「温暖化」検証、バオバブの木

フリーマン・ダイソンの書評エッセイ集。

下記本の書評から
The Earth's Biosphere: Evolution, Dynamics, and Change (The MIT Press)

The Earth's Biosphere: Evolution, Dynamics, and Change (The MIT Press)

  • 作者:Smil, Vaclav
  • 発売日: 2003/08/11
  • メディア: ペーパーバック

「温暖化」という誤解を招く言葉

第一に、二酸化炭素温室効果ガスであり(略)第二に、二酸化炭素は地上と海中の植物にとって必須の栄養素だ。
(略)
通常それらは「地球温暖化」という、誤解を招く言葉でひと括りにされる。なぜ誤解を招くかというと、二酸化炭素の増加による温室効果が原因の温暖化は、地球上で一様に見られるものではないからだ。湿った空気の中では、放射による熱の伝達に二酸化炭素が与える影響は、あまり重要ではない。水蒸気によるはるかに大きな温室効果に圧倒されてしまうからだ。二酸化炭素の影響が深刻なのは、空気が乾燥している場所で、通常、空気が乾燥しているのは、寒冷な地域に限られる。温暖化が起きるのは主に空気が冷たく乾燥している場所、つまり、熱帯ではなく主に両極地方、夏ではなく主に冬、日中ではなく主に夜間だ。温暖化は現に起きているが、暑い地方がもっと暑くなっているというより、主に寒い地方が暖かくなっている。この局地的温暖化を地球平均で表せば、誤解を招く。地球平均にすると一度の何分の一という温度変化にすぎないが、高緯度での局地的温暖化の割合は、それよりずっと大きいからだ。また、降雨量の局地的変化は、それが増加であれ減少であれ、普通、気温の変化よりも重大だ。したがって、二酸化炭素の物理的影響を表すには、「地球温暖化」よりも「気候変化」という言葉を使ったほうがよい。

二酸化炭素旱魃を救う

二酸化炭素の割合を増やした温室での実験から、多くの農作物の収穫が二酸化炭素量の平方根にほぼ比例して増加することがわかっている。(略)
[旱魃のときに二酸化炭素の増加は救いとなる]
植物の葉の微小な孔である気孔は、植物が空気中から二酸化炭素を取り込むためには開いたままになっていなければならないが、(略)空気中の二酸化炭素の量が増えれば、植物は気孔を少し閉じ、水分の損失を滅らせる。(略)
 大気中の二酸化炭素の増加が生物にとって決定的に重要なのは、二酸化炭素がごくわずかしかないという根本的理由のせいだ。日の盛りに畑で日光をたっぷり浴びて育つ穀物は、地表から一メートル以内の二酸化炭素を五分ほどで使い尽してしまう。対流と風で空気がたえず攪拌されていなかったら、穀物は成長できない。

たしかに海面は上昇しているが

1800年から1900年にかけての上昇は、おそらく人間の活動のせいではない。19世紀の産業活動の規模は、地球全体に計測可能な影響を与えるほど大きくはなかったからだ。(略)考えられる原因のひとつは、1万2000年前、氷河時代末期に北半球の大陸氷河が消えたために、地球の形が徐々に再調整されている、というものだ。また、氷河の大規模な溶融も、原因として想定できる。これも、人間が気候に重大な影響を与えるようになるよりもずっと前に始まったものだ。海面上昇という環境危機もまた、原因がもっとはっきりするまでは、その規模について予測がつかない。

海が暖まると雪が降る

近年の計測からは、南極の氷は、現在観測されている海面上昇の大きな原因となるほど急速に解けてはいないことがわかっている。南極の周りの海が温まっている結果、氷の上に降る雪が増え、この降雪の増加が、氷の周辺部の浸蝕を、ほぼ埋め合わせているようなのだ

北極圏の気候が温暖化すると氷河時代が始まる

[二酸化炭素増加で氷河期が遅れたとする説がある]
その一方で、海洋学者のウォーレス・ブロッカーは次のように主張している。今日のヨーロッパにおける温暖な気候は、メキシコ湾流が大西洋の表層を北に流れてヨーロッパに暖かさを運び、冷たい対向流が深層を南に流れるという海水の循環のおかげだ。だから、深層の冷たい対向流が滞れば新たな氷河時代が始まりうる。対向流は、北極圏の海の冷たい表層水が塩分を滅らし、深く沈まなくなれば滞りうる。温暖化する気候のせいで北極圏の降水量が増えれば、海水の塩分が減る。したがって、一見矛盾するようだが、北極圏の気候が温暖化すると氷河時代が始まる、とブロッカーは主張する。

自然中心主義者は二酸化炭素増加を悪とするが

人間中心主義の価値観によれば、大気中の二酸化炭素の増加は、もしそれが世界的な経済繁栄と結びついており、経済水準が平均以下の人々もその正当な恩恵にあずかっているとすれば、悪ではないことになる。

アンリ・ポアンカレアインシュタイン

[1905年同時に問題の解にたどりついたのに、アインシュタインだけが世界的に有名になった]
ポアンカレアインシュタインが生きていたのは、時間信号の伝達が成長産業だったころであり、ふたりともこの産業に専門家としてかかわっていた。ポアンカレは、世界中のフランス領の地図製作を担当する緯度局に勤務していた。正確な地図を作るために、緯度局は正確な緯度を確定しなければならなかった。現セネガルダカールやヴェトナムのハイフォンのような遠方の緯度を確定するには、現地の天文計測結果から得られる現地時間を、パリからの正確な時間信号を受信することで得たパリ時間と比較する必要があった。つまり、地図の正確さは、時間信号の長距離送信の精度次第だったわけだ。最初は地上の電信線と海底のケーブルで、のちには無線で行なわれた時間信号の送信は、技術的な難問だった。信号は送信損失によって滅哀し、周囲のノイズによって劣化した。送信にともなう遅れもあるので、それを正確に計算し、信号受信の観測時刻からパリ時間を正しく推定しなければならなかった、記録機器も遅れを生むので、それを計測して補正する必要があった。このように、高精度の時間信号の送信には、理論と実際的な工学の両方に熟達していることが求められた。
(略)
ポアンカレは電磁気力の新しい理論を探すにあたって、従来のものをできるだけ残そうとした。彼はエーテルが気に入っており、観測不能であることが自らの理論によってはっきりしてもなお、その存在を信じつづけた。(略)観察者の動きによって決まる、局所時間という新しい概念を、柔軟性のない不動のエーテルによって定義された絶対的な時間と空間の枠組みに継ぎ当てた。一方アインシュタインは、古い枠組みを扱いづらい不要なものと考え、喜んで排除した。彼の理論のほうが、単純ですっきりしていた。絶対的な時間や空間はなく、エーテルも存在しなかった。(略)世間一般の認知を受ける競争では、アインシュタインの主張はその単純明快さのおかげで圧倒的な優位に立った。
 ポアンカレアインシュタインは1911年にブリュッセルで開かれた会議で一度だけ会ったことがある。そのときの顔合わせはうまくゆかなかった。のちにアインシュタインポアンカレの印象を次のように述べている。「ポアンカレは総じて否定的であるばかりで、あれだけの洞察力をもちながら、状況がほとんどつかめていないようだった」。アインシュタインにしてみれば、ポアンカレエーテルとともに歴史のゴミ箱に収まるのがふさわしかった。(略)
[だがポアンカレアインシュタインスイス連邦工科大教授に推す手紙を書いていた]
ポアンカレはこの若きライバルに何のわだかまりも抱いていなかった。(略)アインシュタインに会った一年後、ポアンカレは亡くなった。アインシュタインポアンカレの手紙を目にすることも、自分が彼を見誤っていたのを悟ることも、ついになかった。


宇宙空間に木を生やす

遠く離れた太陽からの光で、空気のない宇宙空間に木を生やすには、つまるところ、葉の表皮の仕組みを再設計してやればよい。(略)
次の四つの要件を満たす必要がある。まず、主要な細胞組織を放射線による損傷から守るために、遠紫外線を通さないものでなくてはならない。次に、防水性でなくてはならない。そして、光合成が行なわれる組織に、可視光線を通さなくてはならない。最後に、熱の損失を制限して凍結を防ぐために、遠赤外線の放射率がきわめて低くなくてはならない。このような表皮をもつ葉をつけた木なら、太陽から木星土星の軌道程度の距離にある彗星のどれにでも根を張り、生い茂ることができるはずだ。
(略)
 このように宇宙空間で機能する樹木の葉が作られれば、幹、枝、根といった他の部分はたいした問題にはならない。枝は凍ってはならないので、その樹皮は優れた断熱材である必要がある。根は、彗星の凍った核に入り込んで徐々にそれを溶かし、木はそこで見つけた素材で自らを形成してゆく。葉が作る酸素は宇宙へ消散させてはならない。根に運ばせ、人間が居を構えてくつろいでいる木々の幹のあいだへ放出させる。それでも、ひとつ疑問が残る。彗星に生える樹木はどのぐらいの高さまで生長できるのだろう。答えは驚くべきものだ。直径がたかだか15キロメートルほどの彗星では、引力がとても弱いので、木は限りなく高く育ちうる。通常の木の強度があれば、生長して重心から最上端までの距離がどれほど長くなっても、その重量にもちこたえられるだろう。つまり、直径15キロメートルほどの彗星から、何百キロメートルもの高さまで木々が伸び、彗星の表面積の何千倍にも及ぶ面積から太陽エネルギーを集められることになる。遠くから見たら、彗星はきっと、葉や茎が生えて途方もなく伸びた小さなジャガイモのように見えるだろう。