インド 厄介な経済大国

チラ見。

インド 厄介な経済大国

インド 厄介な経済大国

破綻

第二の、さらに決定的な瞬間が訪れたのは1991年のことだ。湾岸戦争によって石油価格が急騰したことから、インドの外貨準備高は底をつき、経済がきりもみ降下を続けて実質的な破産状態に陥った。(略)
IMFからの緊急財政支援と引き換えに、インドは再び通貨の引き下げを行ない、保有する金の大半を担保としてロンドンに渡さなければならなかった。旧植民地大国の圧力にさらされない自前の経済を建設するというネルー社会主義の夢は、国家の破産という結果に終わり、さらに悪いことに、インドを崩壊から救う質屋の役割を果たしたのは、かつての支配者イギリスだった。

公僕という名の主人

ニューデリーの官庁街に立ち並ぶ帝国時代の荘厳な建物の廊下から、地方の裁判所の眠気を誘うような法廷まで、インドの政府の建物や裁判所にはすぐにそれとわかる共通した特徴がある。(略)
そこでは男たちの一団が、コンピューターを使うこともなく、大量の書類の山に埋もれて事務仕事をこなしている。電気掃除機の代わりに、下位カーストの掃除人が注意深くごみやちりを掃き集めては、あちこちに移動させている。決まった時間のアポの代わりに、「どうぞ来てください」と言われる。わかりました、でも何時に? ときいても、「心配いりません。とにかく来てください」の一言だ。待合室もなく、その代わりに廊下や外の庭まで嘆願者が列をつくり、お偉方が姿を見せたら一瞬でもいいから時間をもらおうと待ち構えている。彼らの一言か署名一つで、数カ月もの眠れない夜と、1000時間もの無駄な電話に終わりをつげられるのだ。そこにいるのは公僕ではなく、主人だった。

賄賂

[91年にライセンス・ラージが廃止され中流階級や大手民間企業は国家干渉から自由になり、メディアにも汚職体質が改善されたイメージが流れているが、大多数の貧困層は例外]
たとえば、ニューデリーには推定50万人のリックショーの運転手がいる(略)彼らはインドで最貧困層に属するスラム生活者だ。(略)[当局は]40万人以上が不法に操業するように仕向けている。仕事を続けるためには、運転手たちは毎月警察に賄賂を支払わなくてはならない。さらに悪いことに、デリーの条例の付帯条項は、リックショーの持ち主がその運転手と同一でなければならないと定めている。これによって、スラムに住む起業家の卵たちのほとんどが、今の生活から抜け出すチャンスを奪われる。複数のリックショーを購入し、人を雇って利益をあげることが禁じられるからだ。当然ながら、複数台を所有する者は、警察にそれ相応の額を支払って見逃してもらっている。

非効率な公共事業

ウッタル・プラデシュ州にはインドで最悪の道路がいくつかある。穴だらけで、村の住人は作物を売りに市場まで行くことすらできない。(略)全国で栽培される野菜や果物の三分の一が、市場に着くまでに腐ってしまっているのだ。政府はそれを人員不足のせいにすることはできない。高速道路課は道路二キロに一人の割合で作業員を雇っている。世界でもかなり高い割合といえる。しかし、その多くは現場で働いていない。クビになることがないからだ。(略)
[また現場に現れても建築資材も機材もない]
道路予算のほとんどを人件費に使ってしまうからだ。(略)作業員は、相場の三倍の賃金を受け取っている。
 全国の公共事業で、同じようなパターンが繰り返されている。

エンカウンター・キリング

「半年間の有給停職だから、自由な時間がたっぷりできたよ」、彼は偶然遭遇したと見せかけて容疑者を殺す「遭遇戦での殺害」を専門にしていた。ムンバイのベテラン警察官には、少数だが彼のような役割をこなす者がいる。インドの新聞は犯罪者が“現場から逃亡しようとしたため、激しい銃撃戦に発展した”という書き方をすることが多い。たいていは容疑者が死亡し、警察官は無傷のままだ。弾痕が死体の背中に見つかることも多い。
 この警察官は(略)裁判で無罪になる見込みがない、あるいは裁きの場に引き出されることもないだろう容疑者の殺害に、自分自身もかかわってきたことを率直に認めもした。

大人気クリケット国際大会

数千人の国民がまた正規のチケットを持ちながら、スタジアムの外に取り残されていた。後になって、ジャイトリーのところには判事や閣僚や上級官僚からの招待券の要求が殺到していたことを知った。(略)すべてのリクエストのなかで、ただ一枚、マンモハン・シンの妻グルシャラン・カウルからのものだけが、チケット代の小切手を同封していた。残念ながら、これがニューデリーなのだ。もし裕福で地位があれば、めったに金を払うことはない。貧しい者はつねに法外な金をしぼり取られる。そして、払った額に見合うだけのものが得られるという保証すらない。

地方雇用保障計画

貧しいものに毎日わずか2ドル程度の賃金のために12時間以上の過酷な労働をさせることが、なぜ彼らの生活の向上につながるというのだろう。インドの地方都市を歩いていると、大きな公共の建物や役人の住居の周りに、完璧に手入れされた庭が広がっているのが目に入る。2、30人の作業員が尻を一列に並べてかがみこみ、徐々に列を前方に進ませながら素手で芝生を引き抜いている姿を見かけることもある。建物の中では、数十人もの清掃人がつねに客よりも姿勢を低くかがめて、昔ながらの従順な態度でほこりをあちこちに移動させている。そんな様子を見ていると、ときおり足を止めて自問したくなる。これが雇用なのか? それとも掃除人や彼女たちに掃除をさせている者たちに、だれが社会的地位をもち、だれがそうでないかを再確認させることが目的なのだろうか。

女児中絶

[結婚持参金高騰で娘は喜ばれない]
「自分の娘を殺すつもりですか?」。グジャラート州でそんなテレビ広告を見かけた。(略)インドでは2001年から妊娠中の母親に胎児の性別テストをすることが禁止された。しかし、妊娠中の検診でスキャンを違法化することは非現実的なので、この法を厳密に適用することは実質的に不可能だ。これまでに有罪になったのは一例にすぎない。(略)「女児の出生率が下がっている理由の一つは、性別テストを受けて女の子だった場合に、中絶費用を負担できる人が増えているからです。おそらく、最近では幼児殺害が減って、胎児殺害が増えてきていると思います」とシン保健相は説明した。彼はグジャラート州のもっとも深刻な地域のグラフを見せてくれた。この州には男児1000人に対して女児が800人を下回る地域がある。

パキスタン

[2004年和平プロセスの一環としてパキスタンで行われる両国のクリケット戦を数千のインド人が観戦。インドの好プレーにも万歳の声援。]
話を聞いたインド人の全員が、長く会っていなかった兄弟のように迎えられたと答えた。商店では代金を受け取ってもらえなかった。タクシーの運転手も料金をとらなかった。ホテルは無料にしてくれた。通りでは人びとが次々と近づいてきては、菓子や小さな贈り物を手渡した。「胸がいっぱいになった」と、インド人グループの男性の一人が言った。全員がインドのナショナルチームのブルーのユニホームを着ている。「何が起こるかわからなかった。敵意をもたれるのではないかと不安だったんだ」。試合はインドが勝ち、大勢のパキスタン人の観客からの拍手喝采がいつまでも鳴り止まなかった。
 こうした情景とは対照的に、パキスタンの軍と官の指導部にとっては、インドはすべての頭痛の種をあわせたよりもずっとひどい片頭痛の種だった。インドからの脅威とカシミールを守る必要が、この国の歴史の半分以上を占めてきた軍事政権に正当性を与えてきた。