ローマが風景になったとき

現代では油彩屋外スケッチは当たり前のことだが、近代以前風景画はアトリエの中ですすめられた。そのはじまりを知るには18世紀後半のローマに注目せざるを得ないという話。
Thomas_Jones

外界との私的な対峙

[20世紀半ばに世に知られるようになったトマス・ジョーンズは、1782年、ナポリの建物の壁をモチーフにした「早熟のモダニティ」を体現する作品を残した]
慣習的な古典的風景画から離れ、異例なまでの単純さと直接性をそなえた、彼ならではの視覚世界(略)平面をモンドリアンのように幾何学的にデザインし、いかなる出来事とも無縁の圏域をはっきり示している。(略)
いかなる芸術の流派や運動とも結びつかない、外界との私的な対峙は、19世紀ヨーロッパの風景画をはっきり特徴づける本質的な原理――写実主義的な態度、文学的主題の放棄、自然との直接的な交感――を明らかにしている。
 1782年のジョーンズと比較しうるフランス人画家が一人だけいた。その画家とはピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌである。(略)
これらの作品が私たちの関心を引くのは、技法や制作時期が同じということもあるが、それ以上に大きな理由となるのは、外側の世界の捉え方がよく似ていることである。壁や屋根を眺める画家の知覚には、フレームによる切り取り、思いがけない構図の出現、偶然による光と大気の効果など、いくつかの要素が介入していた。これらの作品には、広大な全体から部分を選択し、その部分をありのままに描写しようという画家の自発的な意思を読み取ることができる。(略)
[油彩風景習作の]火付け役をはたしたのは、実際にローマで油彩の風景習作に専心し、生気あふれる作品を次々に描きあげたヴァランシエンヌであったように思われる。
 古代彫刻や巨匠の名画を型どおりに学ぶ作業から逃れたい。アトリエの中だけでなく太陽光の下でも描いてみたい。感興をそそられるモティーフに出会える場所を把握しておきたい。五感で体感したものすべてを作品に注ぎこんでみたい。自分の感受性に適した視点を選び、その視点からみた光景を率直に描写したい。

『ローマの屋根』ヴァランシエンヌ
Pierre-Henri
断片

風景習作は、

伝統的な芸術実践の内側に抜け道――リアリズムを要求する近代絵画につながるバイパス――をつくることを可能にしたのだった。(略)
新古典主義が支配的であった1800年前後、粉飾のない絵画にも固有の価値があるという考え方は確実に広がりをみせていた。(略)世紀の変わり目には、理論家たちによってイデアの世界と現実の世界の二極化がおしすすめられ、完成作に含まれる部分ではなく、完成作から離れて孤立した部分である「断片」が、それまで以上に注目されたのだった。(略)
[ターナーは1811年の講演で]
今日目にしているように、私たちには断片bitsからつくりあげられた絵画ではなく、断片の絵画が残されているのです。
(略)
 「断片」の絵画は、必要に迫られて出現した。すでに述べたとおり、外界を見渡す人間には無数の知覚経験が生じるが、それらの知覚経験を描くには、外界をさまざまな視点から自由に切り取る断片化の手法が適していた。

ボードレールの批判

1859年のサロンに出品された風景画の作者たちを評して、シャルル・ボードレールはこう述べている。
 彼らは芸術のための辞書を、芸術そのものと思い違えている。彼らは辞書の中のひとつの単語を書き写しながら、詩を書き写していると信じている。ところが、そもそも詩というものは、決して書き写すことなどできないものである。それは構成されることを欲している。(略)
 ボードレールにとって、芸術は自然の一部を写し取ったものではなく、「諸能力の女王」である想像力による解釈と構成を不可欠としていた。したがって、現実を記録しただけの風景画は、自然に新たな相貌を付け加えていないものであった。そして、彼は同じ1859年のサロンにはじめて出品された写真にも言及し、芸術になりえない「たんなる自然の愚かしいまでの流行」と論評している。

コロー

油彩の風景スケッチはイタリアにおいて実践されるべきだ、という定型化した考えが改められるには、1830年を待たねばらななかった。(略)[1820年代にイタリア留学をはたしたコローは]帰国してからフォンテーヌブローの森、ヴィル・ダヴレー、シャルトル、オンフルール、トルーヴィルなどを次々に描いていた。

国柄

スウェーデンの画家、カール・ヨーハン・リンドストゥルムの手になる戯画的な四点の素描は、画家たちがローマ近郊で同じように描いていても、出身地別に自然の見方と描き方が異なることを伝えている。英国人は、全体の印象にのみ関心を示し、幾何学的な正確さには無頓着であるため、コンパスや三角定規は地面に放置されている。イタリア人は、自然を描くことに熱心になれず、ローマから遠出するにしても遊び半分である。フランス人は、自然の中にドラマを求めるため、稲妻の走る嵐の情景を好んで描いている。そしてドイツ人は、生真面目に観察した自然の細部を懸命に描写しようとしている。