宮大工西岡常一の遺言

薬師寺

 法隆寺は高麗尺(356ミリ)、朝鮮の尺で建てられていますが、こっちは唐尺(297ミリ)という中国の尺度で建てられてある。そういう点から考えまして法隆寺伽藍は朝鮮から技術者が入ってきて指導にあたったと、薬師寺は朝鮮を経由せんと直接、大陸からえらい人が来たんやないかと。

 東塔はね、古い材も使われてました。(略)節だらけのもんがあったり無節のもんがあったり、芯持ちも芯去りもばらばらに使われておりました。ふつうはそんなことしません。ちゅうことは急いであわてて建てられたんやないかと思いますよ。(略)そこいらの別の建物の部材を転用したと考えられます。でないならば、こんなにそろってないというのは不自然です。

法隆寺

製材をするのに当時はみな割って製材したもんです。そやからその時点で木の癖がわかってあるもんですから、ひじょうに組みやすかったと思います、大工さんはね。いまの製材は機械で挽いてしまいます。ねじれた木でもまっすぐに挽いてしまいますんで木の性質を見分けにくい。やっぱり割ったときの用材を身をもってようおぼえておかんと、この木は右ねじれなのか左ねじれなのかということがわかりませんわな。
 回廊、金堂、塔は寸法で組まずに木の癖を生かして組んであります。右ねじれのものは左ねじれと組み合わせるという具合ですな。
(略)
[檜は]千三百年たったものでも二分ほど削るとぷーんと匂いがしてきます。独特の香りがします。生きてあるという証拠です。塔の解体のときに瓦を下ろすと、いままで二寸ほど下がっていたものが、全部は返りませんけど、半分ぐらいは毎日毎日すこしずつ上がっていくと、そういうのを見ると感動しますわな、神様や思いまんな。千年たっても生きているんですから。

薬師寺側は当然木曽檜を望んだが林野庁に断られ樹齢千年の檜があるのは台湾のみ。
「吉野は冷たくて麻の肌触り、尾州は真綿に触れた感じ」

 伽藍建築はむかしから檜一筋ですけれども、いちばんよろしいのは吉野材。第一に強い。その上に粘りがある。尾州材はきれいでやわらかく細工しやすいんですが、吉野と較べると弱い。軸部には向きませんな。柱や梁なんかにはやっぱり吉野がよろしい。台湾檜もわるくはないんですが硬い代わりに反力に弱い。
 まあそんなこと言うてもな、年老いた宮大工の繰り言かもしれませんぜ、日本だけやなしに世界的にもう千年千五百年という檜はないんです。薬師寺が最後やないですか、台湾檜を使わせてもろうた地球上最後の工事ということです。

「木を買わず山を買え」

木を知るには土を知らねばならぬと祖父の命で農学校で三年間学ばされた

 われわれの口伝に、社殿堂塔の用材は木を買わず山を買え、というのがありますねん。伐採されたあとではよく木がわからん。土質によって材質がちがうし山の環境によって癖が生まれる。(略)
台湾はだいたい東南から風が吹いてますわ。南面に木があるとすれば、南に大きな枝が伸びてそれに風があたっていつも西にねじられる。ところが木はまっすぐに伸びようとする性質があるんで、それに対抗して育ってゆく。それがまあ木の癖です。北側の反対側の木はその逆ですわな。そういうことをきちんとわきまえて、これは桁に向いてある、これは柱に向いてあるということを見きわめて伐採してもらう、そういうことで山に入るわけです。

嶺の木は細くて硬く節が多いのがふつうです。だから構造材には嶺の木。谷の木は同じ樹齢でもやわらかくて太い。だから造作用。中間のものは装飾材に使う。(略)とにかく葉が青々と若いのは内が空洞です。もうわしゃ生きてるのかなわんとなったやつが内まで詰まってます。

口伝「用材は成育の方位のままに使え」

山の南側に生えていた木はお堂の南側にもってこい、北側の木はお堂の北側にもってこい(略)
南側の木はお日さんががんがんあたるんで硬い。だから柱にしようと。軸部には南と東の木が向く。西に生えている木はおとなしい。造作材に向く、こういうことです。
 飛鳥、白鳳、天平ぐらいまでの建築はみな正直に守られてます。室町に入ってくると今度は無地が上等になって、南に生えてた木はどうしても節が多いでっさかい、それを見えんとこへ、裏のほうに回せと、そういうふうになっていきます。古代建築は正直に守られている、そやから千三百年のいのちがあるんやと思いますよ。室町以降の建築は五、六百年で解体修理せななりませんわな。飛鳥建築は千三百年ぐらいは大丈夫です、解体せんでもね。自然に生えたまま、方位のままに使ってあるからです。

法輪寺三重塔再建。

鉄材補強を主張する設計者竹島博士と対立

 いずれ解体修理をするときに古代建築技法がわかる大工がいなくなる、だから後世の修理を考え、飛鳥の技法ではなく近代建築技術を取り入れる配慮をしておくべきだと竹島博士は考えた。この意見にも西岡は噛みついた。自分は大工を信じている。将来、古代建築がわかる人がいなくなるというのは工人をばかにした言い分である。今日の技術が最高だと考えるのは学者の思い上がりであると。

もし鉄材を入れるんやったら、法隆寺金堂のときのように千三百年たってから入れたらどうでしょうかと。なにも新しい木に穴をあけるようなことはできんと。わたしは飛鳥の工法にこだわってるんやない、聖徳太子ゆかりの寺です、すこしでも木のいのちをもたすことを考えてのことですわ。けどまあ、決着はつきませんでした。で、仕方なしに(委員会の)鈴木嘉吉さんを呼んで、その立会いのもとに使わんということに決めまして、ボルトだけつけて、入れておいたことにして、中には(鉄材が)通ってませんにゃ。竹島博士は月一回しか(現場に)来ませんのでわかりませんねん。鉄を入れたあと埋め木しますんで知ってませんねん。飾りでボルトが付いてるというだけで、へっへっへっ。

明日につづく。