源一郎、「ニッポンの小説」、綿矢りさ

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

第一章はコレ→kingfish.hatenablog.comを収録したもので、ほぼ同じ箇所を引用してしまったoleに乾杯。

近代文学120年の歴史で、結局何がいちばん尊ばれたかというと文体です。さらに言うと、「これはこの人の文体だ」という私有された文体なんですね。テーマでもなく、内容でもない。ただ、僕は、文体は私有されてはいけないのではないかと思っているんです。文体の私有化とは、要するに「ルック・アット・ミー」、「私を見て」ということです。だから「私小説」と言うんだけれども、それでは何を見て欲しいのかというと、文体を見ろ、なんですね。そこに「私」がいると言っているのだけれども、「私」としか書いていないのだから、どこにいるかというと、文体の中にいるということになる。実際には、いないんですけどね(笑)。
 そこが、いま僕がずっと考えている「ニッポンの小説」のいちばん大きい問題点ではないかと思っています。(略)
僕の願望ははっきりしていて、ここ何年か、いかに下手な、ダメとしか思えない形の文章で小説が書けないかと、ずっと考えています。(略)それは要するにコードに則っていないものなんですね。(略)
僕は、柴田さんの、チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』の翻訳は、日本翻訳史上の最高傑作と思います。(略)あの文章は、間違っているというか、おかしいというか、コードと言えば大衆文学のコードに一応従っているんですけれども、でもあの文章は従っているふりをしているだけで、いかなるコードにも従っていないように見えます。

以下はこの本用の対談を収めた第四章から。
大江健三郎

 大江さんはたしかにずっと深刻な内容の小説を書いていますよね。それでみんな大江さんは深い、大文字のテーマを扱う作家だというふうに考えてきたんですが、僕はどうもそうじゃないんじゃないかと思うようになったんです。(略)
やっぱり文章はおかしいですよ(笑)。あの文章が僕にはとても不自然に感じられる。その不自然な文章を使っている大江健三郎という、その不自然な言葉が出てくる主体が一つの大きな謎なんです。彼の作品を読んでいる間、そこに読者は、いちおう思想らしきものを、たとえば、今なお悪がはびこっているこの世界の中でどうやって共同体を立ち上げるかという問題とかを読みとれるような気がするでしょう。でも、同時にそれがその小説の根幹という気がしないんです。(略)
彼自身が自分について持っている理性的なイメージより彼が実際に抱えこんでいる狂気の量の方がずっと大きい。(略)
理知的な作家ではなくて、無意識の部分が多い天才だと思っています。それとは逆に、イメージと異なり中上健次は理知的な作家です。中上さんが悩んだのはそこだと思うんです。中上健次もすごく頭のいい人だったので、大江健三郎を読んで読んで読んだ。パブリックイメージだと中上健次が野蛮で天才肌で、大江健三郎さんは秀才で理知的となるけど、逆だった。そのことに中上さんは気づいてたし、だからこそすごく大江さんに突っかかったんだと思うんです。

綿矢りさ「You can keep it」(『インストール』文庫版収録書き下ろし短編)

綿矢さんの場合、最初の『インストール』からLook at me感がないんですよね。小説をニュートラルに書けるわけがないから、それは彼女が持っている言語感覚なんですね。阿部和重の場合はあえて超Look at meにしているわけじゃないですか。すごくうるさく(笑)、中原昌也もうるさい。でも、それだけしないと近現代文学につきまとう「私」感から逃れられないのです。(略)
さっき風景描写がいいと言いましたが、カメラの目になってるんですね。近代文学の起源の一つである『武蔵野』の描写に戻っている。『武蔵野』以降描写をしても結局背後に「私」がいることが感じられるんですが、『武蔵野』は、スタート地点にいるせいか、「私」感が薄いんです。でも、それ以降は「あ、こう書けば『私』は見えなくなるはずだ」と思って書いているから逆に「私」が透けて見える。綿矢さんの場合は、だから、あたかも『武蔵野』段階にいるように見える。(略)
だから堀江さんだと何だかんだ言ってもやっぱり旅から帰ってきて、東京の荒川あたりでぶらぶらしていても、「でもあなた、地上の果てのフランスまで行ってきたんでしょ」という匂いはありますよね。保坂さんもずっとゴロゴロしているようだけど、あるとき魂の暗闇の午前三時に行ってきたに違いないと思わせるところがあるじゃないですか。でも綿矢りさにはそれもない。でももしかしたらそれが理想かもしれない。保坂さんが「息の根を止めた」と言ったのは、近代文学の「魂の午前三時」的臭さから完全に逃れてるということなのかもしれない。

  • オマケのボツネタ

昔で言えば、『週刊朝日』の源一郎はアリだが、『週刊アサヒ芸能』の源一郎はナシなのである。どうも啓蒙感というかバカ相手感が出るときの源一郎はナシなのである。さて下記本、タイトルからして「アリ」な感じ全開なのだが、実際は完全に「ナシ」、啓蒙フルスロットルのナシ源一郎でガックリきてボツ。唯一面白かったのが、最高の「ラヴレター」の書き方の中で紹介された生徒Sさんの文章で、それを半分くらいに縮めてみました。

13日間で「名文」を書けるようになる方法

13日間で「名文」を書けるようになる方法

朝起きると、
私はすごく、
すごく恋をしていた。
ゆめの中で、雪が降っていた。
まだ真っ暗な朝早く、
白い小熊みたいなスクーターに乗って、
彼は私を迎えに来てくれた。
彼の体温はとても甘くて、
私は溶けてしまいそうだった。
ハチミツの気持ち。
おかしいけれど、私は16才だった。
ゆめの中で、初めての恋をしていた。
目が覚めると、雪は溶けていた。
おかしいけれど、16才だった。
スティックシュガーみたいな、
きれいな雪だった。