情報ループから飛び出せ

いきなり、あとがきから抜粋

情報ループ

情報ループでメッセージを交換してもたいていは満足いくものではなく、終わりが見えないこともある。(略)軍隊によるサイバネティックスの借用について見たように、電子ループを駆け巡る情報は知力や戦略や統率力の代わりにはならない。情報はデジタル・ビットに変換して凄まじいスピードで交換できる。だが知識はあまり持ち歩けない。知識を増やすにはもっと手間がかかり、身につけるには本当にその内容を理解していなければならない。情報には矛盾も多いが、知識はたいていそれよりも信頼できる。
(略)
 サイバネティックスという理論を最初に発表したとき、ウィーナーは社会システムが無秩序になろうとしていると心配し、安定装置として巨大な情報ループが必要だと考えていた。(略)
連続したフィードバックを通じて過ちから学ばなければならないという点では、ウィーナーは正しい。だが人間にとってフィードバック・ループが最も欠かせないものだと考えた点では間違っている。電気システム中に無数のフィードバック・ループを設置すればきわめて正常に作動しつづけるが、安定させることにばかり夢中になると、それ以上のことをしようとする時間がなくなる。人間らしさとは、無限フィードバック・ループを循環できることではなくて、目的を持って前に進んでいくことだ。情報ループに注意を払いすぎれば、そもそもなぜこの場にいるのかがわからなくなるかもしれない。

冒頭に戻って。
1960年代前半スチュアート・ブランドは「カンパニー・オブ・アス」を意味するUSCOという芸術集団に参加ヒッピー文化に触れる。

USCOは東洋の宗教や環境、それにシステム思考を融合させ、ストロボ光から電子掲示板まであらゆるものを活用して、見る側の意識を変える芸術を生み出そうとしていた。

『ホール・アース・カタログ』

[1968年]生まれたブランドの実験的な出版物『ホール・アース・カタログ』は、一般的なアメリカの大衆生活にとってきわめて斬新なものだった。最新の電気製品から屋外用の娯楽品まで、都市を離れてコミューンで暮らす人々にとって役に立ちそうなあらゆるものに関する記事が雑多に並んでいた。(略)紙面に掲載される項目の多くが実は他の雑誌や書籍であり、読者はそれらを読むことで考えかたやアイデアを共有できた。購読者は掲載された記事について自らの意見を送ったり、あるツールに対する他人の評価についてコメントしたりすることが求められたが、何よりもまず他の読者が興味を持ちそうなツールを紹介するよう呼びかけられた。(略)
[『ホール〜』は商品ではなく原理でもあった]
ウィーナーが考えた、情報とフィードバックが自由におこなわれるシステムそのものだったのだ。その斬新さは、ブランドが従来のように情報をただ一方的に提供するという形式を頑なに拒んだために他ならない。(略)
瞬く間に、『ホール・アース・カタログ』はまったく異なるグループの人々同士がその紙面上で仲間として出会い、自発的に相手と直に情報交換できる場となり、ブランドと彼が輸送に使っていた小型トラックは、人々を結びつけるきわめて重要な存在となった。(略)
各地に散らばる相手に情報を容易に流通させるためのツールとして、『ホール・アース・カタログ』は後のオンライン・ソーシャル・ネットワークの試作品だったと言っても過言ではない。
[創刊三年で百万部突破し大成功するも、そのために通信販売・書店という流通が必要となり、膨大な読者数によって双方向性が失われることに。その資金は後にコンピューター会社設立に使われた]

負のフィードバック、ハウリング

[ウィーナーは]システムの動作を改善したり安定させたりするために情報をループバックしたりフィードバックする流れを考えついた。だが(略)修正されるべき問題が増幅されてしまうと、システムの動作は改善されるどころか邪魔されてしまう。閉鎖的な情報ループでこうした「問題のある」フィードバック・ループ(紛らわしいことに、エンジニアはこれを「正のフィードバック」と呼ぶ)を野放しにすると、その問題がどんどん補強されて増幅し、そのフィードバックはますます不快なノイズを生み出し危険にすらなる。(略)すなわちハウリングが起こる。(略)カウンターカルチャーのアーティストやボヘミアンたちは、正と負のどちらのフィードバックも活用できると考えた。

[関連記事]
kingfish.hatenablog.com
上記に下記本の引用あり

ピエール・バイヤールのベストセラー『読んでいない本について堂々と語る方法』は文学界に大騒動を巻き起こした。(略)
読まないという行為が(略)読むという行為と同じように尊重されるべき行動だということだ。本そのものよりも、こうした本を文学という「システム」にまとめているあまたの結びつきのほうが重要だとバイヤールは考えていた。わたしたちにはすべての本を読めるだけの時間も忍耐力もないのだから、だいたい何が書かれているかを理解したほうがいいと彼は主張する。(略)
もはや本は本来の意味での本ではなかった。今後は、他の本との関係性によってのみ定義されるものとなったのだ。マーシャル・マクルーハンが本に基づいた時代の終焉を予想してから数十年(略)[新しいメディアは]紙や布切れが綴じられたものではなく、一つのシステムとして絶えず変化して多様化していく本と本の結びつきや関係性に基づくものだ。

弱い紐帯

マーク・グラノヴェッターというアメリカの社会学者は(略)
[宅地開発に反対した二つの町の運動の違いから、運動の推進力となるのは友人同僚といった強いつながりより「弱い紐帯」だとした]
情報ネットワークの中に弱い紐帯がそこかしこにパラパラと存在するおかげで、情報が別の場所へと素早く伝わる(略)
ピエール・パイヤールの本棚に並ぶ本と同じように、人間についても流し読み――他人とあまり深く関わらないが、多くの人々と知り合いになる――したほうが好都合なことが多いということだ。グラノヴェッターは、強いつながりによって互いの個性が尊重され、コミュニティでの暮らしが円滑になることは否定していない。
(略)
ラノヴェッターによると、貧しい人々は情報を得るために強いつながりに頼りすぎ、弱いつながりをないがしろにしがちだという。だからこそ、こうした人々は貧困から抜け出せない。

残り僅かだが、明日につづく。