猫の大虐殺

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上記で引用されていた『猫の大虐殺』を借りてみた。

その前にアップし損ねた猫写真で口直し。

酷使され激怒した職人達はなぜ親方夫妻のペットの猫を虐殺したか

[印刷技術が発明された]当時は印刷工はみなひとつの《共和国》の自由で平等な構成員であり、同志的な《結合と友情》に基づき、みずからの法と伝統によって治められていた。(略)だが、既に政府は数々の共同団体を解散させており、また《アルウェ》の出現によって職人たちの力は薄れ、親方の地位も手の届かぬものになってしまった。そして親方たちはといえば、朝寝坊上等の料理という別個の世界に立て籠ってしまったのである。サン・セヴラン街の親方は職人とは異なる食事を取り、異なる時間帯に生活し、異なる言葉を用いた。彼の細君と娘たちは俗物の司祭たちと戯れている。彼らはまた愛玩動物を飼っている。(略)
労働者は、職人も徒弟もみな働いている。親方と奥さんだけが甘い眠りを貪っている。それがジェロームとレヴェイェを憤慨させたのだ。(略)すなわち少年たちは、親方と職人とが友情に結ばれて一緒に働いた神話時代の復活を願ったのである。(略)そこで彼らは猫を殺したのであった。
 だが、どうして猫が選ばれたのだろうか。

カーニヴァル&火祭りでの猫虐殺

嫌がらせの儀式(シャリヴァリ)(略)行列をつくり、寝取られ男、女房に殴られている亭主、はるか年下の男と結婚した花嫁、そのほか伝統的な規準に違反している人びとを嘲笑した。(略)
ブルゴーニュ地方では、猫の拷問がこの嫌がらせの儀式の一環を成していた。寝取られ男やそのほかの犠牲者を嘲笑いながら、青年たちが猫を取り囲み、毛をむしっては哀れな動物に唸り声をあげさせるのである。これを彼らはfaire le chatと称していた。ドイツ人はこの種の嫌がらせの儀式を猫の音楽と呼んでいる
(略)
[火祭りでは]厄除けと幸運とを祈って、魔力を持つさまざまな物を火のなかに投げこんだ。このとき好んで用いられたのが猫で、縛られて袋に入れられたり、ロープに吊されたり、杭で火あぶりにされたりした。パリ市民は猫を袋ごと焼くのを好んだが、ロワール県サン・シャモンの猫追跡者たち(クーリモー)は、燃え上がる猫を追って街のなかを走りまわった。(略)
手順は場所によって異なるけれども、篝火、猫、魔女狩り的雰囲気といった要素は、いずこの場合も変わりがない。

猫は魔力を暗示し、邪悪な存在であり、魔女の化身でもあり

猫の魔力から身を守るには、昔から伝わる方法がひとつある。猫を片輪にしてしまうのである。尻尾と耳を切り、脚を一本叩きつぶし、毛皮を引き裂くか焼けば、魔力は失われる。片輪になった猫は夜の饗宴にも出席できないし、魔法をかけるために外を彷徨うことも不可能である。百姓たちは、夜、猫にすれ違うとしばしば棍棒で殴りつけたが、翌日、魔女と信じられている女の身体に打ち傷がついていた。少なくとも、村の伝承ではそう語られている。

猫の効能

ベアルンでは、猫を生き埋めにすれば、畑に草が生えなかった。(略)転んで怪我をした場合には、切断したばかりの牡猫の尻尾から血をすするとよい。肺炎を治療するには、猫の耳からとった血を赤葡萄酒に混ぜて飲む。猫の排泄物を葡萄酒に混ぜ合わせれば、腹痛の薬になる。殺したばかりのまだ温かい猫の脳髄を食べれば、自分の姿を見えなくすることさえできた。少なくとも、ブルターニュではそう信じられている。
(略)
新築の家を守るために、フランス人は猫を生きたまま壁に閉じこめた。中世の建築物の壁から猫の骸骨が掘り出されるのを見れば、この慣習が非常に古くから存在したことが分かる。

魔女と寝取られ男

魔女狩りを口実に細君の手先の猫を殺害し、彼女自身を魔女だと仄めかしたのである。最後に、彼らは虐殺事件を嫌がらせの儀式に発展させた。これによって親方を寝取られ男として嘲笑するとともに、細君を性的に侮辱した。
(略)
一歩進めば、猫の殺害が公然たる叛乱に発展しかねないのである。彼らは自己の意図を覆い隠すような象徴を用いるとともに、ブルジョアを愚弄する程度には真意を漏らしてみせ、しかも自分たちを解雇する口実を与えなかった。

  • 民話

放浪

[零落した貧農の]放浪の生活は文字通りはきだめに食物を漁るに等しかった。浮浪者たちは鶏小屋を襲い、番人のいない牝牛から勝手に乳をしぼり、生け垣の洗濯物を盗み、馬の尻尾を切り落とし(馬の尻尾は家具職人が買ってくれた)、施しが行われている場所にくると、自分の身体を切り裂いては病人になりすました。また、軍隊に入っては脱走することも、度々繰り返した。彼らは密輸者、追い剥ぎ、掏摸、娼婦になった。そして最後には施療院で死ぬか、茂みか干し草置場に這って行き、そこで息をひきとった。乞食の生涯が終ったのである。

苛酷な民話の世界

近世初期の男性は、人生を自分の制御し得るものとは理解していなかった。また近世初期の女性も、自然を左右し得るとは考えていない。したがって、親指小僧の母親と同様、神の御旨のままに身籠っていたのである。(略)
 近世初期のフランス農民が住んでいた世界は、継母と孤児、果てしない苛酷な労働が一般的な、露骨でしかも抑圧された、すこぶる残忍な世界である。

大半の浮浪民の場合、運試しとは体のいい口実であって、現実には彼らは乞食であった。(略)「二人の旅人」は、除隊になった二人の兵士の物語である。彼らは籤を引き、だれの目をえぐり出すのかを決める。食べるのに窮した二人にとって、盲人およびその手引きとして物乞いをする以外に、生きる方法が見つからないのである。(略)
民話が物語っているのは、村での貧農の生活と街道での放浪生活との境界線上を、必死でさまよう農民の絶望の姿である。(略)
民話は農村および街道での生活を如実に描き出すことで、農民にとっていわば人生の指針の役割を果たした。すなわち憂き世の実態を示すことによって、無慈悲な社会体制からは無慈悲な人生しか期待し得ぬことを彼らに教えたのである。

肉が食いたい

近世初期のフランス農民はエルベ河以東の農奴よりは自由であったが、領主によって生かさず殺さず搾取され、主食はパンと水からなる粥(ときおり自家製野菜が入る)だけ、肉食は夢であった

民話の人物にとって最大の贅沢は肉食である。事実上菜食を強いられている農民社会では、最大の贅沢は羊肉、豚肉、牛肉に歯を立てることだった。(略)
フランス版「食いしん坊の娘」は、毎日肉が食べたいと言い張る農民の娘の話である。両親は娘の途方もない希望を叶えてやることができないので、最近埋葬されたばかりの屍体の脚を切りとって娘に食べさせる。翌日、台所にいる娘のまえにその屍体が現われ、自分の右脚、次に左脚を洗うように命じる。だが、左脚は欠けている。屍体は、「おまえが食べてしまったのだ」と絶叫し、娘を墓場に運んで貪り食う。
(略)
シンデレラの農民版の主人公は、もちろん王子と結婚することにはなるけれども、彼女の切なる願いはやはり腹一杯食べることなのである。

《フランスらしさ》は確かに存在する。

人生は苛酷であって、同胞の隣人愛に甘い幻想を抱いてはならない。辛苦のすえに獲得した僅かな利益を守るには、冴えた頭脳と機敏な知恵が必要であり、道徳的に敏感過ぎるのはなんら益するところがない、という世界観である。《フランスらしさ》は皮肉で超然とした態度につながる。それは消極的で、常に醒めている。アングロ・サクソン人の信奉するプロテスタントの倫理とは違って、世界制覇の方式などは提供しない。圧迫されている農民や被占領国にふさわしく、その戦略はもっぱら自衛に向けられている。

ペローと民話

シャルル・ペローは民話などに関心を持ちそうにない人物である。廷臣であり、自意識に目醒めた《近代人》であり、コルベールとルイ14世権威主義的な文化政策の立案者として、ペローは農民にも彼らの古風な文化にも全然同情を持たなかった。それにもかかわらず、彼は民間伝承から物語を集め、サロンの洗練された読者の趣味に合わせて改作したのである。

明日につづく。