ガンプラ開発戦記

67年、模型部門に進出

67年破綻したコグレの自動車金型を引き取り模型部門に進出するも

 「おもちゃ屋に模型ユーザーを満足させられるだけの商品を作れるわけがない。すぐに撤退するに違いない」
 流通筋のあちらこちらから冷ややかな声が聞こえた。模型業界の側には大人ユーザーを対象に物作りを行っている意識が強くあり、子供ユーザーを対象に物作りを行ってきたバンダイとは、商品思想で相容れないとの先入観が横たわっていたのである。

悲願の自社開発商品アルファロメオは「バリが多くてプラモとは呼べない」と業界から駄目出しを食らう。
サンダーバードで一世を風靡した今井科学が特撮ブーム終焉で破綻、69年末バンダイは今井科学金型を引き取り生産販売を開始。

[万博に沸く70年]大阪の模型問屋筋におけるバンダイ模型の評判は芳しくなかった。むしろ快く思われていないと見るほうが正しいといえた。(略)
 「倒産した会社の金型で商売するバンダイは、けしからん。自力で商品を作れなければメーカーを名乗る資格はない」
[今井科学から引き取った在庫にバンダイのロゴシールを貼って流通させたことも心証を悪くした]

業績悪化

今井科学開発陣が手がけていた「昆虫シリーズ」のヒット、コグレ製品と遜色ない自社商品開発、サンダーバード復調などで開発力と経営基盤を確立し71年「バンダイ模型」を設立。しかし同時期に同グループ内に設立された子供玩具を対象とする「ポピー」が超合金で大ヒットを飛ばし、後塵を拝することに。スーパーカーブームに参入しそこね業績悪化。

 70年代半ば、模型業界には“模型の本流はミリタリーものであり、キャラクタープラモは傍流”なる価値観が依然として幅を効かしていた。その線引きは“実在の物を縮小して精密再現したものをスケールモデル、テレビや漫画から派生したイメージに形を与えるものをキャラクタープラモ”

おもちゃのイメージが強い「バンダイ」というブランド名。そして実際、組み立ておもちゃと称される、キャラクターモデルを手掛けているという事実。スケールモデルメーカーを目指していたバンダイの開発・設計者にとって、キャラクターモデルは、あまり気乗りのする仕事ではなかったのだ。
(略)
他社が、キャラクター的スーパーカーにうつつを抜かしている間に、正統派車種のラインナップを充実させて、スケールモデルメーカーのブランドイメージを高めたいという心理が働いていた。

大ヒット「宇宙戦艦ヤマト

最後の賭けとして模型市場から離れていたヤングアダルト層をターゲットに、二年前に苦杯を舐めた「宇宙戦艦ヤマト」を再販し大ヒット。決定打を目論む新商品は

「これしかないだろう!ヤマトファンの誰もが目にした映画ポスターを、イラストのイメージそのままにプラモデルで再現しようじゃないか」(略)
誇張し過ぎではと思わせるほどに、大きな艦首から小さな艦尾へ向かうパースの効いたシルエットは、正面方向から見ると見慣れたイラスト画そのままのイメージを再現した。[しかし横から見ると当然寸詰まりに]
(略)
特定の方向からしか楽しめないディスプレイモデルの在り方に、スケールモデル支特派の模型専門店系バイヤーは難色を示した。
 「何だ、これは? 巨大なサツマイモじゃないか!値段の割にパーツの少ない中身は貧相だ」(略)
[逆にアニメ系量販店バイヤーは]理解を示した。
 「ポスターから抜け出したような感じが面白い。今までにない楽しさがある」

評価は分かれたが、結果は大ヒット。

放映中盤、玩具業界では並以下のキャラと見なされていたガンダム

 バンダイ模型・技術部次長・松本悟は、毎日届くユーザーからの投書1枚1枚に目を通すことを日課としていた。(略)汚し塗装の仕方、ジオラマの作り方、スジ彫りの入れ方、その他諸々、松本は全ての疑問に対して答えを見つけては、手書きでハガキに記して一人一人に返した。(略)
 そんな日々の中で、松本は日増しに増えるユーザーの声の中に異変を見つけた。(略)
 《松本さん、スケールモデルガンダムのプラモデルを出して! 期待してます!》
 大筋はこのような主旨で、どのユーザーの声も文面から切実な想いが伝わってきた。
(略)
今までの巨大ロボットものテレビ漫画とは違い“本物っぽい”のだ。情報密度のある画面作り、しかも模型業界で王道とされるミリタリー調の色合いが全編に漂っているところに、プラモデル化の可能性を強く感じさせた。松本は思わず唸った。

ガンダム獲得に向かうも、創通エージェンシーは門前払い、ようやく会えてもうちはクローバーと提携しているとつれない答え。玩具とプラモは競合しませんetcと押し捲り、遂に獲得、大ヒット。

バンダイさん、何とかしてくださいよ!パニック寸前ですよ」(略)
「いつまで待てばいいんだ!本当はどっかに隠しているんじゃないのか!!」(略)
問屋は通常の営業時間にガンプラを扱うことは避け、配送を終えた夜間に荷作りするようにしていた。(略)
 ガンプラブームは越年した。さらにブームの着地点は未だ見えなかった。
 緊迫感漂う状態が、さすがに1年以上も続くと、いつしかガンプラ関係者の間では期待感よりも疲労感が勝るようになっていった。皆、思った。
 《いったい、いつまで続くんだろう》