写真家ルイス・キャロル

写真家ルイス・キャロル (写真叢書)

写真家ルイス・キャロル (写真叢書)

少年嫌い

この奇妙な関係は、無垢な愛とよぶのがふさわしいのだろうが、少女たちが髪を束ねるようになるとたいていは終わった。

男の子だと、ルイス・キャロルは本領が発揮できなかった。彼は男の子に対する感情を、次のようになにげなく冗談めかして言っている。「私は子どもたちが好きだ。ただし、男の子は例外だ」。(略)幼い息子を連れてキャロルの家を訪問しようとしたオックスフォード大学のある友人は、「お断りする」といったはっきりした拒否の返事を受け取った際、自分の耳を思わず疑った。「彼は私が子どもなら誰でもいいと思っていたようだが、私は豚のように手当たりしだいに貪るようなまねはしない。私は吟味し、選ぶのだ」。したがって、キャロルが少年たちを写すのは、女の子のように可愛らしい場合や、彼の幼いガールフレンドの兄弟で無視できない場合、あるいは、有名な両親と知り合いになるためのいわゆる餌として利用する場合のみであった。

ルイス・キャロルは、子どもの飾り気のないネグリジェが最も絵になると考えていたので、とても多くの少女たちのネグリジェ姿を写真に収めた。彼は少女たちの母親に手紙で次のように書いた。「お子さんがフランネルネグリジェのようなものをお持ちでしたら、それがお望みどおりの可愛いドレスになります。白布であればどれもいいのですが、フランネルにかなうものはありません」。(略)キャロルは一目置いた美しい子どもたちのドレスについては、「できればコスチュームなしで撮りたいと思っています。裸の子どもたちは本当に純粋で愛らしいものです。でもグランディー夫人は激怒するでしょうから、実現はけっしてしないでしょう」と述べている。
 少年嫌いが高じて、少年たちの裸も嫌ったというのは、いかにもキャロルらしい。「正直言って、私は裸の少年に見とれるようなことはありません。私には男の子は衣服が必要だといつも思うのですが、うるわしい乙女たちには服を着せる必然性はどこにも見当たりません」

日記

1867年5月21日には裸体の子どもの撮影について初めて言及がなされている。「L夫人がベアトリスを連れてきて、私は二人の写真と、ベアトリスだけのを『衣服をつけずに』撮った」
(略)
1879年7月18日(略)「私は某夫人に、その子たちが非常に興奮しやすかったので、『裸足』さえ頼むつもりはないと言ってあったが、彼女たちがすぐに服を脱ぎ、裸で走り回るのが許されて喜んでいる様子だったので、案外いいのに驚いた。こういったモデルが手に入ったのは大きな特典だった。一人はとても可愛らしい顔で、すばらしい姿をしていた。彼女一人で、ここ最近の数多くのモデルに値した」。
 この月にはオックスフォードの子どもたちをキャロルの好みで「なにも」着せずに、毛布やソファーの上に横たわらせて撮ったという記述が多くある――「いわば私が最近撮る写真」。

矛盾

キャロルの性格のなかには、多くの矛盾が見られる。たとえば、彼は写真を撮られることを極度に嫌ったが、他人を写真に収めることにはけっして妥協しなかった。名刺写真を好んで収集したが、自分のポートレート写真を他人が集めることは気に入らなかった。また、自分が有名人扱いされたくないのに、有名人には進んで接近した。さらに彼は、サインの大の収集家だったが、他人がキャロルのサイン欲しさに手紙を書いてきたと疑いをもつと、彼はスクリプトやタイプライターを利用したり、友人に代わりのサインを頼んだりした。(略)アイザ・ボーマンが彼のことを描いた風刺画を見たとき、怒りで顔を真っ赤にし、彼女からそれを取り上げ破り捨ててしまった。これ以外にも、人から突然訪問されるのを嫌うのに、キャロル自身はなんの前ぶれもなく訪ねるといった矛盾した行為も見られた。

  • 前日の余り

鶴見俊輔書評集成3 1988-2007

鶴見俊輔書評集成3 1988-2007

渡辺一夫

東大教師になったころ、博士論文を書く資格がないから書かないと言ったところ、主任教授の辰野隆から、「傲慢だ!」と言われた。
  「俺たちは、東大の教師だということになっているから、何とかやってゆけるんだぜ。そうでなかったら、世間からはなもひっかけられねえよ」

丸山眞男藤田省三

 竹内好の通夜の席だった。藤田省三が私のそばにやってきて、自分の証言を確認させるために、わざわざ丸山眞男を車座の中につれてきて、「ぼくが丸山さんのところに行かなくなったのは、鶴見さんの『誤解する権利』についてやりあったからでしたね」と言う。
 丸山さんは藤田の話し方が狂気を帯びているのを感じて、そうだ、と迷惑そうに賛成していた。
 通夜の席から、丸山さんは体調がわるいと言って早く退席した。その次の日、本葬の席で、気分がわるいと言って横になり、この時も早く帰った。その時、あきらかに体に合わない私の外套を着て帰ってしまった。前夜の反論なしは、藤田との論争を避けていたものとわかる。

富士正晴

 出版社の社長だった人がなくなり、葬儀があった。かえりに地下鉄にのると、となりに野間宏夫人(富士正晴の妹)がすわった。
「兄の作品はどの文学全集にも入っておりません」
 と、野間夫人は話しはじめた。この単刀直入の話への入りかたは、あきらかに新しい時代のものである。
「入りますよ」
 そう私はこたえることができた。わずか以前に、文庫版文学全集に富士正晴の一冊をつくることをきめていたからだった。

ランチの女王」で妻ブッキーが竹内U子にキスしてヤクザキックされる(ここを読んだらドロップキックだった→クリートに背中を打ちつけ、しばらく起きあがれない。学問も、こつがここにあると私は思った。
 いままできた道を一度遠くまで戻り、力を得てふたたび現在に帰ってくるという方法である。