マルクスvsワイトリング

マルクスは1846年の討議で数年前まで「ワイトリングの天才的な諸著作」と激賞していた叩き上げの闘士をこう批判

マルクスと批判者群像 (平凡社ライブラリー)

マルクスと批判者群像 (平凡社ライブラリー)

あなたはドイツで共産主義プロパガンダを騒々しくおこない、多くの労働者をそこにひきこんで、あげくのはてに彼らの職や生活をうばった。
(略)
人民にはなによりその行動の確固たる基盤をあたえることが必要なのだ。それもなしに、人民を扇動するなど、欺瞞にひとしい。人の心にいたずらに幻想的な希望を呼び起こしたところで、困っている人間を救うどころか破滅させるだけだ。とくにドイツでは、厳密な科学的思想や具体的な教義ももたずに労働者に働きかけるのは、むなしいプロパガンダ遊びと同じことだ。そこでは熱狂した使徒と口をあけた薄のろ共が向かいあって立っているだけではないか。
(略)
[ロシアのように遅れた国では]あなたのような人間のはたす役割もあるかもしれない。

ワイトリングは19歳のとき、兵役を忌避し偽造旅券でプロイセンを脱出、渡り職人として各国を流浪

祖国を彼はとうのむかしに捨てていた。腕一本を頼りに、異国の空の下を渡り歩く者にとって、祖国という名の共同体などありうるわけがない。その意味で彼は、ドイツの複雑で濁った状況をはなれて、むしろ理念的な人類共同体を透明な大気のなかにえがきだしたのである。

1830-40年代前半の労働者運動にはキリスト教共産主義の色彩

彼の財産共同体の構想は「だれもが自分の必要なだけを手にいれ享受するが、必要以上に手にいれ享受する者は一人としていない」というなおラムネー的な宗教的共産主義の色彩につらぬかれているということである。だが、それはなにもワイトリングだけではない。この時期の手工業職人の運動は多かれ少なかれ宗教的色彩をもっていたのであり、とりわけラムネーの影響は強かったといえる。(略)
[渡り職人といっても]ギルドと無縁に生きていたわけではないのだから、多くの者は新しい社会思想と古い信仰心とをさして矛盾もなく共存させていたにちがいない。

若きドイツ派へのワイトリングの批判

「これらの連中はいつもこう言っている。奇想天外な考えだ、この平等などという代物は、などと。あるいはこう言っている。それはすばらしいかもしれない。だが、そうであっても実行できはしないし、そんなことを口にすれば、出版の自由を損うだけのことだと。また別な人間は言っている、われわれはそんなことなど考えるまえに、まず共和制を獲得しようとしているのだと。
(略)」
若きドイツ派はいわば哲学的アナーキズムであって、個人とか自我を全体的体系のなかに埋没させようとする共産主義に反対したのである。

マルクス27歳、エンゲルス25歳、ワイトリング37歳。

マルクスエンゲルスも文筆家としては一定の業績をあげてはいたけれども、運動家としての実績はまだなかった。(略)労働者のなかではまだ青二才のインテリと思われていたであろう。[そこで組織に入り込むのではなく、一旦解体再編して運動の主導権を握ろうと、1846年共産主義通信委員会を発足させる]
その手はじめに彼らがおこなったことは、ブリュッセルの通信委員会の席上でワイトリングを批判し、なお労働者のあいだに残存していた彼の影響を粉砕することであった。

激怒するワイトリング

いまやっているような討論からおのずと出てくることは、だれでも金づるをみつけさえすれば自分の好きなことを書ける、そうでなければ何も書けない、ということだけじゃないかと。「マルクスの頭はまあせいぜい出来のよい百科全書ではあっても、天才ではない。彼がもっている影響力は人づきあいのなかでつくられたものだ。」ワイトリングの気持をもっとはっきりいえば、マルクスは貴族やブルジョアの金づるをもっているから子分をつくれたんだ、というところであったろう。(略)
自分はプロレタリアートの出身で、しかもプロレタリアートのために拷問にも耐えて闘いぬいてきた。その自分を、運動経験の何一つない若僧で、しかもブルジョアや貴族のような連中が「無知だ」と言ってきめつける。ワイトリングの頭は煮えくりかえるような思いで錯乱したであろう。

「学者」派vs「労働者」派

[シャッパーのマルクス宛の手紙]
われわれはあなた方が「一種の学者的特権階層をつくって、あなた方の新しい神々の座から人民を支配しようと意図している」とばかり考えていた(略)
[学者らは]非常に多くのばあい、人の誤りをみつけると、その蒙をひらき矯正してやるどころか、ただちにその鷲ペンで突き刺し、殺してしまおうとします。彼らは労働者と論をたたかわすばあいでも、学問的爆弾を自分のまわりにはりめぐらし、自分は超世俗的な後光に包まれているのです。彼らは労働者の友情を手にいれるすべを知りません。労働者をひきつけるのではなく、はねつけるのです。

交易時間

大学はだれでもはいれる。ただし、有能で勤勉な者だけが大学での勉学を労働時間とみなされ、他の者は彼の「交易時間」で支払わねばならない。(略)
必要労働時間をこえた部分については交換を認める。(略)この交換しうる各自の手持の労働時間が「交易時間」なのである。(略)
人間社会は機械的な「物の平等」によるだけでは調和を保障できない。それがワイトリングの確信であった。だから、人以上にさまざまな欲求をみたしたければ、人並以上に働けばよいのである。自分はけっして秀才ではないが大学へ行って勉強したいというのであれば、余分に働いて交易帳に労働時間をためればよい。