サイバービア・その2

前日のつづき。

素人ポルノ

[あるポルノ雑誌編集者は]「薄暗い明かりの中で靴下をはいたままセックスをする近所の素人を好む人もいる」ことを認める一方で、プロの誇りからか、大多数は「高品質で、かわいい少女が楽しんでいるもっと洗練された作品を好む」と彼は強調した。
 だがそれは大間違いだった。人々がピアツーピアのポルノ・サイトを利用するのは、無料だからという理由だけではなかった。ピアツーピアの音楽サイトを利用していたティーンは楽曲を手に入れるために費用を支払いたくなかったのも確かだが、我慢できないほど力を持った音楽業界の支配から逃れて反逆するスリルも求めていた。同じことがポルノ業界でも起こったのだ。人々がプロの作ったポルノよりもっと本物らしいものを見たくなったことで、ポルノ業界の売り上げが落ちただけでなく、もっと大きな影響が現れた。普通の人々が、ネットを通じて恋人や他の人々に自分のあられもない姿をさらすような不思議な世界の住人の仲間入りをしたのだ。

エデンの園

[↓個人的見解ですが、割とそういう数字って張子の虎]

こうした仕組みによって、平等だったピアツーピアのエデンの園は、少しずつその姿を変えはじめた。現在のブログ圏を少し見ただけでも、ごく少数の古くからのブロガーが読み手をほぼ独占していることがわかる。(略)教百万というブログの中から読む価値のあるものを慎重に選ぶとなれば、必然的にそうして選ばれた一覧がすでにあることに気づく。(略)相互リンクを張るのが当たり前のブロガーたちの馴れ合いに加えて、情報フィードバック・ループがすぐに生まれ、新たなトラフィックが古くからのブロガーに有利に働くように巡回するようになったのだ。(略)
 楽曲の良し悪しを評価する際に仲間の圧力を受けるというのは、今にはじまったことではない。人々はこれまでもずっと周囲の好みに左右されてきたし、こうした影響を受けることが意思決定には役立っている。(略)[ネットではそれがさらに際立ち]
最初のわずか数人の判断ばかりが強調されて、人気のあるものはどこまでも人気が上がるというスパイラル現象だった。(略)人々は他人が選択するたびに、その選択に関する電子フィードバック・ループに合わせて自分の意思とは関係なく調整せざるを得なくなっている。

検索語句探偵

2006年より前にも、数百万というインターネット・ユーザーが次々に入力する検索キーワードがリアルタイムで閲覧できて、その脈絡のない思考を眺めて一日中過ごせるような検索エンジンはあった。だがAOLのデータが違っていたのは、各インターネット・ユーザーに対応した番号とそれぞれの検索がおこなわれた時刻が明記されていたおかげで、このデータが手に入れば、検索キーワードを入力したときの各ユーザーの一連の思考過程を追跡できるという点だ。

検索ワード変遷

実際の本では「 とある女性ユーザーの検索ワード変遷。

体脂肪計
つわり対策
妊娠中のフィットネス
彼が赤ちゃんを欲しがらない
自分は妊娠中なのに彼が赤ちゃんを欲しがらない
赤ちゃんの名前と意味
マタニティウェア
妊娠中のフィットネス・ビデオ
中絶 診療所 ノースカロライナ州シャーロット
グレーター・カロライナ女性センター
キリスト教徒の中絶は許されるか
ロー対ウェイド裁判
中絶の子宮筋腫への影響
妊娠中絶 診療所 シャーロット
流産の徴候
婚約指輪
リスクの高い中絶
流産後の回復
www.weddingchannel.org
デメトリオス ブライドメイド・ドレス
同棲相手のとの結婚

不倫に走る主婦ユーザー

オンラインで出会ってセックスした人数
自己中なうぬぼれ屋の扱いかた
初対面の人と会うときの緊張のほぐしかた
わたしは夫を裏切った
関係を持った相手が再び連絡してくる
サイバー・セックスを現実のものにしたのは間違いだった
夫にスパイウェアを仕込まれていないかを知る方法
なぜ関係はこんなに複雑なの?
バセット家具店 テキサス州ヒューストン
チャットばかりしている男は問題あり
コンピューター依存症の治療
男性から情熱的に愛される方法

他にはビキニの型紙や作り方を検索していたユーザーが突如「絞殺死体の写真」といった不穏な検索を始め、ギョッとするも、単にジョンベネ事件に興味を持っただけと判明したり。

画面にコメントが流れる的な

ジョン・ウィルソン教授の報告書の中でマクルーハンが興味を持ったのは(略)アフリカの村人たちは本のページをめくるなどの線形の物語に従った経験がないため、スクリーン上で繰り広げられるささいな出来事にのめり込みすぎて、動画全体の内容を理解できなかった。(略)これを踏まえて学者たちは、観客がもっと参加できるようなやりかたを考えはじめた。動画を紹介するために雇われたアフリカの教師たちに、見ている村人がもっと参加しやすいようにアドリブをするように頼んだのだ。たとえば動画の登場人物が歌いはじめれば、村人にも一緒になって歌うように呼びかけるといった具合に。
 マクルーハンがアフリカの村人による動画の見かたに興味を持ったのは、西洋社会が将来、同じような状況へと戻っていくと確信していたからだ。

アロハー!

こうした動きの原動力となるのは往々にして、即座に書き込む才能に恵まれ、オンラインの仲間と常に会話することで一体感を強めている大勢のブロガーだった。彼らは既存のメディアを非難し、いくつもの不正をあげつらい、その既得権益を放棄させようと容赦ない攻撃をはじめていた。パジャマを着たまま寝室にこもりっきりの彼らが、揺るぎない地位を確立した憎むべきエリートと戦う門外漢を気どりたがっていたのは興味深い。彼らの辛辣な批判が右寄りであろうと左寄りであろうと、その手ロ――冷静かつ客観的に分析するよりもときに偏執的に権威を嫌い、同好の士という意識を高めるのに熱心で、限りない仲間意識を持つ――は、かつてのカウンターカルチャーが電子上によみがえったかのようだ。