ウォール・ストリートと極東・その3

前日のつづき。

満州国承認

1931年以降の銀高騰、さらに1934年米国が国内銀産業者の要求に従い正貨準備の1/4を銀で維持したため、銀流出に拍車がかかり、銀本位制の中国は通貨危機に。中国への巨額投資と香港の銀本位制のため英国は対中財政援助を検討。首席経済顧問リース・ロスの計画は
1.銀本位制の放棄とポンドと連結した管理通貨制への移行
2.1000万ポンド(英国と日本を含む諸国で折半)を満州国に借款、それを満州の代償として、満州国政府から中国へ支払う

大蔵次官ウォーレン・フィッシャーはこれを熱烈に歓迎する。これによって中国が満州国を承認することになれば、英国その他の諸国も当然満州国を承認することになり、極東の緊張緩和は大いに進むであろう、日本の連盟復帰もありうるであろう、英国は日本から好意を期待しうるであろう、そうなれば英国は対独防衛に専心することが可能となろうとの期待を語った。

1935年8月に出発したリース・ロスは米国との会談の機会をもつためカナダを経由して極東に向う。(略)カナダから日本へ向かう船中でリース・ロスは中国による満州国承認を行わせる具体的手続をもりこんだ「日中平和友好条約」というものをかき上げる。(略)日本はまずその政治的代償として長城以南の中国の政治・行政への介入を行わない保証を与える。さらにその経済的代償として1932年の満州国出現前に中国が負担していた内外債の相当の割合(年100万ポンド)を中国政府に支払うというものであった。
 ところで1935年9月6日横浜に着いたリース・ロスは、出迎えた旧知の大蔵次官津島寿一と直ちに船室内で会談[構想を打診、津島を驚倒させた](略)津島は一体中国が列国に率先して満州国を承認するかどうかに懐疑的であった。また日本側、とくに軍部に中国の満州承認の代償が決して高いものではないということを納得させるのは困難であると考えた。
(略)
[広田・重光との会談での日本側の反応に失望したリース・ロスは満州国承認案を棄て幣制改革による中国再建を前面にし、当初の対日協調路線は二次的に] 
中国へ赴いたリース・ロスは、軍事力を背景とする日本の経済進出の現実と二・二六事件に衝撃をうけ、もはや日本との取引は不可能と考えるにいたる。

軍縮金本位制

1930年の金解禁の実施と国際海軍軍縮への参加とは、1920年代の日本の国際協調政策の最終的到達点であった。(略)再確立された金本位制は、それを支える緊縮政策の要として海軍軍縮を必要としたし、逆に海軍軍縮金本位制を媒介とする経済的国際協調によって保障されなければならなかったのである。(略)満州事変の勃発によって金本位制軍縮政策の成立条件は根底から揺るがされ、国際協調志向は外交面でも経済面でも収縮していく

日中戦争

 「通貨戦争」あるいは「経済戦争」としての日中戦争の遂行に当って、日本にとっては日英あるいは日米の二国間協調が不可欠であったが、事実として長期にわたる日中戦争の遂行を可能にした日本の戦時経済は深く米国に依存していた。日中戦争期における戦争を媒介とする外交と経済との結びつきは、対英米関係、とくに対米関係において最も顕著であったのである。この点は外交と経済との結びつきが本来稀薄な対独伊関係との大きなちがいであった。日米交渉の成否が日中戦争の帰趨に死活の意味をもち、したがってその挫折が日本にとって破局を意味した所以である。

国際借款団維持に望みを託した吉田茂

 なお注目すべきは、当時の駐英日本大使吉田茂日本銀行団代表で横浜正金銀行ロンドン支店長であった加納久則の国際借款団に対する態度である。両者は共に国際借款団を国際協調を維持する最後の拠点として、極力それを擁護しようとした。アディスが英国外務省極東部長チャールズ・オードに報じているところによれば、1937年4月29日加納は香港上海銀行のあるスタッフとかわした私的会話の中で国際借款団解散論の台頭を憂慮し、「自分も吉田大使も共に国際借款団の枠組は維持されるべきであるとの意見である。それは、中国を国際的協力によって開発していこうとする日本の意向を示す残された唯一の国際的組織であるからである。もしそれが解散されれば、日本は侵略政策に回帰しようとしているという見解を色づけることになろう」と語っている。
(略)
吉田も英国政府から国際借款団の解散を提議した覚書を受けとりながら、これを本国政府に伝達することを渋り、アレクサンダー・カドーガン外務次官補から「吉田が本国政府に覚書を伝えていないのは遺憾である」といわしめている。(略)
吉田も加納も国際借款団に対する英米の期待感が最小限にまで縮小された時期に、逆にそれに過大な期待をもって(すなわち国際連盟やワシントン諸条約に代りうる外交的手段としての役割を期待して)、それを維持するために努力したのであって、人間の努力の空しさというものを感じさせるのである。そしてそれから二ヵ月後に日中戦争が始まるのである。

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