印紙税、18世紀の新聞

前日のつづき。

読者の台頭と文学者―イギリス一八世紀から一九世紀へ (SEKAISHISO SEMINAR)

読者の台頭と文学者―イギリス一八世紀から一九世紀へ (SEKAISHISO SEMINAR)

作者の無関心

 作者が唯一自分の著作権に関心を持つのは、それを手放すときだけであった。しかし、そのときでも法令が定めた14年間の版権料を払わない出版者に何もいわなかった。出版者側の理由は二年ないし三年もたてば売れなくなるからというものであった。
(略)
出版者は完璧に近い形で出版界を支配し、作者は彼らのいう通りにしたがうしかなく、さもなくば生きることも読者に近づくこともできなかったのである。
(略)
長期の著作権が作者に利するのは、作品が読者に歓迎され、なおかつ著作権を作者が所有しているときだけである。それができるようになるのはようやく18世紀の末になってからであった。たとえば、アダム・スミスは出版者からまず一定額を受け取り、その上に利潤率による配当をもらうことに成功している。
[『国富論』初版・500ポンド]

ジェーン・オースティン

第一作『高慢と偏見』は出版にいたらず、『ノーサンガー寺院』はバースの出版者に10ポンドで売った。その後オースティンの自費でトマス・エジャートンが『分別と多感』を出版すると、意外にも150ポンドの利益をあげ、これに勇気づけられたエジャートンは『高慢と偏見』と『マンスフィールド・パーク』を出版する。『エマ』はジョン・マリーに持ち込まれ、ウィリアム・ギフォードの勧めで1816年に出版されるが、作者はその翌年にこの世を去っている。生前に出版された『分別と多感』以下四冊の利益は700ポンドを超えなかった。

きびしい現実

 作者はペイトロンの退場によって、読者の存在が見えなくなったばかりではない。彼の前にはいままで経験したことのないきびしい現実が広がっていたのである。ペイトロンの庇護の手を離れたとき、作者が新たに自らを発見した場所は、作品を一個の商品として扱い、成功とはその商品が最大の商業的利潤をあげるという、商業的経済原則が支配する世界であった。作者は誰に頼ることもなく、自らの意志と才覚によってわが道を切り開かなくてはならない。

印紙税の目的

仮に週給8シリング(=96ペンス)の者が、週に5日6ペンスの新聞を買うとすれば、給料の三分のー近くを使わなければならない計算になる。
 このように新聞が庶民にとって高かったのは、1855年に廃止されるまで、1712年以降ずっと新聞に課されてきた印紙税のためである。この印紙税の主な目的は、新聞の価格を上げることにより、新聞の普及を抑制すること、新聞の発行者の情報を政府が把握できるようにすること、そして、対フランス戦争などのための財源を確保することであった。1810年代半ば、ウィリアム・コベットの『ポリティカル・レジスター』は、4ペンスの印紙税を含む6ペンスで販売されたときには一週間に1000部程度しか売り上げることができなかった。しかしパンフレットとして出版することで印紙税を避け、2ペンスで販売したところ、すぐに発行部数は4万部を超えたという。すでに触れたように印紙税は新聞の成長を止めることはできなかった。しかし、政府の思惑通り、新聞の価格を上げることで新聞の発行部数を抑えることには効果を挙げていた。

買えなくても読めた

だからといって、低所得層の人々が新聞を読むことができなかったわけではない。(略)しばしば言及される『スペクテイター』第10号での、1部を20人が読んでいるとすると、3000部発行されているこの新聞には6万人の読者がいるという発言があるが、18世紀の末には、さらに多くの30人が1部の新聞を読んでいたと考えられている。
 まず、コーヒー・ハウスやパブでは複数の新聞を購読していたので、コーヒー一杯でいくつかの新聞を読むことができた。また、新聞を販売していた者が、新聞を売るのではなく、1ペニー程度で貸し出すということもおこなわれていた。この習慣は1776年頃にはおこなわれていたらしく、20人から30人に貸し出された後、地方で販売されるために送られたという。1789年に、販売中の新聞を貸し出すことは違法とされ、違反した際には5ポンドの罰金が課されることとなったが、実際には取締りが積極的にはおこなわれなかったため、この習慣は19世紀になっても続いていた。また、文字が読めない者には、読める者が記事を読み上げてやるなど、厳密に「読」者ではないものの、新聞の記事に朗読という形で触れる者も多かったと考えられる。また、一旦購入し、読み終わった新聞を転売することもおこなわれていた。

1796年に『ウォッチマン』を発行したコールリッジは1800年手紙にこう書いた

自分が夜の12時に書いたものが、12時間と経たないうちにおそらく5、6000人の読者を持つと思うことは、人間の虚栄心にとって喜ばしくないものではない。めでたい一節、楽しいイメージや新しい議論が街中を駆け巡り、全ての新聞に滑り込むのだ。ワイン商人でも、これ以上の興奮を生み出したといえる者はいないだろう。


『文学的自伝』では、ジャーナリズムの仕事に自分の才能を浪費してしまったという発言をしているが、彼にとってロンドンの日刊紙に寄稿するという経験は、ある種の充実感を与えるものであった。

一人の寄稿者が複数のペンネームを用いるメリット

多くの寄稿者が存在するような印象を読者に与える点、一人の詩人に複数の詩的な声を持たせ、創作を容易にすると同時に、掲載される作品も変化に富んだものとなる点が新聞にとってのメリットであるといえるだろう。詩人がアイデンティティを隠しながら自由に書くことができた点は寄稿者の側のメリットであった。

  • おまけ

月末に向けて画像容量を消費。

上記本より。どうでもいい話を間にはさんで。

松坂完封できたのになあ。フランコーナだからあっさり9回からパペだったかもしれんが。8回イチローに沈むボール球をすくわれてガックリきてたちまち2失点。もったいない、ERAがあああ。いつもそうだけど、イチロー意識しすぎて前後でヨレるんだよなあ。もったいねえ。それにしても二割切りそうなジョーの明日はどっちだ。

光景を思い浮かべるだけで、笑えるニュース

女子中学生、テント押すヒグマ撃退 知床、妹と思い蹴る
(略)
中学生は寝ぼけていて、テントを押すヒグマを妹(10)のいたずらと勘違い。手で押し返していたが、あまりにしつこいのでキックしたという。そばにいた母(40)の目には、テントのシートの向こうにヒグマの影が見えていたという。

ピグモンじゃないよ!

ジャンクで相武紗季が大人のオモチャについて熱弁
愛撫「北京にはおもちゃを持っていきます」
浜ちゃん「おもちゃ!?」
愛撫「普通の……」