残虐死刑、被虐ゲロ聖女

注意!!残虐不快な表現を含みます。
本題に入る前にお笑いを一席。極論という手法がありますが、死刑制度に反対の人は、死刑による犯罪抑止力を主張する人に、それならこれくらいやらなきゃ駄目だと思うが、できるのか言ってみたらどうでしょう。

罪と恐れ―西欧における罪責意識の歴史/十三世紀から十八世紀

罪と恐れ―西欧における罪責意識の歴史/十三世紀から十八世紀

拷問をともなった処刑は道徳的教訓として公開され、子供も見学

70歳の婦人を襲った罪びとは、生きたまま焼けたペンチで皮膚を剥がされた。(略)
[父と叔父を毒殺した少年二人の処刑]
まず少年たちの服を剥ぐと、激しく鞭で打ったので、血が大量に地面に広がった。次に、死刑執行人は真っ赤に焼けた鉄を彼らの傷口に当てたので、彼らは想像もできないほどの叫び声を挙げた。次いで両手を切った。(略)処刑は20分ほど続いた。大群衆に混じって少年少女たちも見ていたが、この刑罰の間、皆、神の正義の審判を称え、この例に教化された。

こうした日常は文学にも反映されトマス・ナッシュの『不幸な旅人』(1954)では

服を脱がすと、地面にしっかり打ち込んだ鋭く尖った鉄の杭に、その尻を剌した。その杭は串のように彼の体を貫いていく。腋の下にも同じような杭を二本並べると、周囲に大きなかがり火を焚き、肉を燃やさぬように灸る。強い熱のため、だんだんと皮膚に水泡ができてくると、少し火を遠ざけて、硝酸と明礬と昇汞の混合液を、受刑者に浴びせる。この液体は魂まで食い入り、骨の髄まで溶かす。尻全体が、このように液体を振りかけられて腫れ上がると、真っ赤に熱した針金でできた鞭で、それを打つ。頭には松脂とタールを塗って火をつける。花火をつけられた恥部からは光が流れる。焼けたペンチで、肩の付け根、肘、腰、膝、くるぶしの皮膚をつまみ、ざっくりと剥ぐ。胸と腹は、アザラシの皮で擦り、次第に肉が剥き出しになると、そばに立っていた死刑執行人の一人が、蒸留酒と鉄の粉の混じった水で傷口を洗った。爪を半分剥すと、尖った鋲で下からつっかい棒にした。まるで仕立て屋が、祭日に店を半分開けておくときに店先でするように。それから手の指を一本ずつ手首まで引き裂いた。足の指は根本を切って舌状になった皮膚の端のところでぶら下げた。この儀式の締めくくりに、薄いガラス王を吹くのに使うような、小さな火を油で作り、両足から始めて、足が燃え尽きるまで、四肢を焼く。

自分さらには世の罪も償おうと、屈従を渇望し、自分を痛めつける敬虔な聖人。
(その手の趣味の人達は現代の聖人w)

8年間常に裸の背中と肩に30の釘とマリアの苦しみに因んで7本の尖った針のついた十字架を背負っていた(略)
29歳で死んだ「聖体の秘跡の」マルグリットについては、以下のような報告がある。
 「彼女はきわめて繊細な性質を持ち清潔を好んだが、この点を克服するために奇妙な方法を実行した。自分が嫌悪する物に触れたり嗅いだりするばかりか、自分を苦しめるために口に入れた。そして、痰でも腫れ物でも何でも、嫌悪を感じる限り口に入れるというやり方で、彼女が口に入れなかった汚物は何もない。
(略)
「私はひどく過敏だったので、ちょっとした汚れにも心臓が飛び上がった。この点に関してイエスは強く私を非難されたので、ある時病人の吐潟物を掃除しようと思って、イエスに次のように言いながら、舌で掃除をしたがる自分を抑えられなかった。おお、私の夫イエスよ、たとえ私に千の体と千の命があっても、あなたに服従するためにそれらを犠牲に捧げましょう、と。そのとき私はその行為に非常な歓喜を覚えたものですから
(略)
[ギュイヨン夫人]
彼女は長時間鞭を受け、針のついたベルトを締め、ろうそくで身を焼き、溶けた蝋を体に流し、イラクサで身を覆い、健康な歯を抜かせ、靴の中に小石を入れて歩き、汚物を食った。彼女もまたある日おぞましい痰の上に唇と舌をつけた
(略)
[痙攣派の自発的犠牲者は]救済の王道は苦痛であると考えて、頭や腹を、棒や石や鉄の薪台や重い二つ折りの本で殴らせたり、八つ裂きの刑に少しだけ身を任せたり、「そのために考案された機械で」自分を圧迫させたりした。最高潮は、非常に例外的ではあったが、傑刑で、多くは本物の釘で行われた。肉体的な苦痛が幻視者に予言の力を与え、十字架に架けられた者の再来と浄化された教会の再興を告げさせたのだ。
(略)
「聖体の秘跡の」マルグリットは、「病人たちの人格の中にイエスその人の人格しか見ないし認めなかった。潰瘍から滲み出す膿で満ちた傷に口をつけるとき、イエス・キリストの聖なる傷口を想い、自分の口がイエスの貴重な血で満たされるのを感じた。」(略)
「私の最愛の人がすっかり私のものになるのですから、私は永遠にその人のものであり、召使いであり、奴隷であり、娼婦なのです。彼の不肖の妻である修道女マルグリット=マリーは、この世では死んでいます。すべては神の内にあって、私の内には何もありません。

エリート層における恐怖

バロニオ枢機卿は自分の印章に死神の図を描かせ、インノケンティウス九世は大きな決断をする前には死の床にある自分の姿が描かれた絵を見るのが習慣であった。アレクサンデル七世はベッドの下に棺を用意しており、髑髏を描いた土製の皿で食事を取った。またときには本物の髑髏を並べた部屋に客を招き入れることもあった。オリヴァ枢機卿は墳墓の形をした箱を日に何度かのぞくのを習慣としていたが、その中には骸骨が入っていた。これらはいずれも最上層部が昧わった精神の苦しみを示すもので、司牧術はこれを民衆レベルに伝えようと欲したのだ。したがって必然的に策略に走ることになる。(略)
この最も高位の人々が感じていた恐れを想起すれば、今日、公認された歴史記述において広く受け入れられている(略)「布教団と民衆には痛烈な非難を。敬神の念の深いエリート層には魅惑と甘美を」という主張を何の修正もなく維持するのは難しい。

明日につづく。