ウディ・アレンの映画術

時間がない人は過去30作を総括している第八章から読むと良いかも。

父と祖父

[父が以前マフィア関連の仕事をしていた事はずっと知らなかった]
僕が生まれる前のことだからね。おふくろと結婚するときに問題になったんだよ。親父はノミ屋の仕事をしていて、毎年夏はサラトガの競馬場で賭けを受けて、勝った奴に金を払っていた。(略)
親父はかなり面白い人生を過ごしたと思うよ。十六歳で学校をやめて海軍に入り、ヨーロッパヘ行って世界を見た。ロシアにもいたし、ヨーロッパのあちこちへも行った。処刑の現場にもいたし、フロリダの沖合いで船に爆弾が落ちるか、船が爆発するかしたときは、フロリダまで泳ぐはめになって、泳ぎ着いたのは三人だけだったそうだよ。親父はそのひとりで、当時はニュースにもなったらしい。
ボーリングのピンとボールを小さくしたダックピンズの達人で、ニューヨーク州のチャンピオンになったメル・ラフとプレーしたこともある。ビリヤードもうまかった。(略)ブルックリン・ドジャーズのマスコット・ボーイだったこともある。まだ一面農地だった頃のブルックリンで育って、第一次大戦が終わると、父親にいかした車を買ってもらって、ヨーロッパ横断の旅をしたらしい。そういう意味では多彩な人だったよね。親父の父親は教養のある知識人だったらしくて、オペラのシーズン・チケットを持っていたし、自分の船でヨーロッパヘ行って競馬場へも通っていた。(略)[祖父は]大恐慌で根こそぎやられたんだ。ブルックリンのミッドウッド劇場も含めて映画館をたくさん持っていたんだけど、全部失った。それからは貧乏そのものだよ。

サクセス

最初の頃に成功して基盤を築いたあとは、僕にとってはもう大きな意味は持たなかった。それは僕が恩知らずだということではなくて、僕は自分の幸運に感謝しているけれども、いくら成功して名誉を与えられても、生まれながらにして僕が持っている憂鬱な気分が晴れることはないっていうことなんだ。嘘じゃない。成功は僕にとっては喪失なんだよ。

順撮り

決定稿が出来上がったら、僕はもう台本は見ない。(略)撮影をする日にはもうすべてのシーンがはっきりと見えているということだよ。撮影の順番なんかどうでもいい。時間軸に沿って映画を撮っていっても僕にはメリットなど何もない。ジグソーパズルみたいにめちゃくちゃな順番で撮ったってぜんぜんかまわない。(略)[前のカットを確認するのは]たとえばもしそれがある女優のクローズアップだったら、次もまた彼女のクローズアップで始めたくないからで、ただそれだけのことだよ。

僕のベストテン

もし僕がこれまでに作られた映画のベストテンを挙げるとすれば、『市民ケーン』以外アメリ力映画は入らない。

僕の好きなアメリカ映画十五本(順不同)
『黄金』『男の敵』『深夜の告白』『丘』『シェーン』『第三の男』(イギリス映画)『突撃』『汚名』『ゴッドファーザーPARTII』『疑惑の影』『グッドフェローズ』『欲望という名の電車』『市民ケーン』『マルタの鷹』『白熱』
僕の好きなヨーロッパ映画十二本と日本映画三本
『第七の封印』『蜘蛛巣城』『羅生門』『叫びとささやき」『自転車泥棒』『道』『大いなる幻影』『大人は判ってくれない』『ゲームの規則』『勝手にしやがれ』『野いちご』『七人の侍』『フェリーニの81/2』『靴みがき』『フェリーニのアマルコルド
(注-『市民ケーン』を最初のリストから二番目のこのリストヘ移せば、それが僕にとっての歴代最高映画のリストになる)

ラルフ・ローゼンブラムの編集

ローゼンブラムとウディは、ウディが『泥棒野郎』の最初の編集に満足できなかったために組むことになった。ローゼンブラムはウディにまず、もっと元気の出る音楽を使うように提案した。つながりが自然とは言えなかったシーンの笑いを誘うつなぎとして、三流の詐欺師ヴァージル・スタークウェル(ウディ)の両親との長いインタビューを使うようにも勧めた。その大半はカットされていたのだ。
(略)
「彼には脚本家として自分の書いたものを守ろうなんていう気はさらさらない。カットするときは容赦なくカットする。『バナナ』のときはこっちが素材を守ろうとして苦労したくらいだった。当時のウディはまだ自分の撮ったものをすべてうまく扱えるところまでは達していなかったんだ。何をカットして、何を残し、どこを短くして、どこを入れ換えればいいか、そういう編集作業の微妙なニュアンスがわかっていなかった。技術的に編集のいちばんむずかしい点がそこなんだよ。監督として自分の仕事の全体を把握しきれていなかったんだ。ただ短い寸劇を撮っていただけだった。自分に自信も持てずにいた。話の辻褄が合っていればそれでいいわけじゃない。そんなのは意昧がない。大事なのは、すごく面白いスキットのさまざまな要素をいかにすべて盛り込むかということなんだ。(略)だが、彼はやがてその術を学んだ。だからいまはもう俺みたいな人間は必要としていないんだよ」

エルヴィス以降

エルヴィス・プレスリー以降のグループ・サウンズは僕には何となく田舎臭く聴こえて、そこが好きじゃないんだ。ほとんどがギターとドラムの組み合わせで、歌手はウィンストン・チャーチルみたいな話し方をして、歌い出すとカントリー・ミュージックみたいに聴こえるんだよ。で、それがやがてブルースになったりフォークになったりほかの何かになったりする。僕はもうちょっとコスモポリタンなのがいいんだ。ピアノ・バーで歌う歌手とか、静かなトランペットの調べとかね。カントリー歌手みたいな歌い方は好きじゃないし、白人が黒人みたいな歌い方をするのも好きじゃない。

フィリップ・グラス

昔問題が起きたことがあったから、有名な作曲家に映画音楽を依頼するのは実はひやひやものだったんだ。でも、結果的にはすごくうまく行った。素晴らしい音楽を提供してくれたし、一緒に仕事をするのがすごく楽しかったし楽でもあった。(略)前に映画音楽を書いてもらったときは何か月もかかったけど、フィリップの場合はぜんぜん違うんだ。映画を見て四日後には大量の音楽を書いてくれた。(略)違う音楽が必要になるたびに電話をかけて、「ここの音楽が合わないんだ」と伝えたんだけど、彼が自分の書いたものに固執したことは一度もなかった。翌朝には新しい音楽が手に入った。(略)
面白かったのは、彼の音楽が不安に満ち満ちていたことだよ。「ここはカジュアルなシーンだから、この音楽はちょっと不安の色が濃すぎるよ」と僕が言うと、彼が言うんだ。「とんでもない、これはロマンチックな曲ですよ。不安の色が濃いのは殺人シーン用に取ってありますから」とね。
いったいそこにはどんな曲が出てくるんだ、と僕は不安になったよ。でも、とにかく彼は素晴らしかった。

明日は第八章から。
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