市場規範と社会規範

社会的交流に市場規範を導入すると、人間関係を損ねることになる。(例)これまでのデートに費やした額を口にしてキスを迫れば悲惨な事態となる。

市場規範と社会規範

[円をドラッグする実験で]
結果、[無報酬の]三番めのグループは平均168個の円をドラッグした。50セント受けとった人たちよりはるかに多く、5ドル受けとった人たちよりわずかに多い。(略)
 こうなることは当然予想すべきだったのかもしれない。人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば、数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間あたり30ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし、その後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイデアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引きうけると答えた。
 どういうことだろう。0ドルのほうが30ドルより魅力的だなどということかありうるだろうか。じつは、お金の話が出たとき、弁護士たちは市場規範を適用したため、市場での収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが、お金の話抜きで頼まれると、社会規範を適用し、進んで自分の時間を割く気になった。(略)
先ほどの実験で50セントを受けとった人は当然、「これはいい。研究者の手助けもできるし、おまけにお金も稼げる」とは考えなかっただろうし、そう考えて報酬なしの人たちより熱心に働くこともなかったはずだ。市場規範に気持ちを切りかえて、50セントは少なすぎると判断し、気乗りしないまま作業したのだろう。つまり、市場規範が実験室にはいりこんで、社会規範が押しだされたわけだ。

託児所で親の迎えが遅れた場合に

罰金は有効か実験してみると

[罰金導入以前は社会規範から親たちは]時間に遅れると後ろめたい気持ちになり、その罪悪感から、今後は時間どおりに迎えにこようという気になった。ところが、罰金を科したことで、託児所は意図せずに社会規範を市場規範に切りかえてしまった。遅刻した分をお金で支払うことになると、親たちは状況を市場規範でとらえるようになった。つまり、罰金を科されているのだから、遅刻するもしないも決めるのは自分とばかりに、親たちはちょくちょく迎えの時間に遅れるようになった。言うまでもなく、これは託児所側の思惑とはちがっていた。
 しかし、ほんとうの話はここからはじまる。もっとも興味深いのは、数週間後に託児所が罰金制度を廃止してどうなったかだ。託児所は社会規範にもどった。だが、親たちも社会規範にもどっただろうか。はたして親たちの罪悪感は復活したのか。いやいや。罰金はなくなったのに、親たちの行動は変わらず、迎えの時間に遅れつづけた。むしろ、罰金がなくなってから、子どもの迎えに遅刻する回数がわずかだが増えてしまった。
 この実験は悲しい事実を物語っている。社会規範が市場規範と衝突すると、社会規範が長いあいだどこかへ消えてしまうのだ。社会的な人間関係はそう簡単には修復できない。