吉本隆明人生相談・ばなな篇

ばななのお悩みに隆明が喝!って感じの、新潮10月号吉本親子対談が面白かったので借りてきた。その前に少しフェミ話。

新潮 2010年 10月号 [雑誌]

新潮 2010年 10月号 [雑誌]

  • 発売日: 2010/09/07
  • メディア: 雑誌

男女同権の今後

[男女同権にでいこうとした明治の世代は強固な因習等に敗れる]
しかも、本来なら、それは男女にとって同じ失敗であるはずなのに、男の方は以前からの因習があるので、失敗しても、また違う女の人と一緒になれば大丈夫で、なんだ、俺の考えでいけるじゃないかと思えるんだけど、女の人はそうはいかないので、もう人生の破局だということになって、自殺する人、病気になる人、頭がおかしくなる人……。(略)
[金持ちの白樺派のような]
例外を除くと、明治初代の解放された男女による共同の家庭づくりや住まいというのは、大抵みんな破れています。その頃に比べたら、今はだいぶ続いてきたこともあって、女性の社会的な優位が認められつつあるような気もしますが、内心では女の人が自分の古さを自分で扱いきれなくなっていることなんかも含めて、さまざまな問題が起こっているように思います。(略)
[今後どうなるかといえば]
たぶん、女性の社会的な働きをすこし緩めて、それでなんとかやっていく状態に変わるんじゃないかな。だから男女同権を主張して突っ張ってきた政治運動家とかが、最初にその被害をこうむるだろうというのが僕の予想です。(略)そういう政治活動と家というのは全然違う、ということにだんだん気づくことになるんじゃないか、と思っています。

娘への忠告

ばなながデビューした頃、駄目になったら俺が引導渡してやるみたいなことを吉本が言ってた記憶が。

ばなな あとひとつ小説に関して聞いてもいいですか? この間、お父さんが急に、「わかった! きみは自信を失ってるんだよ」って私に言ったんです。そして、「自信は、今すぐにでも取り戻せるから、今取り戻せばいい」って。「それは個人的な自信ですか? それとも、小説的な自信ですか?」と聞いたら、「いや、それは両方だろうな」と。もしよければ、その話をもうすこし詳しく聞けたらと思うんです。それは私だけじゃなくて、小説を書いている多くの人にとって、ある程度当てはまることだと思うので。
吉本 自信の有無がどこに表れてくるかというと、いい言葉が見つからないから、言葉が悪いけれども……。
ばなな 本当に悪そうで、ドキドキするんですけど(笑)。
吉本 人から見ると、なんとなく「にごり」を生ずるという感じが出てくるよって、たしか言ったんじやないかな。
ばなな うん、そうです。
吉本 根本的には、そう思っています。
ばなな それは、キレが悪いってことですか?
吉本 そうそう、踏ん切りが悪いっていうのもあるし。たとえ知識は多くなくても、自分なりにこういう考え方を持っていますよ、という自信。それって結局、その人なりの自信ですけど、それがあると、傍から全然関係ない人が、たまたま出会って話を聞いただけだとしても、にごりがなく見える。
 でも、自信がない時は、どんな偉い人が言っていることでも、なんかにごりを生じている感じがするわけです。これは間口が広い狭いとか、知識の有無とは関係ないことで
(略)
そういう時は、そのにごりを取りさえすればいい。要するに、自信を持ちさえすればいいんだよって。例えば、自信がある時に書いたものとない時に書いたものでは(略)にごりの度合いが違って、他人から見るとすぐわかるんです。
(略)
[自信喪失が]他の人にわかるような時というのは、もうご当人はとっくにわかっているはずなんです。わかっているけど、言わないか言えないんですね。本当は自分が自分に対して言うべきなのに、それが言えずに人任せになっている。だけど、自分が自分に対して言うことができなければ、とくに文学なんて、作品にはならないわけです。だけど、そういうふうに考えるというのはあまりに厳しいことなので、わざと自分を外して書いている作家というのがいます。(略)
しかし、僕に言わせれば、いくら頑張っても、その状態を脱しなければ、その人は進歩しないですよ、ってことは確実に言えますね。つまり、自分を外して書きゃあ(略)通俗推理小説と同じで、そんなものは書けっていわれたら、いくらでも書けるわけ。
(略)
本当のいい小説というのは、その中に必ず半分以上は自分自身が書かれています。他人の名前だったり、違う物語になったりして、表面的には姿を変えていても、「あ、これを書いた人はこういう人なんだ」と、わかる部分が必ず半分は入っている。そういうものが入ってない作家は、流行る流行らないにかかわらず、少なくとも僕は、第一級の作家だとは思わない(略)ただ、これはやっぱり相当きつい作業なんです。
(略)
要するに、書くことと生きることは同じじゃないかって言いたいわけ。なおかつ、自分が自分に告げるというか、自己が自己にしかわからない、人には言えないようなことこそが、大切な部分なんだよって。それを人に告げたって告げなくたって構わないんですけど、たやすく人には告げられないような何かが入っていないと、一級品にはならないと考えて、まず間違いないと思います。