中原昌也作業日誌

時間を大量消費して読了。著者の精神状態でこちらもドンヨリ。
引用してどうこうという本じゃないのですが、ドンヨリ気分で、こんなとこだけ引用することに、スマンソン。
キンクス『ヴィレッジ〜』はともかく、ローラ・ニーロとかも聴くのかとビツクリ。

中原昌也 作業日誌 2004→2007

中原昌也 作業日誌 2004→2007

  • 2006年

3月1日

聴いてみると大半が案の定「ガー」という爆音がひたすら続くだけのもので…いや、大半の人はこの手のものは、ただ「ガー」という音だけの退屈なものだと決めつけているのであろうが、いくらそういうものに普通の人より免疫のある僕(略)でさえ、これらはちょっと「ガー」だけ過ぎはしないか?と思う。「ガー」の中にも「ピー」とか「ギュワギュワギュー」だの、「ギギギギギ」だのといった(些少な差異ではあるが)音と聴き分けるのが、この手の音を聴く楽しさのひとつであるのだが、本当にこれらは「ガー」というのが最後まで変化なく続くだけであった。(略)
何が楽しいのだろうか…僕個人は今後これらを聴いて楽しむことはないだろうが、この人たちのやってることを否定するようなことはしない。また、たまにこれらが「ガー」そのものしかないのを忘れて、同じようなものを買ってしまいガックリすることもあるかもしれない。しかし、怒らない。もっと頑張って欲しいとさえ思う。

4月9日

7時に突然、目が覚める。ある女の子の夢を見ていた。よっぽどその子のことが好きなんだろうなあ、と思う。しかし、その反面、別に「そんなことどうだっていいや」という自分も確実に存在していて、それは「どうだっていいいや、と思わないとやっていられない」だけなのかもしれないけど、とりあえず「どうだっていいのだ」と突っぱねることが可能なような気がしたので、そうすることにした。
 そんなクールな自分が、あまりに痛々しいほどに悲しくなってきた。その悲しさが決して「その人間への思い」とか「実らぬ恋」に対してじゃないのが、何だか自分らしい。

4月30日

 やっぱりある人との関係は自分にとって闇雲に暗い劣等感が増すだけで、精神的に苦痛なことしかないという結論に達する。自分の中から完全に消し去ることに。モテない男には1ミリの救いもあリえない冷酷極まりない世界に住んでいる。その事実を、今後も生きている間は一秒足りとも忘れてはならない。誰であっても所詮、自分を嘲笑っていることも絶対に忘れるな。

6月15日

店を出て、酔った勢いで思わず町田康さんに電話してしまう。遅れてしまったが、芥川賞候補になった報告を。(略)
町田さんは会って開口一番、僕からの一報を聴いて涙ぐんでしまったと言ってくださる。候補になっただけで、十分によかったと思う。

7月8日

取れないと十分にわかっている賞の落選発表後の自分の心境が想像できなくて、それがとても恐い。その先には、本当に何もないという感じしかない。真っ暗闇。

8月5日

黒沢監督はちょっとだけ酔っていたのか、いきなりちょっとだけ嫌味を言われた。黒沢監督は、まあ実はそんな人だ。

8月13日

対談終えた「新潮」編集者たちと島田雅彦先生と遭遇。そこへ遅れて青山監督も。課長とは結局握手。結局、敵は共通だったと。

  • 実にハスミン臭くて笑えたトコ

[ハスミン直々のメール広報に心打たれ観た映画の帰り]

蓮実先生にメール。「今日、『次郎長三国志』観ました」と。いくらか和らいだ寒さの中を歩いていると、早速蓮実先生からメールが。「マキノを満席の観客とともに観た世代として、御礼申します」とのこと。

  • ほのぼの

映画ロケで釧路(2004.10.28)

浅野(忠信)さんとふたりで当てもなく釧路を観光することに。
 駅前に行き、適当に目についたバスに乗る。デジカメを持ってくればよかった、としみじみ言い合い、車中で旅ドキュメンタリーの構想を練る。
 そうこうしているうちに春採湖といういい感じの湖近くのバス停に到着。どこを切り取ってもいい画が撮れそうで、何だか興奮してくる。そこから湖に沿って歩き、丘の上にある炭の採掘場みたいな建物にも興奮し、思わずふたりで丘を駆け登ってしまった。
(略)
それにしても浅野さんは不真面目さをひた向きな真面目さで巧妙に隠しているのが、大変に面白い人だ。

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