贋作王ダリ

金の亡者ばかりが登場して、ある意味、「清清しい」w。

贋作王ダリ―シュールでスキャンダラスな天才画家の真実

贋作王ダリ―シュールでスキャンダラスな天才画家の真実

 

成金達の裏金洗浄

ベルギーの雑誌にデッチ上げハリウッドスター・インタビューを書いていた著者。その内の偽ダリ・インタビューを目にした国際投資クラブ社長に請われ美術投資部門を担い、成金達の裏金洗浄。

「どこまでやっていいんでしょう?」
「買い手が払える限界まで、いくらでもふっかけろ。うまくやれば、価格に上限はない。金持ちは、悪趣味に見られない程度にカネをひけらかしたいんだ。つまり、壁に現金を飾るわけにはいかんだろう? 覚えておいてもらいたい。ひとつ、金持ちはこけにされないかぎり、こちらを尊重する。ふたつ、秘密兵器は奥さん連中だ。三つ、哀れみを見せるな。容赦なく搾り取れるだけ搾り取れ。忘れるなよ、この世の富は、すべて悪事の上に築かれる」

掘り出し物のダリを転売し、ダリ公認と称する只の四色刷り複製品を大量に売りさばき、大儲け。口説き文句は「ダリが死ねば価格は天井知らず」。やがてダリのビジネス・マネージャー「ダリのサインした複製が一枚売れるたびに10%を手にする」ムーア大尉と直接取引。
さらに大儲けを狙いダリのオークションに出るが、高額連発でことごとく競り負け。そして競売人が衝撃の事実を。

「でも同時にこの競売は、ダリの美術市場の転換点にもなりました。これからは下がる一方です」
 「下がる一方? どういう意味です?」
 競売人は微笑んだ。「美術界に掘り出し物はありません」と、謎めいたことを口にする。「美術商から掘り出し物を勧められた? それは盗品か贋作です。贋作で盗品ということだってありうる。おっしゃるとおり今回の競売は、ダリのこれまでの主要作品のセールの中で、最も大掛かりなものでした。と同時に主要な競売場で行なわれるダリの、最後の大セールでした。わたしどもの関知するかぎり、ダリはこれでおしまいです」

全て偽物

今まで売りさばいていたのは全て偽物だったのか。著者がカタログをチェックすると666種のダリのサインが存在することが判明。ダリは死なず、価格も高騰せず、投資家から苦情殺到、ダリのアメリカの弁護士を訪ね、事情を話すと。

弁護士はまたため息をついた。「最悪だよ。何もかも60年代初頭に始まったんだ」(略)
[ムーア大尉がシュール風味のゴヤエッチングをダリに依頼するも、ダリは途中放棄]
ゴヤ・プロジェクトが完了しないうちにダリが死ぬかもしれないと思ったムーア大尉は、ダリにアルシュ紙と和紙を白紙のまま数百枚渡し、鉛筆でサインを書き込むよう頼んだ。ダリが急死した場合でも、ダリのサインの上からゴヤの絵を印刷すればすむ。(略)
 ダリにとっては、新しい絵を考え出す手間が省けた。白い紙にサインするだけで50万ドル――現金、前払い――を稼ぐことができた。その後15年間にわたってダリは、リトグラフや複製画やエッチングにサインすることは断り、印刷前の白紙にしかサインしなかった。シュールレアルな絵はあとから加えられた。これぞ本当のポスト・イメージだ。
 「つまり、絵はあとから印刷したと?」
 「そうだ」
[その数、推定数百万枚。70年代半ばには病気で鉛筆さえも持てなくなり、ダリの代わりに他人がサインをすることに]

本物のにせ物

詐欺で逮捕された著者は判事に向かい

これら“本物の本物”のダリは、百パーセント本物、疑う余地のないダリ本人による手描き作品ということで、世界じゅうの美術専門家の意見が一致しています。第二レベルが、1940年代から60年代後半にかけての、“本物のにせ物”ダリです。(略)
[1940年代ディズニー・スタジオを訪問したダリは]
ディズニーが絵などいっさい描けないことを知って、心底驚きました。ディズニーではなくて、大勢のアシスタントがアニメを描いていたのです。ダリはそれがいたく気に入り、ディズニー方式のダリ工場を創りました。つまり“本物のにせ物”ダリは、ダリの目に触れ、ダリが手を加えた可能性のある絵を指します。といっても十中八九は、もっぱらスタジオのアシスタントたちが描いたものですが。最後に、圧倒的に大量に出回っている“にせ物のにせ物”ダリ。これに属するのが1972年以降に市場に出た全作品
[「そこまでわかっていて、なぜきみはダリを売り続けたんだ?」
「カネのためだ」]

“青年”ダリと呼ばれる影武者

「1975年の末に、何があったんです?」わたしは尋ねた。
 「ガラが電話をかけてきたんだ」“青年”ダリが説明する。「泣いていたよ。『せっぱつまってるの。ダリを助けて』って言うんだ。『あなたは腕のいいアーティストよ。40年代のあの有名なダリの画風で、シュールレアルな作品を何枚か描いてちょうだい。代金ははずむし、あなたの前に世界はひざまずくわ』わたしに何が言える? わたしは売れない画家で、すでに三十歳。結婚していて、住宅ローンは払わなければならないし(略)
ダリの家まで車を走らせ、トランクの絵をすべてガラに渡した。ガラは一枚一枚丹念に調べた。ダリは、それが自分のオリジナルの作品ででもあるかのように、拡大鏡でつくづく眺めた。ふたりは目の前のものに大喜びで(略)
わたしのダリは、わたし自身の発想で描いた独創的なものだった。初期のダリの作品のコピーじゃないし、サインも入ってない。ダリはすでにパーキンソン病がかなり進んでいて、自分の名前も書けないほどだった。(略)だから、アトリエにいた別のアシスタントがサインをした」
 「つまりそれが、かの有名な“にせ物のにせ物”ダリなんだ」わたしはため息をついて言った。「あなたが描いたんですね」
 「そう、わたしが描いた」
(略)
「ガラとダリと新しい秘書が、美術市場に“にせ物のにせ物”ダリをあふれさせたんだ。わたしはシュールレアルなダリ作品を一枚描くたびに、400ドルもらった。それを新たな経営陣は、またたくまに世界中の美術館や個人の蒐集家に、最高20万ドルで売りさばいた。たいていは、パリのポンピドー・センターの真筆証明書をつけて。わたしのシュールレアルな絵が、世界中の一流美術館で常設展示されている。

[ムーア大尉談]
ダリのセックス部屋には世界の有名指導者の顔を描いたアナル用張り形があり

いちばん大きな、黒いラテックス製の張り形には、アドルフ・ヒトラーの顔を描き込んでいたよ。ダリは秘密のセックス小屋に鍵をかけて二、三時間閉じこもったあと、尻をつかんで顔を苦痛にゆがめ、がに股でよろよろと出てきたものさ。『マエストロ、どうなさったんです?』と尋ねると、顔をしかめて『何もかもヒトラーのせいだ』とうめくんだ」

稚児談

わたしはダリに、自分のペニスを見せなければなりませんでした。ダリは年寄り――55歳で、わたしは10歳、いや12歳でした。念のために言っておきますが、ダリはべつに、小児性愛者ではありません。わたしや、わたしと同じ年頃の少年が必要だったのは、ズボンを下ろしてマスターベーションするときに、見つめる対象が必要だったからです。
 それがダリでした。まるで機械ですよ。天使のような顔と幼くて女性的な体つきの少年を見かけたら、とたんにズボンを下ろしてマスターベーションを始める。
(略)
ガラは色情狂でした。ガラの性欲は過剰で異常だった。まるで……スピードをやったフェイ・ダナウェイでしたね。90歳近くになっても、若い愛人たちに何千ドルも支払って一日二度相手をさせました。カネが尽きると、ダリの絵を与えてセックスをさせた。