市川崑のタイポグラフィ

第一章が精細な活字体分析なのですが、これに躊躇しかけた人は中盤辺りのタイトル画像をチェックするとまた別の興味がわいてくると思われます。

市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究

市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究

  • 作者:小谷 充
  • 発売日: 2010/07/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

グリッドとジャンプ率

ジャンプ率[本文と見出しのサイズ比]の高い紙面には躍動感が生まれる。(略)
 市川崑が作品ごとにグリッドを修正し続けている理由は、このジャンプ率を調整するためではなかったか。(略)
犬神家の一族』のタイポグラフィでは躍動するリズムが効果を上げたが、方形の画面構造が曖昧になったことへの不満が残った。だから『悪魔の手毬唄』ではグリッドを固定して、ジャンプ率に強弱を集中させようと考える。前作で28名だった出演者数が一挙42名に増加したことも功を奏し、小さなグリッドで表示数を稼いだことによる高いジャンプ率が躍動感を維持した。そこで『獄門島』では小文字グリッドを増やして、いっそう強いリズムを得ようと考えたのだろう。これが意図的な仕業なのは明らかだ。出演者が28名に減少した『獄門島』では、デザイン的な意図のほかに文字を小さくする必然性がないからである。
[小さくするには限度があるので、『女王蜂』では巨大なグリッドで過去最高のジャンプ率達成]

各映画OPを湯ちゅぶで探したけどなかったので、「Dailymotion」にあった動画リンクを下記に。
https://www.dailymotion.com/video/x7i6h4_opening-credits_shortfilms
 

編集・長田千鶴子が証言した「次のタイトルの文字の位置と重ならないようにしたい」という市川崑のこだわりは、正確には「クレジットシークエンスの連続するフリップにおいて、おなじマス目に文字が入ることは避けたい」という趣旨だったのだろうとおもわれる。(略)
[『病院坂の首縊りの家』特報では]
「佐久間/良子」「あおい輝彦」「桜田淳子」「草刈正雄」の18文字が、三行×六列のマスをビックリと埋め尽くし、グリッド構造があらわとなるのである。それはあたかも18個の金属活字を並べたかのような情景だった。

一、金属活字風もしくは旧字体風の印象をあたえる写植書体の選択。
二、新聞紙面などにみられる極端に高いジャンプ率へ変遷するグリッドパターン。
三、書字方向の黎明期を連想させる縦横混在型のレイアウト。
四、大正末期の新聞広告にみるL型配置の共通性。
五、金属活字のボディを連想させる縦横ベタ組みによる組版
六、動画においてグリッド構造を可視化しようとする配置へのこだわり。
七、映画『病院坂の首縊りの家』の「特報」題字にみられる新聞紙面を連想させる表現。

50年代題字は市川自身の手による手書き明朝体

作品の雰囲気に文字の表情をあわせているのは当然として、それらの文字の輪郭線がにじんだように描かれている点ではすべてが共通する。経年劣化やフィルムの品質を差し引いても、文字のアウトラインは相当に揺れている。
 このことは、題字を溝引き技法で作図したことを示している。溝引きとは、墨のついた絵筆とほぼ同じ長さの棒をともに握り、絵筆の先端は紙のうえに、棒の先端は定規の溝にあわせてスライドさせ、真っ直ぐな線を描くドローイングの技法である。このとき筆を適度に揺らすと線の太さや文字のアウトラインに変化がつき、遠目に見ると全体的ににじんで太くなったり、かすれたりしたような文字に見せることができる。市川崑はこれに加筆して、さらににじみやつぶれを強調しているようなのである。(略)
物体としての活字の重量感や、ざらっとした紙の質感、押しつけてはみ出したインクの雰囲気や匂いといった総体を、明朝体活字のリアリティだと了解していたのかもしれない。

L字型配置が登場した1957年『穴』

1961年、いちはやく写植導入

映画会社には「書き文字屋」とか「図案家」、「タイトル屋」などとよばれる専属の宣伝部や下請けがいて、映画作品の題字やクレジットを一手に引き受けていた。自分でタイトルを手掛ける市川崑は例外中の例外。(略)書き文字屋のなかには特徴的な筆文字を操る者も多く、その腕一本が飯のタネという気概がある一方、簡易に文字を複製する写真植字の進出が職域を脅かすことに危機感を抱いてもいた。
(略)
おそらく『黒い十人の女』のクレジットに写真植字を使うよう提案したのも市川崑だったろう。書き文字職人の仕事を奪いかねない決定だったはずだが、タイトル屋としてのキャリアも長く職人たちに一目置かれる監督には、誰も文句のつけようがなかったのかもしれない。(略)
日本映画のクレジットに写真植字が増えはじめるのは70年代中頃。

[出演者が]カメラ目線で微笑み、その余白部分に明朝体がストイックに重ねられるのである。(略)おそらく写研の「石井太明朝体ニュースタイル仮名」であろう。

東京オリンピック』、亀倉雄策

 『東京オリンピック』のエンドロールは競技場面のモノクロ写真に、約280名の膨大なスタッフネームが重なる。固定フリップでパッパッと表示したかとおもえば、そこにロール式フリップがすっと流れ、観る者を飽きさせない。このときのタイポグラフィがグリッドシステムを基調としたものだった。(略)
[グリッドシステムは当時の日本のデザイナーたちが注目していた機能主義デザインの方法論]
市川崑が本作を契機として最新のヨーロピアン・デザインに急接近したことは間違いない(略)
これまで作品の現代性をアピールするのに欠かせなかった長方形の帯による構成が本件には見あたらない。水平垂直の太い罫線を多用した造形は1920年代のロシア構成主義バウハウスに多くみられた手法だ。それが50年代以降、インフォメーションの機能を優先したスイス・スタイルでは、太い罫線は意味のない装飾だとして画面から排除する傾向にあった。つまり、『私は二歳』『ど根性物語・銭の踊り』は戦前に開発されたデザインスタイルを、『東京オリンピック』は公開当時の現代的スタイルを踏襲していたといえるのである。(略)
[これを指南したのが]美術監督亀倉雄策であった可能性はきわめて高い。

東京オリンピック

東京オリンピック