ダーウィンが信じた道・その3

前日のつづき。

ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ

ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ

 

ウォレスに出し抜かれる

表舞台への登場に向かって突き進むダーウィンは、人類の真の起源は獣であると暴露することに胃がねじり上げられるほどの恐怖を感じていた。その恐怖は、彼を20年間沈黙させてきた。そして暴露する間際に彼を療養所に追いやるほどだった。
(略)
アガシが評判を上げ、人類多起源論者の長大な本がもてはやされている状況では、プリチャードが彼の大作でおこなったように、打撃をあたえられるほど大量の詳細情報を積み上げる必要があった。
(略)
 だれもがダーウィンのように口を閉ざしていたわけではない。転成説の論争の中心には人類があることを理解していた博物学者がいた、ダーウィンの極東での協力者だった、アルフレッド・ラッセル・ウォレスだ。(略)
 人間は類人猿から発展したと主張する『創造の自然史の痕跡』は、「人間の一族の発祥地」がどこであるかも予測していた、ウォレスは、その場所、オランダ領東インド諸島へ向かった。ボルネオやスマトラの森林のなかで、オランウータンと人間のあいだの隔たりを埋めるものが見つかるのではないかと期待していたのだ。彼はそれから一年もたたない1955年に、一つの種は別の「近接した種」からのみ生み出されると主張する短い梗概を発表した。このとき、ブライスがこの小論文のことをダーウィンに知らせている。ブライスが「どう思いますか?」と質問すると、ダーウィンは「すべて結構だ!!」と答えた。ブライスは「これは、種の持続性についてのあなたの考えをぐらつかせるわけではないんですね?」とも聞いている。もちろんダーウィンはずっと先に進んでおり、あまり気にしていなかった。そしてこう書き留めている。「それほど目新しいものはない。私と似た系統樹を使っている」。研究に夢中になりすぎていたダーウィンは、この小論が何の兆候なのか気づくことができなかったのだ。
 母国からはるか遠くにいるウォレスは、ダーウィンが怖れて書かなかった領域へと突き進んでいた。
(略)
[四年前に奴隷を使うアリが発見され]
ダーウィンが赤いアリと黒いアリを観察しているとき、イギリス人はアメリカの「人種」という時限爆弾がいつ爆発するだろうと不安を抱きながら毎日の新聞を食い入るように読んでいた。
(略)
[1858年ウォレスの原稿が届く。急がないと出し抜かれると三年前に助言をくれたライエルに]
ダーウィンは、あなたの「言葉がまさに現実になった」と認めている。(略)
20年の恐怖のあと、ダーウィンは崖っぷちに立たされた。ライエルにうめくように言うのが精一杯だった。「私の独創性のすべてが……粉砕されてしまう!」(略)
 あわただしい手紙のやりとりで紳士協定が結ばれた。フッカーとライエルがダーウィンの優先権を確保する手はずを整えた。(略)ダーウィンとウォレスの共同発表をおこなう際に、まずダーウィンの1844年の小論と1857年のグレイヘの手紙の抜粋を、それからウォレスの原稿を読み上げるというものだった。二人の論文はこの順番で発表された(極東にいたウォレスは知らなかったが)。自然淘汰説の世界での初お目見えだったこの会合では、この説はほとんど注目されずに終わっている。

奴隷アリ

 皮肉なことに、『種の起源』の内容のうち「何よりも注目を引いたのは、奴隷アリについて書いた箇所だった」とダーウィンはのちに回想している。彼はこの本を書くにあたって反奴隷制の思想を直接織り込んだりはしなかった。アリの不思議な本能について記述はしたが、アリと人間を同列に見るようなことはしていない。
(略)
彼自身がほんとうに考えていたのは、アリの本能は、たとえそれが「別のアリを苦しませる」ふるまいであっても、それは必然的な自然淘汰の結果であって、そこに責められるべき非人道性はないということだ。人間がおこなう奴隷制は本能ではない。それはまったく違う。そこには責められるべき非人道性がある。

リンカーン奴隷解放宣言は

ダーウィンが求めていた「聖戦」からはほど遠かった。遅きに失しており、また、解放されるのは「反逆」州の奴隷だけ、つまり連邦側の奴隷州では適用されないというのだ。ダーウィンケンブリッジ時代のかつての師、アダム・セジウィックもこの条件を知って驚き、「リンカーン奴隷制の潰瘍をさらに悪化させようとしている。自分の側につく奴隷州に特別褒賞をあたえるなど、とんでもない」と言った。ダーウィンも失望し、「奴隷解放言言には何の効果も期待できない」と感じた。

ライエルへの失望

 [1863年の]ライエルの新著、『人間の古さ』に期待しすぎたダーウィンの失望は大きかった。(略)
ダーウィンを怒らせたのは本の最後だった。最後の一マイルを行くことがどうしてもできなかったライエルは、創造説を復活させたのだ。ダーウィンが思うに、ライエルは結局のところ、自分の信条を変える勇気がなかったのだ。「頭でわかっていても心が応じなかったのだろう」と、フッカーも思った。(略)
この崇高なる「創造の法則」は、何百万年ものあいだ自然を放置しておきながら、いきなり割って入ってきて、ある動物に最初の「魂」をあたえて人間にするのである。
(略)
ダーウィンは望みを断たれ、思わず「うなり声をあげた」。以前からの病気がぶり返した。(略)
「私は、あなたが種の派生についてご自身が考えておられることをはっきり述べなかったことに、失望しております……私はつねづね、あなたのご判断はこの主題における画期的なものになると信じておりましたのに。すべてがおしまいになってしまいました」(略)
ダーウィンはグレイに書いた。「こんなことなら私の説に正面切って反対意見を述べてくれたほうがよっぽどよかったのにと思います」。ダーウィンは混乱していた。病気はどんどんひどくなり、嘔吐と抑鬱が長期間続き、1856年の末には動くことすらままならない状態になった。おまけに、周囲で立て続けに人が亡くなった。フッカーの子どもと父が死に、[ビーグル号艦長]フィッツロイまでもが自殺した。それでも、ライエルに対しては一片の同情も示さなかった。

社会主義者ウォレス

[1864年人類学会で]ウォレスは社会主義者ならではの視点で、自然淘汰はいずれ完全なる「社会的平等」をもたらすはずだと語ったのだ。自然淘汰は「高等な」人種すべてを一定の水準まで上げるだけでなく「下等な」人種も向上させて、「世界はふたたび単一の人種に落ち着く。そこでは個人は人間性において優劣がないため」、みな自由となり高圧的な政府は消滅するというのだ。(略)
 ダーウィンはウォレスの論文に複雑な思いをもった。たとえば、文明人になると淘汰が止まるという説には納得できなかった。しかし、ほかのだれかがスポットライトの下に立ってくれたのはうれしかった。(略)職業専門学校出で標本を売って生計を立てているウォレスは恐れを知らない。失うものは何もないのだ。もと測量士で熱帯旅行家のウォレスには、守らなければならない社会的地位もなければ、評判を保ってやるべき息子や娘もいなかった(略)ウォレスはダーウィンが怖じ気づいているのを知っていたので、みずから除雪機の役を果たした。

ジャマイカの反乱

1866年、「自然淘汰」の原稿から「人間」の部分を削除して10年後、ダーウィンはようやく人種の起源について語る勇気を奮い起こした。本格的な執筆のきっかけになったのは、ジャマイカの反乱に対する残虐な鎮圧だ。
[黒人蜂起を残虐に鎮圧した総督アイアーは解任され本国に召還。世論は二分。帰国した無慈悲な暴君を称賛する歓迎会に長男が出席したことを知りショックを受けるダーウィン] (略)
 アイアーを告発しようという博愛主義のうねりが失速すると、世の中は殺伐としてきた、ハントに噛みつかれ、フッカーに逆らわれ、息子に茶化されたダーウィン(略)
[透視や交霊が満載のウォレスの新著『超自然現象の科学的側面』にダーウィンは仰天]
心霊主義は、急速に広がる唯物論に対抗するように、改革に失敗した旧世代の社会主義者(略)に急速に広がっていた。(略)政治で解決できないのなら、霊の力で社会をユートピアに導こうというのである。

父と子

[長男の回想]
話題がアイアーのことになり、前総督を殺人罪で告訴するのはやりすぎではないかと思った私は、つい、告訴側は集めたお金の余剰分で宴会ができるだろうというような軽口を叩いてしまったのだ。すると父はかっとなって私のほうに向き直り、それがお前の本心ならいますぐサウサンプトンに帰れ、と怒鳴った……翌朝の七時ごろ、父は私が寝ていた客室にやってきてベッドに腰を下ろすと、昨夜お前にあんなふうに怒鳴ってしまったことで一睡もできなかった、と言った――とても柔らかく弱々しい口調で。

性淘汰と擬態

 ダーウィンは自分の説、とりわけ性淘汰説を宝物のように大事にしていた。もちろん、周囲はそんなことに気づくはずもない。(略)ライエルはダーウィンが大げさに言っているだけだと思っていた。ウォレスは最初から乗り気ではなく、いまではダーウィンに対抗する隠蔽擬態や体色についての理論を組み立てている。(略)
通常は雌のほうが、産卵中に捕食者に見つからないよう目立たない羽色をしているのに、例外的に雄より雌のほうがきれいな羽色をしているチョウがいる。(略)
 感じやすいダーウィンは、この擬態の例に自分の提案力がおびやかされているように思ったに違いない。(略)ウォレスによれば「性淘汰のおもな作用は両方の性をほぼ同じ色にすることだが……雌にとってはとりわけ、目立たない色にすることが危険回避のために重要」だという。性淘汰の作用を相殺するかたちで、自然淘汰は雌に有利なように、つまり覆いのない巣にすわって産卵する雌が安全なように、地味な色になるよう作用した。雌にカムフラージュの必要がなければ、雌もきれいな色になっているはずだ、と。さらに悪いことに、ウォレスは性淘汰説を人種の説明にあてはめるのを拒否し続けていた。これこそがダーウィンの最大の目的だというのに。(略)
 ウォレスは亡霊のようにつきまとった。女が自分たちの美の基準に基づいて男を選ぶことで人種への分岐が進んだというダーウィンの説に、最後まで疑念を突きつけた。(略)ウォレスはダーウィンに、妻を盗むという囚習をどう説明するのかと問うた。(略)「女が男を選んでいるわけではない」と反論した。むしろ男が、女を選ぶ。妻という名の「召使い」として。「大半の未開人にとって美は動機にならない」とウォレスは主張した。