吉本興業の近代化、カウス、大崎洋

襲撃 中田カウスの1000日戦争

襲撃 中田カウスの1000日戦争

  • 作者:西岡 研介
  • 発売日: 2009/11/06
  • メディア: 単行本
 

林裕章のスキャンダル処理をしていた人物が事業に失敗、その代わりとなったのがカウス
・婿養子である林裕章はカウスに妻のマサを会社に入れるな「クシャクシャにしよるから」と言った(正之助の娘であるマサは吉本は林家のものであり、いずれは息子の正樹が社長になるべきと考えている)

63年実弟弘高に社長の座を譲った(のちに内紛となるが)のは病気のためではなく、実は「マーキュリーレコード」乗っ取りを画策して恐喝で逮捕されたせいだった。
兵庫県警内部資料『広域暴力団山口組壊滅史』には検挙年月日とともに「山口組準構成員 吉本興業前社長 林正之助」と記されている。(もちろん警察側の視点であり鵜呑みにはできない。興行とヤクザの結び付きが当然の時代でもあった)

  • 大崎洋

[万人受けする従来の“お笑い”では駄目だと『2丁目』では半径数メートルだけに通じる笑いを目指した]
2丁目に出演する若手芸人にも、常々、『ここは花月とは違うんや。この劇場では、漫才は一切するな』と言っていました。(略)吉本社員でありながら、『アンチ吉本』、『アンチ花月』を標榜。(略)[『2丁目』を花月への登竜門とする会社に対し]『2丁目のタレントは花月を含めよそには出さない』という方針を徹底していた

三つ巴

[カウスを20年間干していた木村政雄が吉本を辞める一年前、横澤彪の画策で大崎の降格人事が発表されるも、大崎サイドの巻き返しで翌日撤回。大崎の取締役就任にも横澤は猛反対。他に反対したのが]
「木村さんです。彼は、裕章さんが、フジテレビから連れてきた、いわば、“外様の中の外様”である横澤さんを、吉本生え抜きの自分より先に専務に昇格させたことに不満を募らせていました。
 しかし、その一方で、かつては自分の直属の部下だった大崎さんが、自分と入れ替わりで、東京の現場を仕切り、着実に力をつけていたことも面白くなかった。だから、大崎さんの取締役就任にも反対していたのです」(略)
大崎さんは、裕章さんが亡くなった直後から社内外で噴き出した様々な問題に対し、自らが、“矢面”に立つことによって、社内の権力を掌握していった。これに対し、裕章さんという最大の“後ろ盾”を失った横澤[は失脚]

紳助

[林裕章最期の日病室を訪れたカウス談]
酸素マスクを先代がはねのけはって、ものすごい力で僕を、自分の口元に近づけはって、こう言いはったんです。
「紳助のこと、頼むぞ……」(略)
[当時紳助は暴力事件で謹慎中]
 先代は、紳助のことをホンマに心配してはりましたから、そのことをまず口にしたんでしょう。それから僕に、こう言うたんです。
 「何でも言うてこい。何でもしたるからな」
 そんな体でいったい、何ができんねん……と思いつつ、それでもギリギリの間際までそんなことを言う先代に、男としての、また組織の代表としての矜持を感じましたわ。

脅迫

[マサに委任されたという、そのスジから脅迫]
 席に着いた途端、大崎さんの、何ともいえん、憮然とした表情が目に入りました。その瞬間、
「ああ、これは相当きついカマし入れられたんやろな」って分かりましたわ。(略)
[Mは便箋を取り出し]
「ここには吉本の大株主の名前が書いてあんねん。もう、ワシは大方、回ってきたんや(略)
これくらいのちっちゃいことでも、社長の首は取れんねんで。ワシも6、7社のトップの首を取ってきたんや。(略)
完全に脅迫ですわ、そして別れ際に、Mさんはこう言い残して席を立ちはったんです。
「ワシかて、吉野の首、取りとうないんや。大崎さんが分かってくれて、ホンマによかったわ。後は頼むで、任せたで」
 この一言で、Mさんは、本気で吉本を乗っ取りにかかるつもりなんやなと思いました。それと同時に「ほなこっちも、体張って、吉本守らなしゃーないな」と思いましたわ。
 大崎さんも同じこと思ってはったんと違いますか。脅されてビビるというより、はらわた煮えくり返ってるという様子でしたから。(略)
 カウスの言う通り、大崎はその後、M、さらにはMの背後にいた林マサとの全面対決に突入していく。そして過去に裕章の“盾”となったカウスも、今度は大崎、そして吉本興業のそれとなって、今回のお家騒動の矢面に立つことになるのだ。

大崎とカウス

2人を結びつけたのは、裕章さんのスキャンダルです。といっても、その“対処法”を巡って2人は当初、対立していたんです。カウスさんは、裕章さんのスキャンダルが次々と噴出した時に『東京』、すなわち『大崎は何をやっとるんや』と怒ってはりましたし、一方の大崎さんも、カウスさんが(吉本興業の)特別顧問に就くことに反対されてましたからね」(略)
[最初は大崎に悪感情を抱いていたカウスだったが、その粘り腰に誤解も解け信頼するように]
一方の大崎も苦笑いしながら、当時をこう振り返る。
「カウスさんの特別顧問就任に反対してたんは事実です。(略)[裕章が稟議書だけすまそうとしたから]
僕は判を押さんかったんです。
 もちろん裕章さんのスキャンダルが噴き出さんよう、カウスさんが動いてくれはったのは知ってました。また、そのことに感謝して、カウスさんを特別顧問に据えたいという裕章さんの気持ちも分かりました。が、その原因は、あくまで裕章さん個人にあり、会社(吉本興業)にはない。にもかかわらず、カウスさんの特別顧問就任を会社として認めることは、いくら社長(裕章)の言うことでも、筋が違うと思ったんです。
 ただ、カウスさんが当時、(裕章のスキャンダル揉み消しに)動いてくれはったことで、結果的に吉本が救われたことは紛れもない事実。これだけは忘れたらあかんと思ってます。また今回のお家騒動でも矢面に立たされて、おまけに襲撃までされて、カウスさんには必ず、何らかの形で報いなあかんと思ってます。けど、それは『特別顧問』などという役職やなしに、別の形で。はっきり言うたら、中田カウス・ボタンとして今後もどんどん仕事をしてもらって、漫才界の頂点に立ってもらうことですわ。

マサ追放

[吉本株10%を保有する吉本創業家企業「大成土地」株主総会。大成土地の持つ議決権を自分に委託してくれとマサが提案]
他の創業家一族との非難の応酬で紛糾し、流会となった。そして3ヵ月後の07年9月7日に開かれた大成土地の「臨時株主総会」で(略)[マサは社長を解任される]
他の創業家一族から総スカンをくらっただけでなく、これまで吉本興業に対する彼女の“力の源泉”の一つだった大成土地の代表権を、身内によって剥奪されたわけである。(略)
[吉本はマサと他の一族を分断しマサの力を殺ごうとした]“工作”の存在を否定するが、他の創業家一族もマサと同様、今や「吉本興業」という存在なくしては、その生活が成り立たないというのが現実なのだ。

大荒れの吉本株主総会にはマサに委任されたM等の他に、「裕章側近が不正流用でソープ経営」と報じられた「ASAYAN」担当プロデューサーだった元社員(←Pという仮名になっているが、おそらく99のあのヒト、泉正隆だろう。間違ってたらスマソ)

「文春」の取材に対し、Pは競走馬の所有を認めたものの、横領やソープ経営については否定。そして前述のように「大崎の仕業や」と繰り返し、こう嘯いたのだ。
「だいたいボクは、(吉本経営陣からすると)反目の頭目みたいなもんや」
 前出の吉本関係者が続ける。
 「これらの記事が出たことで、Pは大崎さんへの憎悪を募らせ、06年の(吉本の株主)総会に乗り込み、大崎さんが設立したファンダンゴの“不正経理疑惑”について、執拗に質問したのです」

吉本はソニー前会長出井を社長とする「クオンタム・エンターテイメント」(在京民放、ソフトバンク、ヤフー等13社が240億出資)にTOBさせて上場廃止を計画。現経営陣がMBOすれば「創業家排除」と批判されるため、“大手民放キー局共同事業体によるTOB”という苦肉の策をとった。「大成土地」もこれに賛同して出資。TOBが成功すれば「クオン〜」が吉本を吸収合併し新たな「吉本興業」が誕生するが、マサらの抵抗も必至。

大崎らの掲げる「吉本興業の近代化」は、マサの父、林正之肋の時代から脈々と息づく「興行とヤクザ」の関係にも、ピリオドを打つことをも意味しているという。
 だが、前述の通り、吉本に限らず、興行の世界とヤクザは古くから切っても切れない関係にある。これから大崎ら現経営陣がやろうとしていることは、その“慣習”、いや“歴史”に歯向かうことを意味する。ことと次第によっては、不測の事態が起こる危険性も孕んでいるのだ。