、バンドの国民性を維持すべきだって感じてた。

7歳のマーロンと76年欧ツアーに

俺のいかした車でギグに乗りこむ。マーロンがナビゲーターだ。(略)スイスからドイツヘ行くのに、オーストリアを通る。スイスの国境を通過し、オーストリアに入って麻薬を一服。オーストリアを十万マイル走ってこんどはドイツだ。(略)「国境まで十五キロだよ、パパ」なんて教えてくれる。そこらで車を路肩に停めて、注射を打って、そいつを捨てたり、麻薬を仕分けなおしたりする。(略)
あの年齢とは思えない働きぶりだ。逮捕されそうなときはこれが必要なんだ。「ねえ、パパ?」「うん?」「青い制服の人たちが下の階にいるよ」。(略)
[銃を忍ばせ寝起きは不機嫌なキースを恐れ]
ステージに上がる三十分前になると、あいつらはマーロンを送りこんできた。(略)「パパ、ほんとに時間だよ」。そんなふうに言うんだ。「あと二時間あるってことだな?」。あいつは最高の付き人だったよ。
あのころの俺は何をしでかすか、ちょっと予測がつかなくなっていた。(略)たいていは、ステージに上がったころに目が覚めた。

マーロン談

あのツアーではミックがすごく優しかったのが印象的だったよ。ドイツのハンブルクでは、キースが寝ていると、ミックが部屋に招いてくれた。俺はハンバーグを食べたことがなくて、ミックが注文してくれたんだ。「ハンバーグ食べたことがないのか、マーロン?ハンブルクに来たらハンバーグ食わなくちゃ」って。そこで二人でディナーだ。ミックはすごく人なつこくて魅力的だったよ。キースのところにもよく来てた。ものすごい世話焼きで、キースの面倒を見てくれていたんだ。すごくまめに。あのとき、キースはああいう状態だったから。
キースはいつも本を読んでくれた。二人のお気に入りはタンタンとアステリックスだったけど、キースはフランス語が読めないし、どっちもフランス語版だったから、話をめちゃくちゃにでっち上げてたんだ。何年かして自分でタンタンを読んだとき、初めて本当の物語を知った。

トロントで逮捕された時、最初にきてくれたのはビル・ワイマン、ヤクが切れたキースのためにリスクを冒して、領分じゃないのにどうにか少量手配。

逮捕劇のあいだ、ミックがものすごく親身になって文句ひとつ言わずに俺の面倒を見てくれたことは言っておかなくちゃな。

女たち <スーパー・デラックス・エディション>(DVD付)

女たち <スーパー・デラックス・エディション>(DVD付)

 

実はパリに行くまで、俺はなんの準備もしていなかった。曲は全部スタジオで毎日書いたんだ。つまり、最初のころみたいだった。六〇年代中ごろのロサンジェルスRCAを彷彿させるものがあった。曲がどんどん湧き出てくるんだ。最近のアルバムとのもうひとつの大きな違いは、ほかのミュージシャンがいなかったことだ。ホーン・セクションも、ビリー・プレストンも。何か、七〇年代の俺たちはサイドメンを強化したおかげで、ときどき、自分たちの直感からそれてしまっていた気がするな

  • 注射器

70年代アメリカでは注射器入手が困難、帽子に羽根ピン、コーヒーを注文してスプーン、おもちゃ屋でお医者さんセット

そのなかに、俺が持ってきた針にぴったりの注射器が入っている。歩きまわって、「テディベアを三頭くれ、あのリモコンカーもだ、ああ、それと、お医者さんごっこセットをふたつ!姪がいて、あれに夢中なんだよ」。[急いで部屋に戻って組立て、あぶって注入]

ドラッグ地獄から抜けたらミックがバンドを仕切っていて険悪に。

ミックがあきらかに変わり始めたのは、八〇年代初めのことだった。あのころだ、あいつが陰で“ブレンダ”とか“女王陛下”とか呼ばれたしたのは。(略)[82年『アンダーカヴァー』録音時本屋に]ブレンダ・ジャガーってやつの書いたゾッとするような小説があった。よし、相棒、今からお前はブレンダだ。気に入ろうが、気に入るまいが。もちろん気に入らなかったと思うぜ。俺たちはよくあいつのいる部屋で“あばずれブレンダ”とか言ってたけど、全然気づいてなかった。とにかく、これはとんでもない状況の始まりだった。俺とミックが、かつてブライアンにやった仕打ちと同じだよ。(略)
天狗さまの到着だぜって感じだ。俺を含めたバンドの他のメンバーは、もうみんな雇われ人だ。(略)
ミックは不安になっていた。自分の才能を疑い始めたんだ。皮肉な話だが、増長の根っこにはそいつがあったんだ。(略)ミックがミックでいるのをやめて、どこかのダンス教師が振り付けた動きをやっているのを見て、チャーリーとロニーと俺はよくこらえきれずに笑ってた。(略)
最先端を意識するあいつには、ほとほと手を焼いた。(略)あいつの頭はスポンジみたいだった。クラブで何か聴いてくると、一週間後には自分が書いたみたいな気になるらしい。で、俺は言う。だめだ、完全に盗作じゃねえか。(略)
たまに友だちが恋しくなるぜ。あいつはどこへ行っちまったんだ?それでも俺が厄介なことになったら、かならずあいつが力になってくれるのはわかってる。俺があいつの力になるのとおんなじだ。(略)
あいつは徐々にああいう自己防衛過剰な形でみんなに接し始めた。見知らぬ他人だけじゃない、親友たちにまで。最後には、俺があいつに何か言うと、目の表情から勘繰ってるのがわかるまでになった。キースはどんな得をするんだ?ってな。俺は得なんてしないのに!四六時中まわりから搾取されるみたいな精神状態が積み上がっていく。そして壁を築いちまう。でも、それでお前はほんとに楽になれるのか?
切ないさ。あいつは今でも俺の友だちだからな。ちきしょう、俺があいつの人生にいろいろ面倒をかけてきたのは確かだ。それはわかってる。(略)友情の喜びにあいつを立ち返らせ、引き戻すことができなかったのは、俺のせいだと思ってる。(略)
この契約の裏でミックはCBSと、何百万ドルかでソロアルバムを三枚出す契約を独自に結んでいた。バンドの誰にも一言も言わずに。(略)CBSの人間はみんな、ミックはソロでもマイケル・ジャクソンくらいビッグになれると思って、積極的にこの話を進めて、ミックも乗り気だったと。つまり、ローリング・ストーンズとの契約の本当の狙いは、ミックをその上に乗っけることにあったんだ。(略)
[1984年酔ったミックが早朝五時にチャーリーに電話をかけ「俺のドラマーはどこだ」?二十分後正装してチャーリー登場]
ドアを開けると、あいつは俺には目もくれず、まっすぐそばをすり抜けて、ミックをむんずとつかみ、「二度と俺のことをお前のドラマーと呼ぶな、俺の歌唄いが!」と言った。ミックの着ていた俺の上着の襟をつかんで、右フックを一閃。ミックはテーブルのスモークサーモンを載せた銀の大皿の上に倒れ、開いた窓とその下の運河に向かってすべり始めた。いいパンチだ、なんて俺は感心していたが、次の瞬間、あれが結婚式で着た俺のジャケットだってことに気がついた。(略)十二時間後にチャーリーは言っていた。「くそったれ、下りて、もういっぺんやってやる」。あの男を鎮めるのは容易じゃない。俺にも「あのとき、なんてあいつを助けたんだ?」。俺の上着だったんだ、チャーリー、それだけだ!