遁ヅラ宮台インタビュー

宮台“遁ヅラー”真司論文にインタビューを追加した本。
なるほどこんな理解不能な論文を書くように教育されるから、この手の学者の文章はあのようになるわけかと納得しつつ、インタビューから引用。

システムの社会理論―宮台真司初期思考集成

システムの社会理論―宮台真司初期思考集成

自己啓発マッチポンプ

 こうした着想の個人的なルーツはアウェアネス・トレーニングです。日本では後に自己啓発セミナーと呼ばれるようになりました。最初に体験したのは修士1年だから1982年。アメリカから日本に入ったばかりの頃です.そこでの体験で、意識生活のホメオスタシスの提供が産業化される、広い意昧での可能性について、考えました。(略)
私が関わった1980年頃は、霞ケ関の役人、大学研究者、プロミュージシャン、アーティストなど、既に成功したエリートが来訪していました。
 ちなみに1985年を境に来訪者の質が変わります。癒しを求める「生きづらい系」がメインになります。それで私は完全に離脱したわけです。(略)大規模な宗教ブームが始まる時期なんです。
(略)
レーニングの真髄を一言で伝えれば、「自己のコントロールには、欲望を意志の力で禁圧するやり方もあるが、欲望自体を書き換えるやり方もある」となるでしょう。
(略)
 最初はこうしたメソッドでの自己コントロールに興味があったのが、すぐに自分自身より、トレーニングに来ている参加者たちに興味が向くようになりました。
(略)
ナンパ師時代の私がそうだったように、性的コミュニケーションを膨大にこなしていくと、「現実の性愛にはもはや期待しないが、心の中ではどこかで包括的承認を望むような心性」、つまり「期待水準が下ったものの、願望水準が高い状態」に陥ります。この願望水準を宗教がターゲットにするとも言えます。(略)
ところが95年のオウム事件で宗教が頓挫した後、「性の相対化を宗教で埋め合わせる」回路が機能しなくなった結果、現在、包括的承認を巡るアノミーが広く展開している状態ですよね。
(略)
個人的尊厳の破壊については、とりわけ「論壇はお座敷だ」と批判する文脈で、ある種のエラそうな男たちや女たちの尊厳すなわち自己価値や自己信頼を徹底的に破壊することを、目標の一つに据えていました。私の場合も、フーコーと同じく、社会学的記述による、社会秩序破壊と個人的尊厳破壊は、最初から目標でした。
 ただ、正確を期していえば、文章執筆だけでそれをやったわけではありません。私が持っていた何百人という女子高生ネットワークをテレビや雑誌に紹介して、「こんなことをこんなふうにやってるんだよ」みたいなことを言わせまくったのです。
(略)
自分で惹起した動きを自分で取材するマッチポンプは、『アエラムック社会学がわかる』で書いたようにもはや社会調査とは言えません。

「生きろ」というメッセージの真意

『終わりなき日常を生きろ』という命令文は、ベタに取れば「うまく生きろ」と言っていることになります。でもこの「消費の機能分析」の末尾の註では「単にうまく生きているのはダメな奴だ」と言っていることになります。私の考えでは、これは両立することなのです。私の頭の中では、今でも両立しているんですよ。
 私に対する批判に(略)「強者のことしか考えてない」というクリシェがあります。この批判に応答できるのがその部分です。うまく生きることが余裕でできるキャパシティのある奴が、単にうまく生きているというのは、はっきり言えば馬鹿と完全に同義だと申し上げたい。
 ごめんなさい。わざと実存的な言い方をしますがね。他方に、うまく生きられない奴、即自的にうまく生きられない奴がゴマンといます。そうした連中に「コミュニケーションスキルをつけろ」みたいに傷口に塩をすりこむ説教をするのはナンセンスなので、こうすればうまく生きられるよと提案することに意味があるわけです。
 その意味で、「終わりなき日常をまったりと生きよ、それがうまいやり方だよ」という指南は、対象を一枚岩に想定しているわけじゃ全くない。例えば「私のような人間」は対象ではない。だから、福田和也氏が上梓直後に「いちばんまったりしていないのが宮台」と揶揄したのは、その通りですが、この本への批判にならないのです。

見田宗介

[※一応書いておくと、この話の前に、廣松渉は「心の師」と語っている]
見田宗介氏は、僕が昔から今まで尊敬してきた、最も狡猾な戦略人です。見田宗介は、本当は左翼をバカにしていたし、弟子をバカにしていたと思います。1960年代末の廣松渉との『思想』での対談で、そうしたことを漏らしておられます。(略)
自分がそういう存在として世界の中に投げ与えられているということ自身を冷たく見る、みたいな不思議な視線があるんですね。それが見田宗介の魅力だと僕は思います。(略)
 その現れが、驚異的なパラフレーズ能力です。例えば、見田宗介廣松渉と対談する場合、廣松の議論に賛意を表しつつ、廣松渉物象化論を見事に見田用語に翻案し、議論の形も残らないぐらいにしてしまうわけです。この力は、見田が「メッセージに内在しきれないがゆえに戦略的たらざるを得ない人であること」を表しています。
 見田宗介は、そういうある種の狡さとも言えるような特有の自己疎隔的な認識力を、自分がもっているという事実に、ちゃんと自覚的だったように思います。また、その事実を廣松渉も知っていたと思うんですよね。というのは、この面でいえば、廣松渉が同じような人だからです。(略)
 彼が若い頃に書いた文章を読むと、思考図式の聡明さもさることながら、文章がうますぎるので、自分が文章がうますぎることにこの男は気がついているなと確信させられます。(略)
文章がうますぎることに気付くとは、どういうことなのかというと、自分のやっていることが戦略的なパターンの組み合わせであることが、明瞭に見えてしまうということじゃないかと思います。僕がさきほど自己疎隔という言葉で申し上げたことの原型が、ここにあるんじゃないかと思うんです。(略)
もっと文章が不自由であれば、素朴に書くしかないので、彼が置かれた状況や文脈が伝わるんだと思うんですけど、なにせうますぎるので、書いたとおりに伝わってしまう。それを「意」ではなく「知」が伝わってしまうという意味で、主知主義と呼んでもいい。
 見田宗介は、いろんな選択肢からいくらでも書き方を選べるぜ、というような感覚が若いころからあった人なんじゃないかと思うんです。だから、逆に僕のような人間から見ると、見田宗介がペテン師に見える、というか、もっと正確にいうと、そのように自覚しているんじゃないと見えるわけです。中沢新一氏などにも共通しています。