著作権侵害厳罰化、CMの著作権

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

  • 作者:山田 奨治
  • 発売日: 2011/09/15
  • メディア: 単行本
 

厳罰化の歴史

著作権法違反の懲役刑は住居侵入や公然わいせつよりも重く、窃盗と同等である。罰金刑はこれらのどの刑法犯よりもはるかに重い。
(略)
厳罰化の歴史を、いま一度おさらいしておこう。
いまの著作権法が施行された一九七一年には、個人に対しては「三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金」、法人に対しては「三十万円以下の罰金」と定められていた。それ一九八五年には罰金が個人・法人とも一〇〇万円以下に、九七年には三〇〇万円以下になった。二〇〇一年には法人に対しては一億円以下の罰金になり、○五年には個人に対しては「五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と、懲役と罰金を同時に科すことができるようになった。法人に対する罰金はおなじ年に一億五千万円に引き上げられた。そして○七年に個人に対しては「十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金、又はこれを併科する」、法人に対しては「三億円以下の罰金」という現在の規定になった。
(略)
無断コピーをすることとモノを盗む行為の最高懲役刑がおなじになり、しかも罰金刑は刑法の窃盗罪をはるかに超えて高額になったことで、権利者側は勇気づけられた。

05年の改正

に対して法学者・中山信弘は『著作権法』で

知的財産権侵害と窃盗の量刑は同程度であるべきであるという意見が強まり、平成一八年改正で罰則が強化され、ほぼ窃盗と同じになった。この改正によりわが国の知的財産権侵害罪は、世界でも最も重罰の規定をもつことになった。今回の改正は、有体物の侵害と情報の侵害との区別の議論を全くしないままに、政治主導でなされたものであり、法改正としては極めて遺憾である。著作権侵害の中には暴力団絡みの悪質な例があり、それらを念頭に改正が行なわれたと考えられるが、著作権は権利の発生、帰属主体、権利範囲が判然としないことが多く、この種の権利侵害に窃盗と同じ重罰を科すことには問題が多い。罰則強化の必要性があるとしても、組織犯罪的なもの、あるいは常習犯的なものに限って強化すべきであったと考えられる。

CMの著作権が主張された理由

CMは「映画の著作物」であり、その権利は広告主・制作会社・広告会社の三者が持ち合うことになっている。厳密にいうと、三者が持ち合っているのは映像にかんする権利だけであって、CM音楽はJASRACの管轄になる。さらに、出演しているタレントの肖像権が著作権とは別に存在し、しかも肖像権は主役のタレントだけでなく、背景に映り込んでいる程度の脇役にもある。
(略)
CMは「映画の著作物」だというが、それは業界がそう主張しているというに過ぎない。(略)七〇年代後半までの二五年近くのあいだ、CMを著作物だという考えも、そう主張する必要性もなかった。そうした状況を大きく変えたのは[民放の「CMバンクシステム」導入だった]。
(略)
それまで制作会社は、放送回数ぶんのCMフィルムのプリントを作って、放送局に納入していた。(略)「CMバンクシステム」は、CMを放送局内のVTR装置に蓄え、放送回数ぶんのコピーを放送局内で作るコンピュータ・システムだった。CM制作会社にとって、それは収益の構造を根底から覆すものだった。「CMバンクシステム」が整備されると、制作会社から放送局に納入するプリントは一本で済んでしまうからだ。当時、全国ネットで流す一五秒CMの場合で、一万本ものプリントが必要なこともあった。(略)単純に計算すると、プリント費だけで当時の価格で三五〇〇万円の売上げにつながったことになる。(略)プリント費がCM制作会社にとって「打ち出の小槌」だったことは、まちがいない。(略)
[「CMバンクシステム」導入で七七年には業界全体で七〇億円近くあったプリント売上高が、八三年には三七億円台に激減]
そこで関係者が注目したのが、「CMには著作権がある」という、CM業界にはまだ浸透していなかった考え方であった。そして、「CMバンクシステムは、著作権のうちの複製権を侵害している」といいはじめた。

公的アーカイブ

CM業界の著作権運動により業界の調和は保たれたが、公的アーカイブス構築の可能性が失われた

フランスでは、一九六八年の第一号CMからのほとんどすべての作品が国立視聴覚研究所(INA)からネット公開されている。韓国でも同様の公的なCMアーカイブスがあり(略)
[日本では]著作権処理に膨大なコストがかかることになり、CMアーカイブスを作ろうとすると、たいへんな労力を要することになってしまった。また、業界もCMの公共的な側面よりも私有財としての側面を強調しているため、公的な資金でCMを保存公開しようという機運は生まれていない。
そんななか、CMフィルムの原盤が大量に一斉廃棄されるという事態まで起きた。(略)
CM原盤は、制度的に保存されていないどころか、むしろ廃棄が奨励されている。(略)
業界がCM原盤を廃棄しようとする背景には、権利の帰属問題がある。広告主・制作会社・広告会社のトライアングルで調和が保たれているため、原盤をこれら三者の外に流出させる選択肢を取ることには消極的だったのではないだろうか。かといって、原盤を廃棄しておきながらいっぽうで権利を主張するのでは、法的に正当でも道義的にはおかしい。原盤を保存する努力をしないで、そのCMのコピーについての権利生張をするべきではない。

まとめ

受益業界が政治家に働きかけたことがあきらかな立法には、それが正当なものであるのか、その法律によって規制を受ける市民の側に事前に立法の趣旨が広く提示され、合意が形成されたものであるのかを吟味しなければならない。(略)
権利者らの行動をみると、「被害の過大な見積もり」「強い保護だけ横並び」「権利を主張しないと損をするかもという疑心暗鬼」というみっつの傾向が観察できる。
(略)
第二の論点は、海賊版は権利者に経済的な損失を与えるだけのものではなく、文化を異国に伝える強力なインフラとして作用し、ときにはその市場創造力によって長期的には権利者に利益をもたらすことも否定しきれないことである。(略)
クール・ジャパン現象のように、日本の文化的な影響力を最大化することが目標であるならば、極端にいえば海賊版は野放しにするのがよいと、わたしは考える。(略)
第三の論点は、知財保護の推進者たちは秘密の外交交渉に議論の場を移す戦略を取りはじめている。条約で決まったことだからという論法で、知財の専門家や文化人の言論を封じ、国民をコントロールすることがまかりとおる時代になろうとしている。