〈主体〉のゆくえ

 

sub(下に)+ject(投げる)という意味になる“subject”が何故に「主体」と訳されているかという話。
アウトラインだけざっくり引用するので、肝心の難しい話は現物を読んで下さい。

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)

  • 作者:小林 敏明
  • 発売日: 2010/10/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

カント『純粋理性批判

いまやSubjektの新たな意味が明らかだろう。デカルトの出発点となった「我思う」の「我=Ich」がここで「Subjekt」と等置されているのである。かつては対象の元または奥にあって、それを成立させている規定不可能なもの、それが「真にあるもの」としての「実体」であった。だが、いまや「真にある」のは人間の意識としての「主観」であり、対象もまたそれによって「構成」されてはじめて存在するのである。別の言い方をすれば、主観がそのなかに与えられる現象から構成した対象は新たに「客観Objekt」として、あくまで「主観」の産物ないしペンダントとしてはたらくのである。このデカルトに始まりカントによって進められた道は、その後もフィヒテシェリングヘーゲルと引き継がれ、さらには新カント学派やフッサール現象学によって徹底されることになるだろう。そしていつのまにか「Subjekt」といえば、「人間的主観/主体」という自明の観念が定着して今日にいたっているのである。

人間中心主義的な「Subjekt」概念による転倒のプロセスを懐疑的に見、内面化による相対的産物とするニーチェの立場をさらに徹底したのがハイデッガー

ハイデッガーがその全著作をとおして「人間Mensch」という言葉を避け、それに代わる概念としてかたくななまでに「現存在Dasein」という言葉をつかいつづけた理由の一端がここにある。彼にとって「Mensch」という言葉は、これまで述べてきたような近代の転倒を介してSubjectumになったSubjektの意味を背負いすぎているのである。

日本で最初に「Subject」と格闘した西周

今日「subject‐object」の訳語として流布している「主観−客観」のかわりに「此観−彼観」がつかわれている(略)「主人」とか「お客様」といった、ある意味で不純なニュアンスを含んでいる今日のペアよりも、ただ「こちら」と「あちら」に「観」を付けただけの後者のペアのほうがずっとニュートラルで、すっきりしている(略)
[もう一点は「観」がついていること]
subject‐objectがあくまでものの観方と密接に関連づけられて理解されていることを物語っている。(略)
subjectの他の意味、たとえば文章や命題の主語にあたるsubjectは「此観」と訳せないことは西もわかっていて、この場合には「主位」と訳され、後に頻出する「主」というシニフィアンがここで早々と顔を出している。
[「命題の法はSubject主位及びPredicate属位との二ツあり」と西は書いており]
predicateが何ものかに属するものであるとするなら、当然それが帰属し、従属する先は一種の「主」ということになる。そういう意味合いからヨーロッパ語にはなかった「主」というシニフィアンが選ばれたのだろうが、しかしこの瞬間、もともと「臣民」とか「従属するもの」の意味をもっていたsubjectの表記上の転倒が生ずる。「臣民」が「主人」になったのである。この転倒はヨーロッパ言語の内部においてではなく、あくまで漢語からなる言語システムにおいてのみ生じた事柄である。

西田幾太郎の発案で

1922年末アインシュタイン来日

 つねに主客の合一を唱えてきた西田にとって物理学の時空連続体の考えが魅力的に映ったことは容易に想像がつく(略)この時点で西田は「行為的主観」という考えに至っていた。あえて「行為的」と冠されているとおり、ここでの主観はそれまでの認識論が暗黙のうちに前提としていた超越的視点でもなければ、どこかに固定された静的な視点でもなく、あくまでそれ自体が動いているような視点であり、その動きに応じてそのつど対象を浮かび上がらせるような存在である。西田は直接論題にしてこそいないが、ここには相対性理論が提起した「観測問題」への接近がある。(略)
 だが、ここで言われるのはまだ「主観」である。そこではあくまで「観測」や「視点」が問題になっているからである。たしかにここには視点の動態化という新しい認識論の次元が開かれている。だが、何度も述べるように、「行為」は「見ること」だけにつきるものでない。このことをやがて明確な形で西田の前につきつけたのが、もうひとつの外的要因マルクス(およびヘーゲル)であった。そしてその関連で、いよいよ「主体」という言葉が本格的に登場してくるのである。

フォイエルバッハ・テーゼ

[1937年「実践と対象認識」から「主体」概念が奔出する]
西田はこの文章をドイツ語で読んだはずである。そのときにどうしても問題とならざるをえなかったのは、ここに出てくる「主体的subjektiv」であったはずだ。この文脈で「主観的」は明らかにおかしいし、もしそう訳してしまったら、マルクス自身の考えが、同じ文脈のなかでマルクスが批判する「観念論」と同じことになってしまう。「主語的」などという訳語はますます遠くなる。

師・西田の先を行った三木清

[卒業論文提出直後に論文連発]
 私の知るところ、これが京都学派の周辺で「主体」という言葉が人間的個人を暗示しながら「行為の源」という意味をもって意図的につかわれた最初の例であると思われる(略)西田がはじめて意図的にこの言葉をつかった論文「形而上学序論」に十二年、またそれを本格的につかいはじめる「実践と対象認識」に十六年も先だつ

ここら辺までで半分なんですが、後はスルー。