音楽嗜好症

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々

春樹テイストな症例

[落雷で臨死体験後]
生活が一見いつもどおりに戻ったころ、突然、ピアノ音楽を聴きたくてたまらないと感じた。(略)
「私は楽譜がほとんど読めなかったし、ほとんど弾けなかったけれど、独学を始めました」。(略)チコリアは頭のなかで音楽を聞くようになった。「最初は夢のなかでした、私はタキシードを着てステージにいるんです。自分が書いた曲を弾いていました。目が覚めてびっくりしましたが、音楽はまだ頭のなかにありました。だからベッドから飛び起きて、思い出せるかぎりを書き出そうとしてみました(略)
自分自身の音楽がわいてきて、私をとらえたんです。とても強力な存在感でした」
(略)「周波数か、無線帯域みたいな感じです。私が心の扉を開けば、それがやって来るんです。(略)干上がることはないんです、どちらかというと、スイッチを切らなくてはなりません」(略)
ひょっとすると、自分は特別な目的のために「救われた」のかもしれない、と彼は思い始めた。
 「私が生き延びることを許された唯一の理由は、音楽なのだと考えるようになりました」

失音楽症

[「メロディーは音楽的な性質を失い、非音楽的で不快な特性を獲得することがある」という症例が想像できなかった著者は、ある日それを実体験]
運転しながらラジオでショパンのバラードを聴いていた。すると音楽が奇妙に変質した。美しいピアノの音色が高さと特性を失い、二、三分のうちに、不快な金属性の反響を伴う単調な騒音に変わったのだ。まるで鉄の板にハンマーを打ちつけてバラードを演奏しているかのようだ。(略)
[数分で元に戻ったが]
 二、三週間後、ショパンマズルカをピアノで弾いていたとき、似たようなことが起こった。またもや音の高低がほとんどなくなり、音楽が崩壊して、不快な金属性の反響を伴う不穏な騒音になったかのようだ。しかし今回は同時に、視野の半分に明るくきらめくジグザグが広がった。私はよく、片頭痛に襲われているとき、そのようなジグザグを経験する。

絶対音感

 フィンランドの昆虫学者で、虫の羽音のエキスパートであるオラヴィ・ソタヴァルタにとって、絶対音感をもっていることが研究に大いに役立っていた。(略)[虫の羽ばたきの]正確な振動数を耳で判定することができた。蛾のPlusia gammaが出す音は低いファのシャープだが、彼はもっと正確に、毎秒46サイクルという振動数を推定できた。

共感覚

[マイケル・トーキーは五歳で音楽の才能を見せた]
 ある日彼は先生に言った。「僕はその青い曲が大好きです」
 先生は聞きまちがえたのかと思った。「青い?」
 「そう、ニ長調の曲……ニ長調は青ですよ」とマイケル。(略)
彼は音楽の調についている色は誰にでも見えるものと思っていたのだ。この共感覚が誰にでもあるわけでないことがわかってきたとき、彼にはそれがどんなふうなのか想像できなかった。(略)
ト短調はただの「黄色」ではなく、「黄土色」または「黄橙色」だ。ニ短調は「火打石か黒鉛のよう」、へ短調は「土のような、灰のような色」(略)単一の音や別々の音高に色は見えない。(略)
 もう一人の作曲家、デイヴィッド・コールドウェルにも音楽の共感覚があるが、まったく種類がちがう。マイケルがト長調を黄色だと言っている話をすると、彼は「それはちがいますよ!」と叫んだ。(略)共感覚者にはそれぞれ独自の色の対応があるのだ。
 デイヴィッドの場合、色と調の関係は双方向だ。わが家の窓の下枠にはまっていた透明な山吹色のガラスを見て、彼は変ロ長調を思い浮かべた。(略)
 デイヴィッドには絶対音感がないが、すばらしい相対音感がある、たくさんの歌や楽器の音高を正確に憶えていて、どんな曲でも何の調で演奏されているのかをすぐに推論できる。
(略)
クリスティン・レーヒーは、文字、数字、曜日だけでなく、それほど特定的ではないが音楽にも、強い色の共感覚がある。(略)
 クリスティは絶対音感がなく、異なる調の本質的な差を認知できない。しかし文字についている色が音階の文字にもついているので、ある音がDだとわかれば、Dという文字と同じくらい鮮やかに緑色の感覚が引き起こされる。(略)ギターのチューニングで弦の音高をE(青)からD(緑)へと下げていくときの色の感覚を、次のように表現した、「深く濃い青……青があせて、ざらざらした感じになっていく……きめの粗い薄い緑……なめらかで純粋で深い緑」
(略)
[スー・Bの場合]
音楽を聞くと、小さい円か縦棒の光が見えて、音が高くなるとそれが明るく、白く、銀色っぽくなっていって、音が低くなると、きれいな深い栗色に変わるんです。音階を上がっていくと、明るい点か縦棒のつながりが上へと移っていって、モーツァルトピアノソナタみたいなトリルの場合、光が点滅します。バイオリンの歯切れのいい高音はくっきり明るい線を浮かび上がらせますが、ヴィブラートをかけて演奏される音はちらちら光ります。いくつかの弦楽器が一緒に演奏されると、横棒が重なり合うか、メロディーによっては、一緒にちらちら揺らめく影のついた光の渦巻きが見えます、管楽器の出す音は扇形のようなイメージです
(略)
バロン=コーエンとハリソンが書いているように、「人はみな、もともと色が聞こえる共感覚者だが、生後三ヵ月くらいでこの二つの部位の接続がなくなってしまうと、共感覚を失う」のかもしれない。(略)
幼少期に視力をなくすと、逆説的な話だが、視覚的心象を描く力や、あらゆる種類の感覚間の接続と共感覚が強まる場合がある。(略)ふつうなら完全に機能する視覚システムに抑制されているものが、解放される現象が起こるようだ。

トゥレット症候群ドラマー

[ジャズ・ドラマー、デイヴィッド・アルドリッジ回想録から]
私は六歳のときから、飽きるまで、リズムに身を任せて車のダッシュボードをたたいていた。(略)テーブルをトントンたたくことで、自分の発作的な手や脚や首の動きを隠すことができるとはじめて気づいたその日から、リズムとトゥレット症候群は絡み合っている。(略)私はトゥレット症候群のとてつもないエネルギーを利用し、高圧の消火ホースのようにコントロールすることを覚えた。(略)私は膨大な音の宝庫と体感覚を生かすことを許され、目の前の自分の運命を悟った。私はリズム・マンになる運命だったのだ。

ウィリアムズ症候群

[多くがIQ60未満]
音楽療法士シャーロットはとても慕われているようだ。三歳の小さなマジェスティックは、内向的で周囲の誰にも何にも反応しなかった。彼はいろいろな妙な音を立てていたが、シャーロットがその音を真似始めると、とたんに関心を示した。二人は音を連発し合い、それがすぐにリズミカルにパターン化し、やがて楽音になり、短い即興のメロディーができていく。この出来事でマジェスティックは目を見張るほど変化した。夢中になり、(自分より大きな)シャーロットのギターをつかんで、自力で弦を一本一本つま弾いた。その視線はずっとシャーロットの顔に釘づけになり、彼女から励ましと支えと指導を引き出す。しかし診療が終わってシャーロットがいなくなると、すぐに以前の無反応な状態に戻った。(略)
ウィリアムズ症候群患者の音楽的才能は、音楽サヴァンのそれとは異なる。なぜならサヴァンの才能は十分に開花した状態で出現し、いくぶん機械的で、学習や練習による強化がほとんど必要なく、他人からの影響にほとんど左右されないように思える。それに対して、ウィリアムズ症児の場合、人と一緒に人のために音楽を演奏したいという強い願望がつねにある。