アラブから見た湾岸戦争・その2

前回のつづき。

アラブから見た湾岸戦争

アラブから見た湾岸戦争

 

サウジの不文律

 クウェート侵攻の翌週、サウジアラビアのファハド国王には、権力の孤独が重くのしかかっていた。(略)
サウジ君主の第一の責任は、アメリカとの緊密な関係を保つことであり、第二の責任は、あらゆる手立てを使ってそれを隠すことだと言われている。もしファハドがアメリカ軍に門戸を開けば、サウジアラビアの生き残りと信用をかけた不文律を破ったとして非難されるかもしれない。(略)
 ブッシュは、モロッコのハッサン国王に電話をして、もしサウジアラビアが援助を要請してきたら、肯定的な返事をしてくれ、と頼んだ。ハッサンは、二つ返事で大軍を送ると約束した。また、この段階では明確な公約は避けたものの、ムバラクにも、モロッコよりずっと大規模な軍を派遣する準備があった。(略)
ファハドは、この頃にはほとんど折れるつもりでいたし、イスラムの庇護を受けられる見通しがなったことで、それなら話は別だという気になった。ファハドがアメリカ軍を受け入れると決定した時期は、明らかにディック・チェイニーの訪問時期と一致したため、チェイニーが並外れた説得力を発揮したかのような印象を与えた。しかし実は、ファハドはチェイニーに会う前にすでに心変わりしていたのである。
(略)
[サウジからの軍派遣依頼に]
シリア首相マハムド・ズエビが、アサドに耳打ちした。「閣下、いくらか援助金を要求して下さい。我々は経済的に困窮しておりますし、軍隊派遣は負担を重くするだけです」。アサドは手で彼を制した。電話を切ると、アサドはズエビに告げた。「わからん奴だな。金を要求するのは、軍隊派遣を依頼された時ではないのだ――引き揚げを依頼された時こそ、その時なのだよ」。

カイロでのアラブ首脳会議

サウジ代表団は、首脳会議が開始される前に、アラブ連盟事務局長シェドリ・クリビに公式文書を手渡した。(略)側近の一人が、第六項の言葉遣いに注意を促してきた。それは、「すでにサウジアラビアに駐留している軍隊の援護のためにアラブ合同軍を展開すべきである(略)」とアラブ世界に求めるものだった。(略)「これでは、アラブ諸国アメリカ軍を援護しに来てくれと頼んでいるとしかとれません。そこに駐留しているのはアメリカ軍だけなのだから」とクリビは訴えた。サウジ外相サウド・ファイサル王子は、即座に論旨を理解し、「全くその通り」と言うや、反発を買いそうな言葉に線を引いて削除した。そしてアラブ合同軍が援護するのはサウジ軍だということを明確にした訂正版が発注された。
 フセイン国王はすでに非公式のコピーを見ており、原文はアラビア語で書かれたものではないと確信していた。その言語は、外国語からの二流の翻訳のように、ねじれてぎこちないものだった。他の者たちも同様の印象を持ち、原文は英語で書かれたという噂が広まった。ヨルダン、リビアイラクが、決議案はアメリカが用意したものをアラビア語に翻訳したのではないかと言い出して、すぐに国際会議場は大騒ぎになった。リビア最高指導者ムアマル・カダフィは、アラブ首長国連邦のザイド大統領のところへ決議案を持っていき、皮肉を言った。「なせアメリカの陰に隠れているのだ? イスラエルに守ってもらう方が簡単だったのてはないかね? イスラエルの方が近いのだから」。
(略)
ムバラク大統領は、「もし我々が解決策を見つけられなければ、他者がそうすることだろう」とアメリカを指して言った。「疑念はいろいろあるようだが、私はまだ手遅れだとは思っていない」。しかし、その場にいた多くの者たちが、アラブの出番はもう過ぎ去ってしまったと感じていた。

流れを変えたバグダット放送

[アラファトの提案でクウェート撤退を勧める代表団をイラクに送るという流れになりかけていたが、あるメモで流れは一転]
会議の間に、バグダット放送が「エジプト人民とネジドとヘジャズの人民へ」向けたフセインの訴えを放送したことがわかった。それは、エジプト人民(政府ではない)には、スエズ運河を閉鎖して米空母「アイゼンハワー」が通り抜けられないようにして欲しいと依頼するものであり、サウジの二地域の人々には、「二つの聖地から、何の権利もなくそこを奪った横領者たちを粛清する」ように依頼するものだった。この文章は、明らかにファハドとムバラクにショックを与えた。二人はこれを、自国民を扇動して反乱を起こさせようとするものととらえた。ネジドとヘジャズは、イブン・サウドが統一してサウジアラビアを作る前のアラビア半島最大の地域だったので、これらの名を出したことは挑発的であると思われた。ファハドは、恐らく、これは自分の一族に対するフセインの暗黙の攻撃であると感じたはずである。
 アラファトは、このように事態が反転したことに気づかず、まだ自分の案を押していた。
(略)
「現在サウジアラビアにいる軍隊は、決して攻撃には使われないし、自衛の必要が生じない限りサウジアラビアから出ることもないのです」[とファハド]
(略)
焦れたムバラク強行採決に出、孤立したイラク代表団は大使だけを残し退席。(略)
 アラファトはまた会場におり、声の限りに叫んでいた。「憲章違反だ! 今の決定は憲章違反だ!」。(略)
「君のこの会議の仕切り方は、民主主義的ではなかったぞ」[とカダフィ]
「そんなことを言われる筋合いはない」とムバラク
 そこで、他人に聞かれているのに気づいた二人は、すみの方へ行って声をひそめて話しはじめた。
 時刻は午後9時10分だった。わずか二時間足らずのうちに、アラブ世界がこれまで体験したことのないような深い分裂が生み出されてしまっていた。アラブ内解決のために残された最後のわずかな機会が失われてしまったのである。

国連

 国連事務総長ハビエル・ペレス・デクエヤルは、あ然としていた。米ソ関係が最近変わったのはわかるとしても、その協力度の何と高いことか。危機に関する決議が次々と採択されていき、国連がますます西側寄りになっていく様が強調された。デクエヤルが事務総長に就任した頃には、国連は、先進諸国には事実上無視されていた。(略)総会は第三世界のなすがままになっており、彼らの意見の主要な提示の場として利用されていた。しかし、86年から90年の間に、こうした状況すべてが変化してきていた。そして、湾岸危機が、その移り変わりを完了させたのである。
 しかし、それ以上にデクエヤルを驚かせたのは、湾岸危機において国連がいかに役立つかを理解したアメリカが、手のひらを返したように態度を変化させたことだった。77年以来、分担金を一部滞納してきたアメリカが、1億4600万ドルの滞納分のうち、突然5000万ドルを支払ってきたのである。
(略)
デクエヤルは、多国籍軍が国連軍であるかのような印象、そしてのちにはこの戦争が国連戦争であるかのような印象が出来上がりつつあることを、心配するようになった。(略)デクエヤルは、国連決議と国連軍との違いを保つよう最善を尽くしたが、メディアの報道が誤った印象を強化しがちだったため、およそ勝ち目はなかった。

残り僅かだが、明日につづく。