ケインズの闘い

 

チラ見したら、右往左往する投資家に「喝!」みたいな手紙が目に入り、借りてみた。

塩漬宣言・1938年の手紙

市場が底を打ってもまだ株をもっていることについて、私には何の恥じらいもありません。……冷静な心で自分を責めることなく持株の減価を甘受することは、時には真面目な投資家の義務であると言うべきなのです。それ以外の方針は反社会的であり、信頼を破壊するとともに、経済体系のはたらきとは両立しないものです。投資家は長期的な成果を第一の目的としているし、またそうするべきであるのです。そして投資家は、それらによってのみ判断されるべきであるのです。……市場の底では他人にすべてを売り払い、自分は現金以外に何も持たないようにするべきだという考えは、非現実的であるだけでなく全体系を破壊するものです

結婚のような投資

「投資物件の購入を、あたかも結婚のように、死とかその他重大な原因による以外には解消することのできない恒久的なものにすることが、おそらく今日の害悪を救う有効な方策となるであろう」(略)
 ケインズポートフォリオは、つねに少数の企業の株式によって占められていた。ときには四つ以下の企業だったのである。

崩壊

新しい不安と希望とが、警告なしに人間行動を支配するであろう。幻滅の力が、突然、価値判断の新しい慣習的基礎を押しつけることになるかもしれない。きれいに鏡板を張った重役室や、巧妙に規制された市場のために作られた、これらすべての見事で洗練された技術は崩壊を免れない。漠然とした恐慌の不安、およびそれと同様に漠然として理由のない希望が現実に静まることは常になく、ただ一本の細々とした道があることを除いては、それらの不安と希望は常に人々の心の内面に横たわっている。

革命は時代遅れ

保守主義と同様に、共産主義は、「経済問題の重要性を途方もなく過大評価している。経済問題は難しすぎて解決できないということはない。私に任せてもらえるならば、私が面倒を見てあげよう」。
[共産主義者保守主義者]1930年代においても資本主義は機能しつづけると考えていた。ただし共産主義者は、暴力革命だけがブルジョアジーを打倒することによって経済問題を解決することができると信じていた。上述の諸理由からケインズはあらゆる形の暴力的な社会変革に反対していたという事実に加えて、彼は、19世紀以降には権力の所有者が変わったと考えていた。権力は、産業の統率者から賃金稼得者の階級へと移った。けれども、それはプロレタリアートではない。「ウェルズの言うとおり、革命は時代遅れとなっている。なぜなら、革命とは個人的な権力に反対するものであるからだ。今日のイギリスでは、だれも個人的な権力をもってはいない」。共産主義者の企ては、政治的なレベルで誤っていると同時に、まちがった理論的基礎にもとづくものでもあった。

大蔵省首席代表として他国との交渉にあたる

連合国間のすべての負債を帳消しにし、ヨーロッパの再建を助けるためにアメリカの資金を配分するという提案によってもまた、彼は非難を受けた。さらに彼は、ドイツの債務を大きく削減し、「ドイツの領土内に希望と企業意欲が再生するのを可能に」するような仕方で、ヴェルサイユ条約の諸条項を抜本的に改訂することを提案した。

『平和の経済的帰結』

は1919年12月12日に公刊された。発売当初の売れ行きは好調ではなかったものの、その本は世界中で並はずれた成功を収めた。公刊の六ヵ月後には、イギリスとアメリカでの売り上げは10万部を超え、すでに1ダースもの言語に翻訳されていた。これ以後の彼のすべての著書がそうであったように、ケインズは、すべての利益を自分のものとし、利益の10%に相当する権利料を彼の本の出版社であるマクミランに支払うことにして、印刷・流通・広告の費用を自分で負担することにした。こうして彼は巨額の富を得た。
(略)
 彼はまた、いくつかの批判の的になった。政治指導者のなかには、機密情報を利用したことについて彼を非難した者もいた。彼の本は、イギリスとアメリカの関係を害することになるとも考えられた。しかし、もっとも敵意に満ちた批判はフランスから寄せられたのであり、ケインズは反仏派であり、親独派であるとして非難された。ごく当然のこととして、その書物はドイツやオーストリアではきわめて好意的に迎えられた。のちにケインズの思想に対するもっとも厳しい批判者となるフリードリッヒ・ハイエクは、当時ケインズは、彼とその友人たちにとって英雄であったと書いている。

マネー(1919年の手紙より)

お金とは不思議なものです。現行の制度が今後も許容されつづけると考えることは不可能であるように思われます。ほんのわずかの余分な知識と、特殊な経験の成果として、お金は簡単に(そして、いかなる意味においても不当に)転がり込んでくるのです

ヴァージニア・ウルフ回想

1922年のヴァージニア・ウルフによるブルームズベリー・グループ回想

突然ドアが開いたかと思うと、長身で意地悪そうな姿のリットン・ストレイチー氏が入口に立っていた。彼は、ヴァネッサの白いドレスについたシミを指さした。そして彼は、「ザーメンか」と言った。
 何てことを言うのだろう、と私は思った。そして私たちはどっと笑った。その一言で、寡黙と遠慮という壁が崩れた。聖なる液体の洪水が私たちを圧倒したかのように思われた。性が私たちの会話に浸透した。男色者という言葉さえも、私たちは口にするようになった。善の性質について議論したときと同じような興奮と率直さをもって、私たちは性交について議論した