見えないアメリカ・その2

前日の続き。

見えないアメリカ (講談社現代新書)

見えないアメリカ (講談社現代新書)

人種隔離を叫んだアラバマ州知事

ジョージ・ウォーレス。68年の大統領選で民主党を離脱し第三政党候補となる。

 ウォーレスは、心情的には白人至上主義というよりは、労働組合を支持するニューディール民主党をこよなく愛した生粋の民主党人でもあった。その民主党が、1960年代、黒人の権利や文化問題に熱心に動くことが我慢ならなかったのである。そして、ウォーレスを支えたのは、自分たちが愛していた民主党が、黒人問題ばかりにとりくむ「エリート」の政党になってしまい、労働者をないがしろにしているとの民衆の感情にあった。
(略)
1960年代の「主流」から心理的、文化的に疎外されたものたちの「怒りの連帯」だった。(略)アラバマをこえ、南部をこえ、北部の都市部ブルーカラー労働者にも支持を広げた。アイルランド系、イタリア系などの労働者層が同調したのである。(略)
68年の大統領選挙で共和党ニクソンの勝利を止めることはできなかった。結果としてウォーレスが成し遂げたのは、南部の白人労働者を民主党から離脱させたことだった。ウォーレスが掘り起こした「怒れる白人票」は、その後ほとんど共和党に吸収され、ここに共和党民主党の勢力の逆転の足がかりができあがった。

黒人の真似

 いちばんやってはいけないのが、黒人英語や黒人のラップを表面的に真似ることである。きわめて「リベラル」で、マイノリティ問題にも率先して汗を流してきた民主党のスタッフの仲間が、食事の席で黒人の喋り方を真似して、目の前の黒人スタッフと一触即発になったことがある。(略)
白人なのにこれだけ黒人の音楽を聴いている、だから自分はリベラルなのだ、という心情だ。

アメリカの大学は偏差値だけでランク付けできない

宗教を軸とした大学選択が、日本の事情とは比べ物にならない深いレベルで浸透していることだ。ジョージタウン大学のカトリック教徒には、ハーヴァード大学の凡庸な層よりはるかに優秀な学生がいるし、これとおなじことはブリガムヤング大学などについてもいえる。

ハンティング文化と銃規制

リベラルな民主党支持者であるはずのウィスコンシン公共放送のマイク・サイモンソン記者は「ハンティングはアメリカの伝統。自然との対話だ。父親が道で自動車の運転を教えるように、森で息子に教えるもので、暴力的な銃マニアのものではなく家族的スポーツだ」と擁護する。
 このハンティング文化が銃規制推進の足を引っ張っている。穏健な北部諸州の民主党員のなかに、銃規制が勢いを増すといずれハンティングにも規制がかかるのではないかという懸念がぬぐえないからだ。

ウィリアム・F・バックリーJr

 保守統合としての『ナショナル・レビュー』を可能とさせたのは、バックリーの編集者としてのたぐいまれな能力と、アンチ大学知識人の徹底だった。デマゴギー的な政治思想と片付けられがちだった保守主義は、大学とは距離感があった。バックリーにとってこれは望むところで、むしろ反アカデミック・リベラリズムを「保守」の旗印にした。
(略)
1999年までPBSで放送されたバックリーの『ファイアリング・ライン』という番組があった。のちの保守−リベラル対決型討論番組の基礎となった番組だ。いまでも、アメリカのメディア関係者には、バックリーのことを保守思想家というより、司会に長けたハンサムなテレビ人で、たまたま保守的だった人、というような認識でみている人が少なくない。
[この番組により『ナショナル・レビュー』定期購読数は3万部から18万部に](略)
世間には左派言論人として認識されているノーム・チョムスキーも、バックリーの番組で一般のアメリカ人に浸透した。このほか数多くのリベラル派の論客がバックリーの番組で顔が売れている。
[バックリーは]視聴者の前で「リベラルの役割」を強いられた人物を論破して見せたほうが、テレビを観ているような層にはわかりやすい保守勧誘になると考えた。
(略)
バックリー流の番組は(略)「あなたはリベラルだ」「それは保守だ」で色分けして議論を進める。こうしてイシューのあいだにあった曖昧な領域は、二つにきれいに塗り分けられていく。「二項対立」の演出は、あまりに多様なアメリカが、擬似的にせよなにかを共有する一つの舞台装置となっている。