芝生公園は破壊された森

4千万本の木を植えた男が残す言葉

4千万本の木を植えた男が残す言葉

雑草は最も弱い植物

[農耕地ではどんなに草取りをしても雑草は繁茂するが、耕作放棄すると3、4年で消えてしまう]
雑草にとって人の手が入らない「最高の条件」のまま1年放置すると、短期一年生の耕地雑草よりも競争力が強く、草丈が高くなる二年生(越年生)雑草といわれるオオアレチノギク、ヒメムカシヨモギヒメジョオン、また多年生のヨモギなどの路傍雑草が繁茂しはじめます。
 そして2〜3年経つと、セイタカアワグチソウや草原性のススキ、チガヤ、林縁生のクズやカナムグラが繁茂するようになります。
 こうして、あれほどしぶとく生育し続けて農家の人をてこずらせていた耕地雑草は、みごとに姿を消してしまいます。
(略)
 雑草は、たえず耕す、除草するという最も厳しい人為的干渉のもとで生き延びてきました。耕地雑草の戦略的な特性は、まかれた作物より遅く芽を出し、早く生長し、早く花を咲かせ、種子を結実させることで、これを「早産性」といいます。
 また、早く種子が落ち、軽くて容易に飛散するのが特徴で、これを「離脱性」が高いといいます。
 かつて人間が、野生植物から、ヒエ、ムギ、キビなどをつくるようになった際、種子を改良することによって早産性や離脱性の高い雑草の特性を克服しようと考えました。
 雑草は、人が触れるだけで種子がバラバラと落ちます。したがって、作物は草を刈ったり運んだりして動かしても容易に種子が落ちないように改良したのです。その結果、現在、安心して田畑で作物が栽培できているわけです。

ほそぼそと生息

「雑草」と呼ばれる野生の草本植物は、もともとはこのように定期的に冠水して新しい腐葉土が堆積するところ、あるいは山地で斜面が崩れて表土が絶えず堆積する断崖の下のような、富養ではあるが土が絶えず攪拌される不安定な立地に、ほそぼそと局地的に自生していたのです。
 しかし、人間が定住を始め、焼き畑や水田耕作で土を耕し、下草や落ち葉、人間や家畜の排泄物などを施肥するようになったことで、土壌に含まれる窒素を好む一年生の野生植物が、畑や水田の主として君臨するようになりました。

都市公園の原型は「荒れ野景観」

肉食を主とするヨーロッパの人々は、有史以前から家畜を林内に教牧して、下草、つまり“下の森”を食い尽くして破壊しました。そのために“上の森”も破壊され、森が失われてしまったのです。(略)
 そして、驚くことに、この破壊された風景こそが日本の行政機関が今なおつくっている都市公園の原型となっているのです。
 膨大な税金を投入してつくられる都市公園のモデルは、実はドイツ語の「Parklandschaft」。直訳すると「公園景観」ですが、これは家畜の過放牧で下草が食い尽くされて森が破壊された風景、いわば「荒れ野景観」を意味しています。
(略)
[本来の森が貧化して成立した芝生公園が、「モダンな市民の憩いの場である」と見なされて、明治以降、画一的につくられた]

管理不要な森

[自然の森は多層構造で]
互いに少しずつ我慢して共存しているのです。これが最も健全で、長もちのする土地本来の森の姿です。(略)
「場」を無視して単一植樹を行うと、管理費や維持費がいつまでも必要になるだけでなく、植物、森林そのものが長もちしません。森は主木ばかりでは育たないのです。(略)
[その土地にはない]いわゆる客員樹種を人工的に植林した単層群落では下草刈りなどの管理が必要で、自然災害に対しても大きな被害を受けやすくなります。[台風などで容易に倒れ洪水を引き起こす]
(略)
 それに対して、土地本来の樹種は、植えて3年も経てば管理費は不要です。時間と共に確実に生育し、多彩な防災・環境保全機能を果たす、土地本来の森になるからです。したがって、長期的には地域経済とも共生できる、真にエコロジカルな森です。

広葉樹は本当に金にならないか?

[広葉樹では金にならぬと針葉樹を植え] 管理を20〜30年続けてようやく木材として売れるようになったころ、はるかに安い外材が輸入されるようになって価格的に大きな差がつき、伐れば赤字、出せば赤字で、そのまま放置される植林地が増えてしまったのです。
 しかも、生物は弱ると子孫を増やそうとして生殖活動が盛んになり、より多くの花粉を飛ばします。
(略)
落葉広葉樹のケヤキなどは(略)胸高直径が80m以上の大木は、1本が教百万円から1000万円以上の値がつくということです。(略)
以前は「広葉樹は硬く、曲がりやすい」といわれていましたが、ノコギリやカンナなどの鋼もよくなっているし、今日ではいろいろな加工法で、あまり狂わない広葉樹材ができるようになったとドイツなどではいわれています。(略)
[広葉樹が金にならないというのは過去の迷信]

混植・密植の「宮脇式」

 植樹後2〜3年間は、年に1、2回、雑草を取る必要はありますが、その後は自然淘汰に任せ、森に育つのを見守ります。つまり、3年経てば、労力や管理費はいらないのです。あとは自然に任せるだけなので、まったく負担のない形でその土地本来の森が再生されていくわけです。将来、必要に応じて横枝は切っても、頭部は切りません。

生物多様性とは

ただ生育している植物や生息している動物の種数が多いという意味ではありません。人間社会にたとえていえば、火事現場のように野次馬など烏合の衆が集まるような、いわゆる不安定な立地に一時的に多くの種類の生物、植物が生息・生育しているのは見かけ上の多様性で、真の生物多様性ではありません。
 それぞれの地域で、持続的に安定した土地本来の自然の森やその周辺の草原、湿原などの総合システムの中でみられる、相互触発的でダイナミックな多様性であるべきです。

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