クルーグマン、中世の怠惰な学生

二冊チラ見。

危機突破の経済学 (Voice select)

危機突破の経済学 (Voice select)

 

オバマ

じつのところ、オバマレーガンのことを大いに褒めており、本当は民主党のなかでも中道のほうだと思います。でも一般の人は、オバマは反レーガンだと100%思っています。(略)
支持者は非常に進歩主義者でしたが、オバマ自身は適度に進歩主義です。(略)いまのオバマがどう言うのかではなく、何を言うかということに静かに耳を傾けてみれば、その中身がまったく左ではないことがわかります。人はそれを信じませんが、私にはわかります。

CRC(規制者の認知的捕獲)

ルービンはもともとウォールストリートに非常に近いので、一種のCRC(規制者としての義務と自分の行動の矛盾からくる葛藤や不安な状態のこと)に陥る可能性があります。でもこの3人に限っては、個人的な金銭上の利益が彼らの原動力になっているとは思いません。ただウォールストリートの人と付き合うと、彼らの見方から世界を見始めるので、それは問題です。
(略)
 ウォールストリートの大勢の人は、我々のお金を持って逃げた人たちだからです。実際、ガイトナーとサマーズは、政府高官は銀行を管理するのが下手であると信じている、と実際に言ったことがあるのです。

金融規制

[家計総資産は10年前の水準に戻ったが]それでも、格差社会という点ではいまよりもましになるはずですし、そうなってほしいと切に思っています。所得格差はそもそもこの金融バブルの結果であり、それはいま新しい規制を加えることで、消えていくものです。ですから、いま規制を加えるべきなのです。そして、過度な給与は制限をして、一般の労働者の所得を押し上げる、そうした運動をやるべきです。そうすれば、貯蓄率も次第に上がるはずです。

ビッグ・スリー破綻

 経済が下降しているときに、大きな産業が破綻するのを見たくありません。最後には消えるとしても、いまは時期が非常に悪い。生命維持装置をつけて、ここ2〜3年は延命させておくのがいいでしょう。もちろん、奇跡が起きるという錯覚は、してはいけません。
ビッグ・スリーは救済しないほうがいい」とノーベル賞受賞式で私が言ったという「誤報」が日本では流れたと聞きましたが、そのときに私が言ったのは、「自動車産業ビッグ・スリーはいずれ消滅するかもしれない」ということでした。
 結局、クライスラーは破産ということになりましたが、政府は少なくとも経済がよくなるまでは救済し続けるべきだったでしょう。
(略)救済しないほうがいいなどとは、決して言っておりません。少なくとも何を救済できるかを確かに見極めるまでは、とりあえず救済したほうがいいのです。

大学の起源

大学の起源

中世パリの怠惰な学生

教師から教師、学校から学校へとわたり歩き、一度として全課程や正規の講義を聞いたことのない怠けものや目的のない学生がいる。学生という名前と、大学へ行っている間の自分の受けとる収入だけを望んでいる学生は、好んで朝遅くまで寝ていられる教会法の講義を選び、週に一度か二度だけ教室へ出る。勉強すべき時にケーキを食べたり、教室では居眠りをしたりして、残りの時間は居酒屋で飲んだり、スペインに城を建て(白昼夢を見)たりして過ごす学生も多い。そしてパリを去る時が来ると、このような学生たちは学識をみせびらかすために、広い余白と立派な赤い装釘の子牛皮の大きな本を集め、書物の入った賢い袋とからっぽの頭をもって帰って行くのである。

カネオクレ

わたくしがオクスフォードでこのうえなく勤勉に勉強していることをここにお報せします。しかし金銭の問題がわたくしが学位をとって教師に任用されるのを大いに妨げています。というのは、お送りいただいた最後の金銭をつかってしまって以来、すでにニカ月たっているからです。この町は物価が高く、金銭のいることが多いのです。貸間を借り、必需品を買い、いまはこまごまとは書けない他の多くのものも用意しなければなりません。それ故、初めにはうまくいっていたものをわたくしが完成できるように、神のおあわれみに促されて、お助け下さるよう、うやうやしく神父としての尊師にお願いします。何しろケレスやバッカスがいなければアポロも冷たくなるということをご考慮下さいますように。

父怒る

わたしはおまえが自制よりも放縦を、勉強よりも遊びを好み、他人が勉強している時にへたなギターをかき鳴らし、放らつで怠けた生活をしており、おまえのもっと勤勉な仲間が法律書を何冊も読んでいる間におまえは一冊しか読んでいないという結果になっていることを、最近発見した。それ故、わたしはおまえがもはや浪費家と呼ばれなくなり、おまえの不名誉がよい評判にかわるよう、おまえの放らつでのんきなやり方をすっかり悔いることを、この機会におまえに勧告する決心をしたのである。