橋本治の敬語本

「参上する」を果てしなく敬語化すると

日本の敬語には、「敬語になりそうなところはかたっぱしから敬語にしてしまう」という、へんな傾向があります。だから、「する」という言葉にさえも、謙譲表現があって、「参上する」は、「謙譲の敬語」で、これに「丁寧の敬語」がくっつくと、「参上します」になりますが、この「し」の部分にも「謙譲の敬語」を使うと、「参上いたします」になります。
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「する」の謙譲語である「いたす」を、もっと本格的にちゃんとした「謙譲の敬語」にすると、「仕る」になります。
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「ました」の部分を、もっと本格的に「丁寧」にすると、「参上仕りましてございます」になります。
 さらにこれを、「自分から勝手にやって来たんじゃなくて、“先生に呼ばれたから来ました”というふうにちゃんと説明しないと、忙しい先生に対して失礼になるかな」と思って、もっと本格的にしてしまうと、「お召しによりまして参上仕りましてございます」になります。
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 もうわかったと思いますが、敬語というのは、古い時代の言葉なんです。だから、これをちゃんと正しく使いすぎると、時代劇になってしまうのです。
 「正しく使いすぎると時代劇になる。だから、いいかげんにテキトーに使え」というのが、現代の敬語なんです。

「一位」の主人、「三位」の客、「五位」のあなた

[ランク「五位」の]あなたは、その「一位」の人のお屋敷にいます。そうするとそこに、あなたよりえらい「三位」の人がやって来ます。それを見たあなたは、三位の人が「参られた」と思います。
「来た」ではありません。「おいでになった」でも「いらっしゃった」でもなくて、「参られた」と思わなければなりません。ひとりごとをつぶやくのにだって、敬語を使わなければならないのです。そして、三位の人がやって来たことを、そのお屋敷の主人に伝えるのだったら、「参られました」と言わなければなりません。
 「参る」は謙譲の動詞です。一位の人は三位の人よりえらいんですから、三位の人が一位の人の家に行くんだったら、「参る」という言葉を使わなければなりません。当人だけではなくて、それを見た他人も、「参る」という言葉を使います。
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 三位の人が一位の人の家に来るのは、「参る」ですが、それを見ているあなたは、三位よりランクが下の「五位」です。だからあなたは、自分が見ている三位の人のすることを、「尊敬の敬語」で表現しなければなりません。「参られた」の「れ」がそれです。
「れ」は、「尊敬の助動詞」です。
 あなたがそれを見て、ひとりごとを言っているか、まわりの友だちや「目下の人」に言うんだったら、「参られた」だけでかまいません。でも、それを屋敷の主人の一位の人や、その他の「目上の人」に言うんだったら、「丁寧の敬語」も必要です。だから、「参られました」です。
 わかりますか? 「参られました」という短い言葉の中に、「謙譲の敬語」と「尊敬の敬語」と「丁寧の敬語」が一緒になっています。
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この「参られた」という言い方は、じつは、「やって来やがりになられた」くらいの、へんな言い方なんです。でも、そう言わないと、けんかになります。

爆笑箇所をデカ字にしてみた

 一位の人のお屋敷にいる五位の人が、三位の人がやって来るのを見て、「三位の彼がお屋敷に参る」なんて言ってはいけないのです。そんなことを言うと、三位の人は怒ります。
「たしかにおれは、この屋敷に参った。だがな、おれはおまえに、“参る”なんて言われる理由はない!“参られる”と言え!」
怒られたあなたは、へたをすると罰せられるかもしれません。
 なにしろ、「人のランク」は国家が決めたものなのです。「ランクが上の人に敬語を使わない」ということは、国家が決めた規則を破るのと同じなんです。十分に罰則の対象になります。

敬語の暗黒面

 「ランクが下の人には、命令口調だけでいい」――これが、隠された敬語の暗黒面です。
 「敬語を使え」と言うことは、じつは、「おまえはオレに対して、尊敬と謙譲と丁寧の敬語を使え。オレはおまえには使わない。オレはえらいんだからな」と言うことと同じなんです。だから、そんなことを言われて、「なんてエラソーなやなやつなんだろう」と思ったって、べつにふしぎではないのです。

 そういう人の人間関係は、とても悲しいものです。「自分よりえらい人」と、「命令口調ですませられる人」の二種類しかいなくて、「えらいとかえらくないとかとは関係ない、親しい人」というのがいないのです。

苦手だった同級生との再会

 「あいつはにがてだ」と思っていると、「きみ」とか「太田くん」と呼んでも、なんだかおちつかないのです。だったら、そういう時にはわりきって、もうワンランクていねいにして、「太田さん」とか「あなた」と呼ぶようにしてしまうのです。
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 たとえば、あなたと太田くんは、けっきょく仲よくなれないまんま、学校を卒業してしまいました。卒業してしばらくして、あなたは太田くんと、町でばったり会います。そうすると、あなたの口からは、自然に、「あ、どうしてんの?」なんていう言葉が出ます。
 どうして出るのかと言えば、それはあなたが、「太田くんと仲よくするにはどうしたらいいんだろう?」と、あれこれ考えていたからです。
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 あなたがそう言うと、太田くんだって、「あ、ひさしぶり」とか言ってくれるかもしれません。
 同じ学校に行っていた時には、そんな親しい口をきいてはくれなかったのに、突然「仲よしだった」みたいな口のきき方になってしまうのは、太田くんのほうだって、あなたが太田くんのことをいろいろ考えていたのを、感じとっていてくれたからかもしれません。つまり、「いろいろ考えることはむだではない」ということです。
 「相手によってどう言っていいかわからない」という日本語の欠点は、じつは、「人はそれぞれに違うから、違う相手にはどう接すればいいのかを考えなさい」ということでもあるのです。

ヘンなオヂサンがセッキン

ぜんぜん知らない人が近づいてきて、あなたにいきなり声をかけます。
 「なにしてるの? 一人なの? 一緒にどっか行かない?」と言います。
 なんだかへんな人です。「アブナイ人」である可能性は、とてもあります。そんな時、あなたはどうしますか?
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「え?」とか、「なァに?」とか、「やだ」とか言うかもしれません。そうすると、どうなるでしょう?
(略)[それは「敬語がない」タメ口であり](略)
とても危険なことです。あなたのしたことは、いきなりタメロで話しかけてきた、見知らぬ危険な相手にたいして、「あっちへ行け」ではなくて、「そのままそばにいてもいいよ、もっと近くに来てもいいよ」と言ってしまったのと同じなのです。
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 だから、見知らぬ人からいきなりタメロで声をかけられたら、「なんですか?」と答えなければなりません。「です」という丁寧の敬語は、「あなたと私の間には距離がある」ということを、相手に伝えているのです。それは、「近くに来るな」ということで、「もしその警告を無視したら、大声を出すぞ」という、警戒警報の意味さえも持っているのです。