ロボットとは何か

目的と認識

「目的を持たないロボットは物を認識できない」
のである。たとえば、椅子に座るという目的を持ってはじめて、ロボットには、目に映る物の中から椅子を見つけて、それを認識するという機能が芽生える。

最後に残るもの

「人間はすべての能力を機械に置き換えた後に、何が残るかを見ようとしている」
ロボットは、そのような、「人間を理解したい」という根源的欲求を満たす格好の道具である。
(略)
[私自身は]
「人間を理解する」
という、非常に単純な目的のために、これまでロボット開発をしてきた。

  • なぜ自分をモデルにしたか

1.子供、女性、ときたから次は男性。女性アンドロイドがダッチワイフもどきのような捉え方をされた。
2.十分な性能の駆動部品には大きい体が必要
3.自分自身ならいつでも比較実験ができる
4.自分がアンドロイドになった感覚を体験できる

  • 対面

[いざ自分自身のアンドロイトに対面してみたら]
正直に言えば、自分そっくりであるとは思ったものの、期待していたような衝撃はなかった。(略)
[しかし、整備のために]研究員が頭部を開いたとき、かなり衝撃を受けた。何か急に自分の体が痛めつけられている感じさえするのである。

0:24、辺りでジェミノイドが突かれてます

 

安めぐみで昇天

[触覚センサを使っているわけではないのに、自分が操作しているジェミノイドが突かれると、操縦者にもその感覚]
 この頬を突かれる体験は非常に屈辱的である。なかには本当に「やめてくれ」と声を出してしまう操作者もいる。体が自由に動けないのをいいことにいたぶられている感じがするのである。そして、頬に何か触れた感覚を持つとともに、突っつかれることから逃れようと、自然と体が反対の方向に動いてしまう。この感覚はなかなか文章で言い表すことが難しいが、とにかくかなりはっきりとした感覚なのである。
(略)
[「サイエンスZERO」で安めぐみが研究所を訪れ]
安さんがジェミノイドに触ると、操作していた学生は自分が触られた気分になったのか、本気で興奮していた。
(略)
では、なぜこのようなことが起こるのだろうか?(略)
「人間の体と感覚は密につながっていない」
からだと思う。

めぐみのフォロモンヴォイスで中休み

一度でいいから見てみたい、ロボット教授が怒るとこ

[車で一時間くらいの場所から遠隔操作して]
 ジェミノイドを使って研究のミーティングをしてみると、実際にまったく違和感がない。先に述べたように、五分もするとみんなジェミノイドに慣れて、普通に喋るようになる。特に学生の反応はおもしろい。私の体に触っていいよと言っても、みんな躊躇して触らないのである。学生に聞けば、私の体に触るのと同じだという。また、ジェミノイドの私がきつい言葉でしかると、しょんぼりする。

新感覚スワッピング

[夫婦の研究者に来てもらい]妻の方がジェミノイドを遠隔操作しているときに、ジェミノイドの頬を突っつくだけでなく、体にも触ってみた。はたから見ると、私が私の体に触っているだけなので、特に変な感じはしない。しかし、遠隔操作している妻は「キャー!」と叫んだのである。あとで彼女に聞いたところ、本当に自分の体を触られた気がしたという。(略)
興味深かったのはそれだけではない。私に体を触られて驚き叫んだ(妻が乗り移った)ジェミノイドを見て、夫の方は腹が立った言うのである。

役者とロボット

[平田オリザの演劇に参加]
 まず、俳優たちが大きなショックを受けた。それは、平田氏の彼らに対する演技指導と、ロボットに対する演技指導にまったく差がなかったためである。平田氏は、役者にもロボットにも、その立ち位置やタイミングを厳密に指示する。役者たちは、自分たちはロボットと同じなのかと思ったという。
 私がそのことを話すと、平田氏は、
「役者に心は必要ない」
と言い切った。平田氏の指示通りに動けば、必ず演劇の中で心を表現できるというのだ。
 この意見は、工学者の私とまったく同じ意見であった。我々ロボットの研究者は、人間が持っているかどうか分からない心を直接プログラムすることはできない。心があるように見える動作を生成できる機能をプログラムするのである。
(略)
[平田氏は]ロボットと人間の対話で、「人間の方は、あと0.3秒間を取って」というように指示をする。そうすると、なぜか、ロボットと人間のシーンなのに、両者の間により深い感情のやりとりが見えるようになるのである。
 その様子を見たとき、私は、「答えはここにある」と思った。

 ジェミノイドを使っているときに、偶然誰かが、非常停止ボタンを押してしまったことがある。非常停止ボタンを押すと、ジェミノイドの体を動かしている空気圧アクチュエータから、空気が抜け、まったくの脱力状態になる。
 私の姿をしたジェミノイドがしぼみ、脱力していく姿を見て、私を含めた誰もが、現実に人間が死んでいくさまを思い浮かべた。(略)[その]さまは、衝撃的である。
 このとき、人間らしいとか人間らしくないという思いは、すべて消え去る。ただ単に死んでいくとしか思えない。恐怖は感じるが不気味ではない。厳然とした人間の死である。

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