ムッソリーニ・下巻

すっかり忘れていた下記本の下巻。
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ムッソリーニ(下)

ムッソリーニ(下)

参戦

第二次世界大戦の勃発まで一週間となった。だが、戦争はムッソリーニがもっとも望まないものだった。戦争は自分の時代が終わるしるしであることが彼にはわかっていた。参戦してもしなくても、彼は自分の時代の主役にはもうなれない。どちらの道を選んでも、彼とイタリアは敗者になる。戦争に加わらずに局外にとどまれば、彼は臆病者、偽善者、裏切り者と見なされるだろう。参戦した場合には、イタリアを大災厄に引きずり込むことになる。というのも、イタリアの軍事力が悲惨な状態であることを彼は知っていたからだ。

参戦の動機は強欲だけではなかった。恐怖も影響していた。連合国側と取引をすれば、ヒトラーはイタリアを攻撃しかねないという恐怖である。そして、戦争が終わったあとのドイツの力に対する恐怖もあった。ムッソリーニは自分がもっとも恐怖を抱く国と同盟を組んでいた。(略)
フランスの次には、いつの日かわれわれの番がまわってくる。鋼鉄と呼ばれる条約に調印したことが、ドイツに侵略される際には最後の頼みの綱になるだろう

ユダヤ人問題

1932年にムッソリーニはルートヴィヒに語った。「当たり前のことだが、もはや純粋な人種など存在しない。ユダヤ人種でさえもそうだ。人種とは、感情であって事実ではない。それは95%が感情だ。ある人種が純粋であるとかないとか、生物学的に証明することが可能だとわたしは考えていない。……反ユダヤ主義はイタリアには存在しない。ユダヤ人たちはつねに市民として、兵士として立派に振る舞ってきた。彼らは勇敢に戦ったのだ」。

ユダヤ人の狩り集めと移送を行うようにドイツはムッソリーニに対してますます強い圧力をかけたが、彼はこれにしたがわなかった。(略)諸君はただのひとりもユダヤ人を引き渡すことがないように、君達が望むあらゆる口実を利用することができる。海上経由でトリエステまでユダヤ人を運ぶ手段がないし、陸上の輸送は不可能だとドイツ軍に言えばよろしい」

ムッソリーニはまた数多くの非ユダヤ人の政敵たちをドイツ軍から救った。なかでもよく知られているのは、彼の昔の社会主義者の友人ピエトロ・ネンニである。ゲシュタポはネンニをパリで逮捕し、彼を東へ移送することを決定した。ムッソリーニがそこに介入し、ネンニはナポリ湾に浮かぶ静かなポンツァ島に移送され、そこで海を見下ろすバルコニーのある住居を与えられた。(略)
[イタリア最初の社会党首相クラクシ談]
ムッソリーニはつねに反ファシストたちを保護していた。彼は心のなかでは社会主義者にとどまっていたのだ。彼はネンニの命を救った」。(略)
「ネンニが言いたかったのはこういうことだ。きみが思うように、われわれが昔からの友人だったからではない。ムッソリーニがそういう人間だった、というのが事実なのだ」とクラクシは述べた。

失脚していたムッソリーニナチスが確保

もしムッソリーニが拒否すれば、イタリアはドイツのもうひとつの占領地域になるはずだった。ヒトラームッソリーニ以外の誰であっても傀儡政権のトップにつけることを認めようとはしなかっただろう。(略)
ムッソリーニにはふたつの目的があった。第一の目的は、ヒトラーを説得してロシアとの見込みのない戦争を放棄させ、地中海での戦争に集中させることだった。第二の目的は、イタリア民族のなにがしかの誇りを救い、ドイツによる全面的な占領が行われないように、ドイツ軍の最悪の行き過ぎからイタリアを守ることだった。それはペタンがドイツ軍との協力を行ったのと同じ理由だった。

1945年2月インタビュー(死の五ヶ月前)

[部屋に迷い込んできたツバメを窓から放してやったという話につづけて]
あの自由を得た叫びをわたしは決して忘れないでしょう。わたしにとっては、死なない限りその扉は開くことはないでしょう。そしてそれは当然のことです。わたしは間違えて、そしてその代償を支払うのです……。わたしは自分の本能にしたがっている限り間違えたことはありません。しかし、理性にしたがうと必ず間違えました……。わたしは誰のせいにもしませんし、わたし以外の誰も非難するつもりはありません。(略)
わたしの星は沈んでしまったのですが、時代の変化に間に合うように身を引く力も勇気も持ち合わせていませんでした……慎重で計算高い独裁者をこれまでに見たことがありますか?独裁者はすべて気が狂うのです。燃えるような野心と妄執が作り出す混迷のなかでバランスを失うのです。そして、そうした気違いじみた情熱こそ、彼らをその地位につけたのです。立派なブルジョワジーはわざわざそんなことはしません……。間違いなくわたしたちは決定的な形で社会主義の時代に入っていくでしょう……ヨーロッパの救済は、すべてのヨーロッパ諸国が社会主義で結びつくことによってのみ得られる、とわたしは考えています。その驚嘆すべきブロックはわれわれの文明と存在を、ボルシェヴィキの赤い唯物論に対してと同様に、それと同じくらい有害なアメリカ型の実験に対して、守ることになるでしょう。遠からず、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアなどの個別の問題は関心を持たれなくなり、ヨーロッパだけが問題になるはずです。すべての人がそれに気がつくでしょう。気がつくのに間に合うか、遅過ぎるかはわかりません。