厄介な翻訳語

厄介な翻訳語―科学用語の迷宮をさまよう

厄介な翻訳語―科学用語の迷宮をさまよう

パーチはスズキか?

そもそもperchは単一の種ではないし、分類は科のレベルでちがっている(スズキ目の科の分類は目下大混乱をしているようなので、将来どう変わるかはわからないが、とりあえず現在パーチはペルカ科、スズキはスズキ科に属する)。世界の魚類の三分の一以上、日本産魚類なら半分近くがスズキ目の魚であるから、[英和辞書の語義]「スズキ類の食用淡水魚」という言い方は何も言っていないも同然で、食用淡水魚であることしかわからない。
(略)
そもそもスズキ目の正式な学名Perciformesを直訳すればパーチ型の魚という意味なのである。言い換えれば、パーチが典型的な硬骨魚であるスズキ目の代表と考えられたということである。誰が最初にスズキ目という和名をつけたのか調べがついていないのだが、日本人にもっともなじみの深い名を使って、タイ目としてもよかったはずである。perch=スズキという誤った図式が目の和名に影響を与えた可能性がある。
(略)
日本産のスズキ(Lateolabrax japonicus)は英語でどう呼ばれるかといえば、Japanese sea bass またはJapanese sea perchである。エッ、sea bassとsea perchが同じなの?ブラックバスのバスとパーチが同じだというの? じつは同じなのである。bassの語源は中世英語でperchを意味するbarsであって、狭義には、bassは英国のperchすなわちヨーロピアンパーチのことなのである(略)そんなわけで、パーチをスズキと訳すのは、ブラックバスをスズキと呼ぶのに等しいのである。
 フランス料理でスズキと訳されている魚の原語はbarで、これもbassのことだ。
(略)
[ブラックバスオオクチバス属八種の総称で]
オオクチバス属はサンフィッシュ科に分類されるので、英語でsunfishと呼ばれることもある。(略)
ここにまた誤訳を生むもとがある。というのは、辞書でsunfishを引くと真っ先にマンボウが出てくるからで、翻訳小説に湖でマンボウを釣り上げたなどというトンデモない記述が登場してしまうことになる。淡水でsunfish釣りの話がでてくれば、ブラックバスブルーギルのことだと思わなければいけないのである。

動物王国 animal kingdom

これは分類学上の用語で、「動物界」と訳さなければならない。(略)「王国」では具合が悪い。(略)
英語のanimalおよびplantの意味での動物、植物という概念はもともと日本語には存在しなかった。もちろん、「動くもの」という意味の「動物」という言葉はあったが、それは話がちがう。animalは、日本語の獣・鳥・虫・魚介をひっくるめたものである。ところが日本ではanimalが獣だけを意味すると受け取られる傾向があり、今日でも、昆虫や魚、鳥などを「動物」と呼ぶことに違和感を覚える人は少なくない。
(略)
 一方、日本語の「獣」にぴったりと対応する英語としてmammalがある。これは哺乳類とすべきものだが、一流の動物学者でもいまだに哺乳動物と書く人は多い。

worm ミミズ

earthwormと書かれていればまちがいなくミミズなのだが、ただwormだけなら、そうとは限らない。(略)
日本語で簡単に言えば、「細長くて、背骨も手足もなく、くねくね動く小さな虫」のことである。(略)日本語でふつう「虫」と呼ばれる動物で、昆虫以外のものは、ほとんどwormなのである。
 「虫」がもともとはマムシ類を指し、正字である「蟲」は、本来は動物全般を指す言葉であったのが、「蟲」の略字として「虫」が使われるようになったとき、鳥、獣、魚介に入らないその他の動物を一切合切ほうりこむカテゴリーとなったとされる。そういう歴史的な経緯があるため、「虫」のなかにwormも含まれることになる。
 ところが逆は真ならずでwormを単に虫と訳すと誤解を招くことになる。wormに厳密に対応する日本語として、「蠕虫類」という立派な訳語がある。しかし、これはほとんど死語となった学術用語で、現在では例外的に寄生虫学で、線虫類、吸虫類、条虫類の総称として使われているだけである。

beetle

鞘翅目の総称であって、甲虫と訳すべきものだ。これをカブトムシと訳すのは明らかな誤りである。[rhinoceros beetleならカブトムシでよいが]
(略)甲虫には、カブトムシ以外に、クワガタムシ、カミキリムシ、ホタル、テントウムシ、ゾウムシ、オサムシゲンゴロウなど多士済々な昆虫が含まれる

バストと墓碑

女性のスリーサイズというのはまったくの和製英語(略)
バスト(bust)はフランス語のbusteからきたもので、体の上半身、胸像を意味する。さらにもとをたどれば、ラテン語のbustumだが、これはなんと墓碑のことである。墓に胸像が置かれるという風習にバストの語源があったと聞いて、あなたは胸躍らせるか、それとも胸が痛むか、それとも胸を打たれるか。

喘ぐファンタジー

イヌがハアハアいって喘ぐのをpantと呼ぶが、これはラテン語のphantasiareが語源で、なんとあのファンタジーもここからきているという事実を知れば誰もが驚くだろう。ファンタジーというのはもともと病的な状態で見る幻覚や悪夢だったようで、うなされて喘ぐことを指していたらしいのである。幽霊をphantasmaというのも、ここからきているのである。