デヴィッド・フォスター自伝・その2

前日のつづき。

チャック・ベリーとボ・ディドリー

高校途中でザ・ストレンジャーズのメンバーになり、カナダからロンドンへ。渡英中のチャック・ベリーのバックをやることに

わたしは彼を好きにはなれなかったし、彼の音楽も好きにはなれなかった。(略)「用意はいいか?いくぞ」と言った。わたしたちに口をきいてくれたのは、その一言だけだった。
(略)
魔法のような一時が訪れた。ギグを始めて一週間がたった頃、サヴィル・シアターで演奏していた時のことだ。ふと見上げると、ビートルズのメンバーが四人そろってボックス席にいたのだ。しかもサージェント・ペパーのジャケットそのままの出で立ちで。まるで夢のようだった。
(略)
ボ・ディドリーはチャックと違って良い人だった。(略)ボ・ディドリーはこう教えてくれた。バンドのメンバーは、一人の人間のように演奏しなければならないと。そしてボには、バンドにそうさせる力も持っていた。ボ・ディドリーが長方形のギターを携えてステージに上がると、彼はわたしたちが誰も行ったことのないような高みへと連れていってくれるのだ。(略)
それはまるでセックスをしているかのようだった(もっとも、当時はまだセックスするとどんな気分になるのか知らなかったが)。はんぱでなく、良い気分だった。

SKYLARK (DAVID FOSTER) WILDFLOWER

セッション・プレイヤーに

「ワイルドフラワー」がヒットするもセカンド・アルバムは失敗。そんな頃、ロスに来ていたビル・エヴァンスを聴きにいくと

待ちに待った演奏が始まってみると、それはわたしの予想をはるかに上回る素晴らしさだった。(略)
 第二部の途中、わたしはステージから一瞬、目を離して客席を見た。部屋にはたった20人ほどの客しかいなかった。わたしは相当なショックを受けた。エヴァンスは地球上でも指折りのピアノ・プレイヤーだ。生きる伝説のような彼が、ほとんど空っぽの客席に向かって演奏している。それは手厳しい現実だった。わたしはジャズを愛していたし、心の奥底ではいつかジャズに戻りたいという思いがずっとあった。しかし生活していかなければならないし、ジャズではとても食べていけそうになかった。
 そんな時、BJが妊娠した。72年の終わりのことだ。

ロッキー・ホラー・ショー』の舞台でピアノをやることに。そこで知り合ったジム・ケルトナーに誘われてレコード・プラントでジャム・セッション、人脈が広がり売れっ子セッション・プレイヤーに。

セッションに入る前、彼は決まって少し間を置くのだ。「もう一つ高いキーで」と注文をつけるので、わたしたちはそれに従う。するとしばらくしてまた同じように「もう一つ高いキーで」と言う。そうやって彼は自分の限界までキーを上げていってシャウトするのだ。もう一つ、もう一つとキーを上げていくことこそ、ロッドの成功の秘訣だったとわたしは思う。

Earth, Wind & Fire - After The Love Has Gone

帰宅してみるとパトカー4台到着の勢いで、別居中の妻と恋人が鉢合わせの大喧嘩。「愛が去ってしまうと/正しかったことも正しくなくなる」。キャロル・チャイルズに提供しようとしたら、これはナンバーワンになるからモーリス・ホワイトに紹介すると言われ、とんとん拍子。モーリスの家で夜の7時から半日ぶっ通しで『黙示録』全10曲中8曲のラフを書き上げた。

Look What You've Done to Me

Look What You've Done to Me

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ボズ・スキャッグス

ボズ・スキャッグスと「燃えつきて」を作ったときのことは忘れられない。(略)わたしはピアノの前に三時間座り、あれこれと違うメロディーを弾いてみたのだが、ボズはちっとも反応しないのだ。大げさでなく、一言も発しなかった。彼はモーリスとは正反対だった。鉛筆と紙をいじくりまわして、時々、足で拍子をとったりはするのだが、何時間も延々と黙りこくっているのだ。そしてやっとのことで、わたしが彼の気に入るコードを弾き当てると、突然、息を吹き返したように「それだ!」と叫んだ。「それが欲しかったんだ!それでやってみよう」
 わたしたちは午後の余った時間で曲を仕上げ、翌朝にレコーディングして、それでもう一丁あがりだった。

Peter Cetera & David Foster "Live" 2002

『シカゴ16』に呼ばれ、「昔からのファンだけど全部クソだ」と収録予定曲をボツに。ピーター・セテラと共作で殆どの曲を書上げる。

メンバーたちは何かというとミーティングをするのだ。ミーティングをするためのミーティングをするほどだった。(略)ジミー・パンコウがわたしのことをあまり良く思っていないことは、はっきりと感じていた。
 ピーターもまた、わたしのことを少々鬱陶しく感じていたようだ。たぶん、わたしがあまりにもズケズケものを言うからだろう。(略)
[ピーターの演奏ミスを指摘すると]次の瞬間、ピーターはギロっとわたしを睨みつけた。いまにもキレて大暴れしそうな目つきだった。(略)
[部屋の隅に呼ばれメンバーの前で俺に駄目出しするなと叱られ謝罪]
「俺はもうベースなんて弾きたくもないんだ、あんた、シンセサイザーで上手にベースを弾くじゃないか。俺の代わりに、あんたがベースをやったらどうだ?」(略)
 ピーターはかなり神経質で、誰もが彼には腫れ物を扱うように接していたが、それだけの価値がある人物だった。

ホイットニー・ヒューストン『天使の贈り物』録音の頃

スタジオにいると、隣の部屋から、ホイットニーとボビーが羽目をはずして大はしゃぎしている声が聞こえてきた。こっそり様子を見にいくと、二人はテレビの前で、『ザ・ジェリー・スプリンガー・ショー』の過激なお蔵入り映像を集めたDVDを見ながら大喜びしていた。

ラップが200万枚売れたと世間は騒いでいたが、俺の手がけた「セリー塗・ディ音」は出すたび2500万枚、『母ディガー怒』サントラは4000万枚、これぐらい売れてはじめてヒットと呼べると豪語する著者。

シケたアパートでひっそりと暮らす才能ある男を思い浮かべた。彼がそこにいるのは、世間の人たちが好む音楽を作ろうとしないからだ。わたしはこうした、いわゆる純粋主義者というものが理解できない。世の中にはありとあらゆる種類の音楽がある。たとえC、F、Gのシンプルなコードで作った曲でも、大いに胸を張っていいのだということが、今のわたしには分かる。特にそれが正しい方法で、正しい姿勢で生み出されたものであるならば。
(略)
わたしにはどういうわけか、大衆が好む音楽を紡ぎ出す術が身についているのだ。それはピアノの前に座って、よし、こういう風にやれば、みんなが気に入るんじゃないかな……と考えるのではなく、わたしが何かを書くと、そして書いたものの出来が良いと、巷の人々の反響を呼ぶのだ。

[↑言わんとするところは良くわかるし半分同意するのだが、やっぱ「毛蟹・G」とかムリw]