マスコミは何を伝えないか

マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方

マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方

  • 作者:下村 健一
  • 発売日: 2010/09/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

スポットライトの副作用

[チベット抑圧反対派から「北京五輪聖火を守れ」と在日中国人が長野に集結そこらじゅうで小競り合いといった印象を与える報道がされた]
本当にあれだけの小競り合いや衝突はあったし、中国の赤い国旗は、あの日、長野市内の沿道を埋め尽くしていました。けれども、それだけじゃないんですよね。
 あの場にいた圧倒的多数の中国人は、実は何の小競り合いも起こしていません。「やっと祖国にオリンピックが来る。なのに、その時に運悪く自分たちは日本に留学してしまっていて見られない。でも、長野に聖火が来てくれた。よし、見にいこう!」こういう、浮き浮きした遠足気分混じりでやってきて、旗を振っていました、ニコニコとお祭りムードです。しかも一部の中国人たちは、日の丸を振ったりしていました。でも、そんなのはニュースバリューがないから報道されません。(略)
要するに、何事も起きていないところには、カメラは向かないんです。これはべつに悪意でわざと中国人のイメージを低めようと思ってそうしているのではなくて、ニュースというのはもともとそういうものなんです。

ムネオ

[鈴木宗男の生家に通ずる踏切が]「鈴木踏切」という名称である事実。2002年、鈴木氏が収賄事件で逮捕された前後、この話は「鈴木氏の権力私物化、横暴の象徴」として、週刊誌などに採り上げられました。(略)
[実は]その辺りでは、たとえば柴崎家に通じる踏切は「柴崎踏切」(略)要するに、踏切の先に一軒しか家がないような人口のまばらなこの地域で、その家の名を踏切につけるのは、ごく当たり前の習慣だったのです。

「平明化」の問題

他のニュースはみな、「デモに参加し、日本大使館に向かって物を投げている中国人たち」のことばかり報じていますから、今日私たちは、「デモに参加せず、大使館に向かって物を投げていない中国人たち」=暴力的な行為に対して批判的な中国人たちの声についてお伝えします、と言明したんです。ところが放送後、私の取材を受けた中国人たちから、大変強い抗議が寄せられました。(略)
 「自分たちだって、大使館に物は投げないが、最近の日本の中国に対する態度には、いっぱい言いたいことがあるんだ。それが今日の放送では、まるで反日の示威行動を起こしていない中国人は、日本に対して何の不満もないかのように単純に伝えられちゃったじゃないか。(略)
 私たち番組スタッフにも、それは分かっていたんです。確かに、暴力に訴えず「静かに考えようよ、日中問題を」と言っている中国人たちも、取材の段階では、日本に対する批判の言葉はいっぱい口にしていたんです。
[しかし、石を投げている中国人だけじゃないという点をまず伝えようと平明化したことで抜け落ちる部分が生じた]

「テーマの絞り込み」による問題

イラク日本人人質事件、解放当日、対策事務所に届いたFAXは批判300通激励850通だった。批判FAXをヒドイと思った記者が「批判FAX相次ぐ」と報道(激励のFAXについては問題だと思わなかったので報道しなかった)、それを真逆にとった人々が、じゃあ俺もと非難FAX殺到、糾弾の動きが広まり、やがて自己責任論へ。

[糾弾された会長夫妻が自殺]
もし、記者がまともに取材したいと思っていたのなら、「どうして彼らがそこまで言い出せなかったのか」をきちんと聞き出すべきだったのです。(略)
 実は、振り返ってみると、「なぜ自分たちはすぐに通報をしなかったのか」を、浅田会長自身も一所懸命、説明しようとしていたんですね。(略)
 でも、自分たちの真意を説明しようとすればするほど、それに対して報道陣は「そんなはずないだろう」とか、「そんな無責任なことを思っていたのか」などと、さらに責め立てたわけです。

松本サリン誤報

どういう時に主流の見方が勢いを得やすいかというと、みんなが結論を急いでいる時です。不安で不安でしょうがなくて、早く犯人を確定してほしいとか、社会が早く結論を出したい時に、主流がパッと決まります。

感覚の麻痺

生身の人間が、死体を見ても何も感じなくなるまでの順応時間ってものすごく短いということを、私は阪神大震災の現場や、御巣鷹山日航機墜落の現場で知りました。(略)
[最初は山から遺体が下りてくる度に合掌していたのに、三日目には遺体が何百と安置されている体育館で]
パイプ椅子に座って、ネクタイもだらしなく緩め、グターッとのけぞるような姿勢で「ああ、暑い、暑い」とホザいている自分がいたんですね。(略)
こんな私の姿をつい三日前の自分が見たら、「どういう神経しているんだ。これだけの遺体や遺族の前で、なんでこんな態度を取っているんだ」と罵倒したことは間違いありません。(略)
[阪神大震災]現場に発生当日の夕方入った時も、遺体がまだ埋もれているかもしれない瓦礫の上を平気で踏んで歩くようになるまで、ほんのわずかの時間でした。これは、私だけに起きたことではありません。その時現場にいた人のかなり多くが体験したことです。

噂話の増殖

[最初は噂扱いしていた話をあちこちで聞くうち、記者も]
つい「ああ、その話ね」という対応をしてしまう。すると、取材を受けている側は、「あ、報道関係者の間でも、この話は認識されているんだ」と受けとめ、いわば噂話に“お墨付き”を与えられたような効果になって、ますます断定調で話が広がっていくのです。
 さらに、きちんとした取材訓練を受けていないような記者がそこに介在したりすると、前の家で聞いた話を「こんな話、ご存じないですか?」と次の家に行って自ら聞いてしまったりします。(略)それをあちこちでやっていく。すると、今A雑誌の記者からその噂を仕入れた住民は、次にやってくるBテレビのリポーターに、「そういえば、彼女は……」と、自分が見たことのように話しちゃうわけです。

ウィキペディア下村健一」の間違い

まず「1994年に起きた松本サリン事件で……犯人扱いされていた河野義行を継続取材し、冤罪であることをスクープした」とあります。犯人視に一線を画してはいたけれど、そんなスクープはしていません。最後まで私は、河野さんがシロかクロかということについては、何も断言はしてません。(略)
さらに「下村が記者会見で小沢一郎にしつこく食い下がったために、小沢が怒って途中で退席した」と続く。実際にはその会見で小沢氏は、私のしつこい質問に対し、最後まで「知らない、秘書に聞いてくれ」という回答を貫き、退席などしませんでした。「怒って退席」したのは、渡部恒三さんです。