憲法政戦

二冊チラ見。

憲法政戦

憲法政戦

  • 作者:塩田 潮
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本

正当防衛権自体が有害と吉田茂

[1946年]共産党野坂参三が「戦争には侵略戦争という不正の戦争と自衛のための正しい戦争があり、戦争一般の放棄ではなく、侵略戦争の放棄とすべきだ」と質した。吉田茂は答弁する。 「国家正当防衛に依る戦争は正当なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きを認むることが有害であると思ふのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行はれたることは顕著な事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思ふのであります。正当防衛権を認むると云ふことそれ自身が有害であると思ふのであります」(『日本国憲法制定の由来』)

吉田が自分の追放解除を妨害したと鳩山は思っていたが

[吉田は著書『回想十年』で]
マッカーサー元帥が特に言うのには『だゞしそれには条件がある、鳩山と石橋の解除だけは困る』ということだった。そしてその理由としては、『鳩山の場合は、ソ連側の強い提言によって追放されたのであるから、その解除については、アメリカ側だけでは決め難いのだ』と、元帥ははっきりいっていた」
 「天皇制護持、共産主義反対を掲げて、日本自由党を発足させた。これがソ連側をして、鳩山君の追放を強く要請させ、かつ最後までその解除に反対させた主因となったと思う」

石橋はなぜ追放されたか

 追放は予期しない出来事であった。戦前、一貫して平和主義、国際協調主義を説き、軍国主義と植民地政策に反対し続けてきた石橋は追放事由に該当するなんて想像もしていなかった。
 原因はGHQとの対立だった。蔵相在任中、戦時補償の打ち切り問題、傾斜生産方式による石炭増産、終戦処理費などでGHQと衝突する場面が少なくなかった。(略)
 インフレ容認で生産力向上を目指す石橋は、インフレ退治と緊縮路線のGHQとぶつかった。(略)GHQは占領権力を恐れずに持論を堂々と説く石橋を嫌った。政界駆逐の工作を始める。47年5月、石橋を公職追放に指定した。
 追放事由は「追放該当基準の七項目」の「その他の軍国主義者および極端な国家主義者」というG項であった。戦争中の東洋経済新報社社長兼編集人としての言動がG項に該当するという内容の追放覚書を送りつけてきたが、もちろん石橋には身に覚えがなかった。

密約

[訪米前、若泉敬佐藤栄作の会話]
『核について、特別の取り決めとか、協定、条約などは一切結びたくないんだが……』
(略)
『向こうがどうしても書いたもので保証してくれ、と固執して譲らない場合は、――その可能性は非常に高いのですが、一つの方法として、合意議事録にして残し、首脳二人がイニシァルだけサインするというのはどうですか。絶対に外部には出さず、他の誰にも話さず、ホワイトハウス首相官邸の奥深くに一通ずつ、極秘に保管するということでは』
『向うは絶対、外部に出さんだろうな』
『それは、大丈夫です。強く念を押し、確認してきています。心配なのは、むしろ、こっちですよ』
『それは大丈夫だよ。愛知にも言わんから。破ったっていいんだ。一切、言わん』

刑訴法第47条但書

 刑事訴訟法第47条は「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない」と規定している。この但書を適用すれば灰色高官の公表も可能と三木は示唆した。(略)
 三木は検察との綱引きでもこのカードで最後に逆転勝ちした。(略)
全国民が、その公開を望んでいる。そして、公開しないと、国会が動かない。国会が動かなければ予算は通らず、日本の経済はますます不景気になる。そうなると、全国民の生活は、レベルが下がり、みんなが不幸になる』
 三木総理の言い分は迫力があり、安原局長はたじたじの状態だったそうだ」
(略)
平野貞夫ロッキード事件「葬られた真実」』から】
[30年後の2006年、友人の衆議院法制局OBに真相を尋ねると]
『ああ、衆院法制局にいた川口頼好だよ、先輩の』
私は『本当か!』と思わず声を張り上げた」
「その友人は、こう続ける。
『結局、川口が三木首相に入れ知恵していたのがバレたらしく、その直後、法務省から報復人事があってさ、いろいろ大変だったんだよ……』
(略)
田中角栄田中派は、休戦中、ほとんど何の裏工作もしていなかったのだ。(略)『どうせ自分を逮捕することなどできやしないのだ。三木首相が挑むなら潰してやる。検察が動けば政治で止めてやる』――最大派閥を率い、潤沢な資金力で政界に君臨してきた自信はいまや慢心となり、驕りになっていることが、この所感から読み取れる」

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ハニカミ吉田

吉田茂がシャイな人だったと聞くと、多くの人は意外に思うらしい。(略)今日出海が明かしている(略)
土佐の城址へ行くと、群衆が取り巻いた。側近が何か一言といっても、その一言が出ないのだ。それでは帽子をとって、お辞儀するだけでもと、また側の人がいうと、ぴょこんと言われた通りお辞儀をすると、ひどく恥ずかしいことをしたみたいに真っ赤になって城址を逃げ出した。(略)
「恐ろしいはにかみ屋でもある。その反作用で、不機嫌になる。自分に腹を立てるので、元来は短気な人ではないらしい」と評した。

石橋湛山、戦後第一回総選挙に立候補するもズブの素人であえなく落選

選挙に不慣れの石橋は立会演説会でも不得要領だったようで、ある日、共産党シンパの聴衆がヤジり立てるのを巧みにさばけず壇上で難渋した。出番待ちで控えていた共産党書記長・徳田球一が壇上に躍り出て、「諸君、静粛に。私は獄中生活十八年、その間『東洋経済』を愛読して経済を勉強していた。出獄してすぐ政治活動ができるのはそのおかげである。壇上の石橋湛山先生こそ、東洋経済の社長であります」

石橋湛山東京裁判を痛烈批判

「僕らは追放だけだから三年か四年」ですんだが、「首をくくられた人は迷惑千万だ」「けしからぬと思ってね。僕の追放はともかくとして、戦犯のばあいはそういう調子で裁判までやったですからね」

芦田均

 昭和二十二年、現憲法の発効に際し、当時の邦画三社が憲法記念映画の製作を企てた時、衆議院憲法審議の特別委員長だった関係で協議に招かれた芦田は、こう切り出した。「テーマが三つなら“自由民権”は大映さん、“男女同権”は松竹でしょう。すると“戦争放棄”が東宝でどうです?」――三社代表は顔を見合わせ、「芦田先生のほうがよっぽど玄人だ」と脱帽した。(略)
大映『壮士劇場』、松竹『情炎』、東宝戦争と平和』の三作として実現