トム・ウルフ、サイケ宗教、トミー構想

「ローリング・ストーン」インタビュー選集。

「ローリング・ストーン」インタビュー選集 世界を変えた40人の言葉

「ローリング・ストーン」インタビュー選集 世界を変えた40人の言葉

トム・ウルフ(1980.08.21)
クール・クールLSD交感テスト

クール・クールLSD交感テスト

私が『クール・クール・LSD交感テスト』を書いたのは、つまり書くだけの意義があると思ったのは、それが宗教だったからなんだ。キージーのグループは、原始的な宗教集団だった。
 彼らを取材していると、そういう集団がどのように発達していくのかがわかった。初期のキリスト教が形成されていった時期に、レポーターになったような感じだったよ。
(略)
サイケデリックの世界にいた連中は、自分が信心深いことをずっと隠していた。おおっぴらに宗教的なのは、評判が悪かったんだ。実際には、キージーは神を意味する「コスモ」というものをよく引き合いに出していたし、グループの人間の中には、その代わりに「支配人」という言葉を使っている人もいた。(略)
70年代に入って、こういう雰囲気がもっとオープンになり始めたとき、私の頭に「第三の大覚醒」という考えが浮かんだんだ。大学院で、第一の覚醒とモルモン教による第二の大覚醒のことを学んでいたからね。(略)
[モルモン教徒は]当初まさにヒッピーのような感じだったし、周囲からそういうふうに見られてもいた。要するに「やんちゃな」若者だったんだな。スタートしたとき、彼らは若かった。今は、年老いて長いあごひげを生やしたモルモン教徒が思い浮かぶだろう? あの頃は、みんな若くて二十代初めだった。
(略)
私は、理性的な信仰など存在しないと思っている。それは真の信仰ではないんだ。人々は盲目的な信仰を求めている。私自身、心の中ではそれを求めながら気づかないふりをしているのであって、自分が教養のある洗練された人間だと自負している人の大部分はそうだろう。でも、本当はそういう信仰を心底望んでいるんだ。
(略)
今は、新たな宗教が台頭するには絶好のときだと思う。ジョギングを信奉する人も、セックスを信奉する人もいる。フリーセックス愛好家を自認する人の話なんかを聞くと、頭がふっ飛ばされるような衝撃を受けるよ。とにかく、聞いているだけでも苦痛で、彼らに混じって十五分も部屋の中にいたら頭が空っぽになったような気になってしまう。健康食品も、信仰の対象になってきているね。それから、ESPとか、空飛ぶ円盤とか、今やどんなものでも根強く信奉される風潮ができ上がっている。日々、新たな救世主が生まれているといってもいい。だから、ジミー・カーターが声高に人々に説教しなかったのは大きな過ちだったと言えると思う。彼は戦争による殺人をうまく逃れて、キリスト教再生派として選ばれた。それこそ、人々が求めているものなんだ。もし、大統領任期の最後の三年間に、彼が人々の堕落について大声でわめきたてていたなら、もっと人気が出ていただろうね。

新聞・テレビ

私が[新聞をお上品な]「ヴィクトリア朝時代の紳士」と呼ぶのは、彼らがいつだって、私生活では全然口にしないくせに、公にはモラルを主張したがる偽善者だからだ。(略)
実際には、読者は社説なんて全く読まないし、新聞社もそれは知っているんだ。でも、社説抜きの新聞を発行したら、きっと誰かに魂を売り渡したような気がしてしまうだろう。読者も口々に非難するに違いない。「社説はどうしたんだ?この新聞は、本質を売り渡してしまった」ってね。だから、新聞社が社説を載せ続けるのは当然のことなんだ。これもすべて、モラルというものを想定しているからだよ。
 最近、新聞からは何もわからない。(略)
ニュースの媒体としてのテレビは、何のレポートもしていないんだ。ワシントン特派員とやらが政府の建物前に立って、黒いスポンジで包まれたマイクを手にAP通信やUPI通信の原稿を読み上げているだけでね。実際には、テレビで放送されるニュースはすべて、通信社からの情報か、ダニエル・ブアスティンの言葉を借りれば「重要性のない出来事」ばかりだ。記者会見とか、バスケットボールの試合とかね。「じゃあ、通信社は何を伝えているんだ?」って聞きたくなるだろう。通信社は、完全に地方新聞の受け売りなんだ。偉そうにしている通信社だって、ただ地方新聞の情報を流用しているにすぎない。
(略)
テレビはといえば、取材をするだけの資金があるのに、しないで済ませるようにうまく立ち回っている。こういう連中に話を聞いたら、きっと「ベイルートからテヘランへ派遣されて、45分かけてレポートしたんだ」と言うだろうが、本当は「AP通信からもらった原稿を読んだんだ」と言うべきなんだ。

「トミー」構想を語る、ピート・タウンゼント
(1968.09.28)

[酔った父親が三重苦の息子に話しかけるが]
息子は、ただほほ笑んで父親を見上げてる。父親は息子に、普通の父親なら息子をフットボールの試合に連れて行ったり、プレイのやり方を教えたり、いろんなことができるのに、と言う。そして、こう問いかけるんだ。「俺の言うことが聞こえるか?」。もちろん、息子には聞こえない。彼は音楽があふれる世界に、そのすばらしい世界に浸ってるんだ。彼の心は遠くを旅している。そして、父親は息子の内面に入ることはできない。ここの曲はジョンが作る予定なんだ。神経がピリピリしてる、この場面の父親を表す曲ができるんじゃないかな。
 息子は、相変わらずほほ笑んでいるだけ。父親は彼を殴り始める。そのとたん、すべてが現実的なものになるんだ。一方では少年の無の人生を表す夢想的な音楽が、一方では現実の世界を生きる、いらだった父親を表す音楽が流れることになる。だがこの場面で、父親が息子を殴ることによって、一つのコミュニケーションが生まれるんだ。予定ではここでサウンドが爆発して、次からはキースの担当になる。「ここからは君の場面だ。うまくやってくれ」ってとこだね。
 息子は暴力を受けたと認識できない。何か騒ぎが起こってることを感知しているだけだ。痛みも感じなければ、そのことを何かに関連づけて考えることもない。彼は、ただ受け入れるんだ。(略)
[息子が預けられた]おじというのが、いわば変質者なんだ。目も耳も口も不自由な少年の体を、もてあそぶのさ。そしてまさにそのとき、少年は自分の名を呼ぶ声を聞く。母親の声だ。かろうじて「トミー」という言葉が聞き取れる。最終的に名前は変更になるかもしれないが、とにかく彼は自分が「トミー」だってことを知って、その名前にこだわるようになる。この名は世界一で、自分が目指していたものだと思うんだ、「トミー」こそ最高、ってわけさ。

Seems Like I Gotta Do Wrong
レイ・チャールズ 1973.01.18)

何かをどんなに懇願し強く抗議し、話し合いを持ったとしても――つまり、僕ら黒人は長い年月をかけてそうしてきたけど、実際には何もかわらなかったってことを言いたかったんだと思う。楽しそうに笑顔で踊ってる連中を見れば、みんな「彼らはうまくやってるんだな」と思うだけで、注意を払ったりしない。彼らが何かヤバいことをするまではね。もちろん、自慢できるようなことじゃない。これは恥ずかしいことだと思ってるんだ。
(略)
[富める国]の指導者たちが、物を燃やし、不法侵入し、ピケを張ってホワイト・ハウスの芝生に立たなければ、僕らに目を向けてくれないなんて恥ずべきこと、とても惨めなことなんだよ。
 残念ながら、権力を手にした連中はのっぴきならない状況になるまで重い腰を上げようとはしない。「恥ずかしくないのか」と周りにせっつかれてようやく動きだすんだ。だから僕がこの歌を――「誰かに気づかれる前にヤバいことをしようぜ」と歌うのは、大口をたたいて喜んでるわけじゃない。そんなのは情けないことだっていうメッセージなんだよ。実際、とても悲しいことだからね。

ジョニ・ミッチェル(1979.07.26)

[ボブ・ディランと]次に雑談したのはポール・マッカートニーがクイーン・メリー号でパーティを開いたときで、みんなテーブルを離れた後も、私とボビーは座っていた。長い沈黙の後、「この部屋を描くとしたら、何を描く?」って聞くから、「そうね、回っているミラー・ボール、洗面所にいる女性、バンド……」とか答えた。そしたら嘘みたいだけど、今言ったものを全部「パプリカ・プレインズ」の歌詞に取り込んだのよ。「あなたは何を描く?」って聞いたら、「このコーヒー・カップだな」って言って、その後彼が書いたのが「コーヒーもう一杯」よ。

欲望

欲望

あまりに典型的DV妻でw、ティナ・ターナー(1986.10.23)

 ――暴力は、それから16年間続きました。あなたは夫に虐待を受け、恐怖に支配されていたのですね。
 本当に悲惨だったけど、あの頃はどうかしてたのね。アイクを本気で心配なんかしちゃって。「あたしが見捨てたら、この人はどうなるんだろう? セント・ルイスに帰ることになるのかしら?」。あたしは彼をがっかりさせたくなかったのよ。あたしに対するアイクの仕打ちはそりゃひどかったけど、それでも彼を失望させちゃいけないって責任を感じてたの。当時は心が病んでいたのね。

オジー・オズボーン(2002.07.25)
ドラッグ漬けの僕を救ってくれた妻に感謝w

ずっとバカ呼ばわりされて生きてきたんだ。それなのに、彼女だけは違った。俺を励まして尻をたたいてくれた。俺たちは世界一すばらしいチームなんだ。
 ――1989年に酔って暴れ、彼女を殺そうとしたとして逮捕されましたね。
 ずっと幸福だったわけじゃない。でも、女王在位五十周年記念コンサートで、同い年の女房を連れたロックスターは、他に一人だっていやしなかったんだ。一回り下とか、三十二歳違いなんて奴らばかりさ。若い娘を嫁にもらうのもいいが、いったいどんな話をすればいいっていうんだ? 「インドとパキスタンの件は、嫌なニュースだったね」なんて話をするのか? そういう連中が、とても多いんだ。俺は、何があってもシャロンを手放したくないね。

キース・リチャーズ(2002.10.17)

[ドラッグ漬けだった1970年代]
ほとんどのことを仕切るのは、主に俺の仕事だった。でも、そこから身を引いて他のメンバーに任せることになったとき、ミックがその役目を喜んでやっていることに気がついたんだ。奴はバンドを仕切ることにドンドン慣れていったよ。
 俺は甘ちゃんだった――そんなことにも気づかなかったなんてさ。俺がドラッグをやってることを、ミックがあちこちで言いふらしたのは間違いないね。そして、みんながそのことを知ったんだ。「キースに話してもムダさ。彼はこの件には関係ないんだ」。そう、これは俺の失敗だ。自分で、そういう事態を招いちまった。でも、また同じ過ちを犯さなければいいだけの話さ。