オタキングはエリカの夢を見るか

デビューしたオタキングの「オタクはクールだと思われてるけど、日本のおされサブカルなんて世界から相手にされてないよ」てな発言に、いつもハッピーハッピーな「高チュロ剛」が珍しく不快感をあらわにしたのも今は昔、一方は女優サワケツと結婚、一方はオタク界を追われダイエット評論家である。
世界を制覇したオタク界に君臨するはずだった男の怨み節。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

昔は「好きなジャンルや作品は違っていても」同じオタク同士という一体感があったのに、いまや「萌え」がオタク規定の中心になり、「萌え」がわからないくせにオタキングと批難されてしまう。セクト化したオタク界の終末は近い。

「俺たちは同じだ」っていう感覚よりも、「俺たちとあいつらとは違う」っていう差異のほうがどんどん気になりだしている。そういうオタクが増えてきた。だから、すぐに「あいつはわかっていない」と排除をしたがる。それが現状だと思います。
 これが「オタクが終わりつつある」ということの本質なのです。

オタキング規定のオタクとは

「自分が好きなものは自分で決める」という強烈な意志と知性

「痩せたら娘が一緒に歩いてくれるようになりました」と語るダイエット評論家の岡田斗司夫さんがこんな文章を。
「モテなくても全然平気でした」と書くべきだけど。

「オタクやめればモテるよ」などと言われても耳を貸しません。
「とんでもない、オタクをやめてまでモテる価値なんてあるはずがない。早いこと女の子がもっと賢くなれば、私たちオタクがよく見えるんだけれども、女はダメだからなあ」と思っている。つまり、モテなくても平気な人間が私の考えるオタクなのです。実際、私はモテなくても全然平気です。

そして現在のオタク界を過去のSF界の終焉に重ね合わせるオタキング
SFファンを自負すれば、先輩に未翻訳タイトルを挙げられ、それを読んでから出直して来いと一蹴され、辞書片手に翻訳することになるくらいにSFファンのハードルは高かった。それがスターウォーズガンダムで新規参入者増するも、古参ファンの知識には興味を示さない

 彼らはSFという共通文化をまったく尊重しようとしなかった。その結果、SF文化は廃れてしまったのです。(略)
勉強熱心で、真面目なSFファンが作るSF文化というものが、すごい勢いで音を立てて崩れていった。
(略)
「SFファンだから、がんばらなきゃいけないんだ」「全部読まなきゃいけないんだ。それでいろんなこと、わからなきゃいけないんだ、勉強しなきゃいけないんだ」という義務感みたいなものが、まったくなくなってしまっている。
 SFがファンにとっても、世間にとっても特別な存在ではなくなってしまっている。
それが「SFは死んだ」ということです。(略)
 これと同じようなことが、オタク界に起こっています。

「萌え」がわからないだけでオタキングを否定する「薄い」新参者に激怒

「わかりやすいSF」で入ってきた人は、その後もやっぱり「わ
かりやすい」ものを求める。「わかりやすいSF」ばかりが求められた結果、「わかりにくいSF」が避けられる。

「萌えを感じた人」は「萌えではないもの」を排除する。
 「萌えられた」んだから、俺もオタクだ。俺がわかんないオタクジャンル? そんなの必要ない! というわけです。
(略)
 「萌えることがオタク」だから、「萌えがわからない、と自認する岡田斗司夫はオタクじゃない」という論法が、まかりとおるようになった。

オタク第一世代は貴族主義でアニメを布教していたが、第二世代はエリート主義で

「アニメがわからないのは、お前がダメだからだ!」というスタンスです。
 「俺はがんばって勉強して賢くなったから、この作品が理解できる。おまえたちがこの作品を理解できないのは、おまえたちが賢くないからだ、ダメだからだ!」(略)
エヴァがわからないのは、おまえらがダメだからだ」というスタンス
が第二世代の発言にどうしてもつきまとう。(略)
第一世代は、もともと「一般の人とは別だから」という諦念のようなものを持っている(略)ところが第二世代は(略)東浩紀氏が言っているから正しいんだとか(略)アカデミックだから価値がある、ということになっちゃうのも、エリート主義だからです。
(略)
第二世代のオタク評論家は「オタクはすごい」と言いたがります。それは貴族である私たちから見ると、どうも下品に見えます。(略)
「お前ら、マジでアカデミズムなんかに価値があるとか信じているの? なんか安易」と思ってしまう。
 これがたぶん、逆に彼ら、エリートから貴族を見ると、ハラたつことばかりだと思います。
 「オタキングとか業界のご意見番みたいなでかい顔して、実力もないのにのさばりやがって。おまえ、こんなの見てないだろう。このエロマンガ誌にあるこの作品知らないだろ、お前、最新の作品までちゃんとフォローしてないだろ。表現の自由のために戦ってないだろう」
 という反感を募らせるわけです。

「萌え」中心の第三世代にとってオタクというのは自分の中の弱さを認めて、現実を忘れて逃避する場所でもある

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