ムンク伝

ムンク伝

ムンク伝

 

題名と制作年

絵をなるべく手許に置きたがり、長年放置した絵にいつまでも手を加え、仕上がったと思ったときにようやく制作年を描き入れるのがムンクのやり方だった。そうかと思うと、十年から十五年も前の数字を記すこともある。(略)
同じ主題をわずかずつ変化させて、幾度も描き直した。絵を売ったあとで寂しくなり、やはりそばに置いておくために改めて描き直したこともある。したがって多くの作品にいくつかの類作があり、制作年にも幅がある。(略)死後、だれも一度も見たことのない作品が厖大な数、住まいの錠の下りた部屋で発見された。(略)
題名も制作年に負けないくらい不確かなのである。ムンクは題名をあまり気にかけず、曖昧なままにほうっておいた。他人は好きなように呼べばよい。大切なのは絵自体(略)
同時にいくつもの名で呼ばれることもあったし、次々に改称を繰り返したこともある。類作は前作の名を名乗ってもよいが、まったくちがう絵にそっくりなこともある。

画材

[絵具は普通のもの、それよりカンヴァスにこだわり]
ムンクにとっては表面の質感と光の反射力が絵柄や色彩と同じくらい重要だった。カンヴァスの吸収力を高めて絵具の油脂分を減少させ、仕上がった絵にもワニスをかけなかった理由の一端はここにある。(略)しばしば地塗りを最小限にとどめたり、場合によってはまったく地塗りを施さないカンヴァスを用いた。油性の展色分少ない絵具がカンヴァスに浸透し、カンヴァスそのものが質感を定める。(略)
当初は貧しいために用いた厚紙だが、画家としては珍しく、ムンクはこの下地を好んで使いつづけた。(略)
油彩絵具、白墨、パステル、木炭、クレヨン、鉛筆(略)
油彩画はもっぱら油彩画でなければならないというしきたりにムンクは縛られなかった。まず素描を描き、後に絵具の層で覆い隠されなければならないとも思わなかった。完成したように見える絵を描くことを徹底的に嫌ったことも、生前なかなか世間から認められなかった理由のひとつ

画家を志した16歳のムンクは母国のコレクションを観察

 二流の絵を眺めつづけた結果、エドヴァルドは細部まで丹念に描いた絵を毛嫌いするようになった。(略)黄金色のニスを、溶かしたバターのように塗りたくった類である。(略)
偽りのない道を進む決意を固めて、「茶色のソースで覆われた絵はもうたくさん」と書き記す。

「病める子」(1886)への酷評(他の絵も同様)

「この線はいったい何のためにあるんだ。雨みたいだな。お前の描き方はまるで豚みたいだぞ。恥を知れ、こんな絵を描くようになるとは思わなかった。こんなくだらないものをな。手をこんなふうに描くなんて、これじゃまるでげんのうだ」(略)
「だれもかれも指の爪だの小枝ばかり描いているわけにもいかないだろう」(略)ムンクは言い返した。しかしこのとき受けた非難はムンクの心を酷く傷つけた。取り巻きはムンクを気違いと呼んだ。(略)
ムンクの絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった。(略)新聞・雑誌は画家の無能、怠惰、そして狂気を詰った。(略)ただ奇妙な狂気、譫妄状態、熱に浮かされた幻覚があるばかり」「芸術の曖昧なもじり」「精神性の徹底した欠如」「フランス絵画の逸脱」「半分消して捨てられたスケッチ」「これらは手のつもりか、はたまたザリガニのソースで汚した魚肉のムースか」「離れてみると、描かれた物の輪郭がわずかに見分けられるほどだか、それも霧を通して見ているよう……近づけは近づくほど、遠ざかるように思え、最後にはとうとう色の斑点がでたらめに並ぶばかり

The Sick Child

女性への恐怖

[友人達の]三角関係、それと並行して進展した[人妻]ミリーとの関係から、ムンクは女性の役割に恐れを抱くようになり、終生、愛の舞踊を色眼鏡で見るようになった。(略)現代的な恋愛が旧式の嫉妬と不幸へと転落する様子を、ムンクは間近で見守った。(略)
 イェーガーはクローグの友人でありつづけ、クローグはオーダと結婚し、オーダはイェーガーの愛人でありつづけた。この三人はムンクノルウェーからパリ、ベルリンヘと移り住んでも、その人生に不変の位置を占めつづける。ムンクはオーダが寝なかった少数のひとりで、それでもオーダはあきらめずに誘いつづけた(略)
多くの作品でオーダは多数の愛人にとりまかれ、夫もカンヴァスのどこかに配され、妻のいわゆる愛人と同じテーブルを囲んでいる。ムンクはときに自らの姿も描いたが、たいがいは病んで弱々しく見える。
[一方ムンクは人妻に翻弄され]
キスをうけようと仰向いたミリーの顔を見ていても、それが次の瞬間にはミリーの髪がのたうつ触手となってムンクの首にからみつき、締めつけて心臓の「開いた傷口」を引き裂こうとする。「わたしの初めてのキスを我が物にした彼女は、わたしの生命の息吹までとりあげたのか。彼女が嘘をついたから、わたしを騙したから、ある日にわかに目から鱗が落ち、わたしはメデューサの頭を見、人生を恐れるようになったのか」

パリへ。

しっくりいっていなかった父との別離。

 ムンクは父親にアパートの外の通路で別れの挨拶を述べた。どちらも居心地悪そうで、感情を表に現したくないようだった。ふたりのほかにはだれもいない。(略)
[出港まで時間があったので]ムンクは家に戻り、玄関の扉を押し開けた。父は書き物机に向かっていた。父は眼鏡の縁の上から息子をじっと見つめた。「気が変わったのか? ここに残るか」と言った。そうはいかない。ムンクは踵を返し、家を後にした。(略)
[そして出港]見送りの人びとに手を振った。大きな貨物コンテナ二台に挟まれた濃い翳のなかに、腰の曲がった老人の姿が見える。息子を見送りに来た父だった。父は晴れ着に着替えていた。

数ヵ月後、突然の訃報。

父とよく似た老人がいた。ほんの少し前屈みの姿勢で、片手を胃のあたりにあてがい、歩いてゆく。近づいてみたら、父にはすこしも似ていなかった……。(略)
ムンクは自殺のことばかり考えていた。(略)
[臨終の]父親の姿を知らなかった。これが大きな障害となった。このままでは絵に描けない。絵に描けないと、体験を乗り越えることもできない。

《サン=クルーの夜》

 ムンクは父親の死を描く術を探り当てた。一度もパリを訪れたことのない父、ムンクはその父がパリの窓辺に佇む姿を描いた。《サン=クルーの夜》の曖昧さは意図的なもの。これは手のこんだ三部作の第一作にあたる。窓辺の孤独な男は三人の男を同時に表わしている。
[ムンク自身、ルームメイト、そして父](略)
[窓辺で]聖書を手に、物思いに耽るうちひしがれた父親の姿を思い出しながら、ムンクがポーズをつけた。(略)
「無駄に費やされた厖大な人生を優しく包んで流れるセーヌ川を呆然と見つめながら、過ぎ去った人生を思い返す」かたわらで、遠くに流れる明かりと人生に向かって開いた窓がいっそうこれを際立たせる。(略)窓と床に映る影の織りなす十字架の執拗な存在。その間で父は悲嘆に暮れ、傑刑に処せられたように身じろぎもしない。

Night in St. Cloud
レオン・ボナの授業

ボナはかれこれ二十年来、パリのスカンディナヴィア人、そしてジャポニズムの流行に寄与した相当数の日本人画学生の間で、教師として最もよく知られる存在だった。日本画の滑らかな曲線、均一な色彩面、精緻な墨の扱い、新奇な空間感覚はムンクに大きな影響をあたえる。これは同じくボナの門下生トゥールーズロートレックにも当てはまる。

ゴッホの死

ゴッホは爆発したようなもの、五年で燃え尽きた。帽子も被らず昼日中絵を描き発狂した……脳に溜まった熱がパレットの絵具を濃く、滑らかにした。ぼくも試してみたが、真似はできない。しばらくして、あきらめた」。(略)
 四月後半、ムンクアンデパンダン展を見にパリに帰った。パリの前衛はゴッホのピストル自殺に衝撃を受け、そのショックからまだ立ち直っていなかった。ゴッホの絵は喪章を添え、最良の場所に展示されていた。(略)
 ゴッホの死がもたらした衝撃は、ジョルジュ・スーラが三十一歳の若さで急死したことによって、いっそう深まる。(略)
スーラはムンクより四歳、ゴッホは十歳年上である。

展覧によるストーリー

 スーツケースひとつを携えて安宿から安宿へ、展覧会の行われる町から町へ、どこへゆくにも列車に揺られて巡り歩くのは苦役でもあったが、同時にそれは完成した作品と長時間身近に接する、ムンクにとっては珍しい機会ともなった。これまでは創作過程に没頭するばかりだったが、画廊から画廊へ旅をして、壁面の性格は異なり照明も一様でないところに、「子供たち」とその都度たがいの関係を変えながら掛けるうちに、画廊が実験の舞台、意識の変化を誘う触媒でもあることに気づいた。「絵を並べて掛けてみると、様々な作品が内容を介して関連していることがわかった。いくつもの絵が並ぶと、すべてを貫いてひとつの音が流れる。絵は、それ以前のものとはまったくの別物に生まれ変わる。こうして交響曲が誕生する」。
(略)
「これまでぼくの絵はひとに理解してもらえなかった。何枚かをまとめて見てもらえば、ずっとわかりやすくなると思う」。

版画

ベルリンで彫版に手を染めたのは金を稼ぎたいのと、「我が子」にも等しい絵画を手放すのを病的に嫌悪したためである。(略)
パリは版画の街である。(略)アトリエを大きな版画工房のそばに移し、職人からじかに教えを受けることにした。これには利点がある。版画の刷りの現場に立会い、その場で手直しができる。重い石版をはるばる運ばなくてすむのもありがたい。(略)
当時、パリっ子の多くに霊感をあたえた日本の木版画では、多ければ十二枚もの版木を用いることもあったが、これではあまりに機械的で退屈、しかも写真のように完璧すぎると感じたムンクは、一枚の版木を鋸で切り分け、同じデザインをさまざまに変化させて作品を制作した。分割した版木をジグソーパズルのこまのように用いれば、色彩構成(ひいては表現)を多様化できる。(略)ムンクの方法では、版画の摺り方も変化する。一色刷る度に、パズルのどのこまに色をつけるか選ぶことができる。つまり当初の絵柄はそのままに、まったく異なる配色が得られるのである。
 その後まもなく、ムンクは木目を版画に採り入れる画期的な方法を思いつく。(略)唇を寄せてひとつに結ばれる男女は、鮮やかな木目と溶け合う。一体化した男女は、木に象徴される自然とも一体化するのである。
 ムンクが独習した三番目の技法はエッチングだった。(略)小さな金属板なら、スケッチブックのようにポケットにしのばせるのにも手頃だった。

Kiss
明日につづく。