ボードリヤールの権力論

前日のつづき。

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

時は流れ権威化したアリストテレスは近代初期の学者にとってわずらわしいものとなった

それにしても、ベーコンのような思想家たちはなぜ、常軌を逸した激しさでスコラ学者の思想を否定したのだろうか――あまりに激しく否定したために、彼らはついに、アリストテレスの思想も、中世のアリストテレス註解者の思想も、人間の知の歴史において進歩的な役割をいささかも果たさなかったとみなすまでになった。(略)近代初期の指導的な哲学者たちはアリストテレス主義的キリスト教を攻撃するにとどまらず、それを歴史から抹殺した。
(略)
学問における革命と画期的な時代は三つを数えるにすぎない。その第一はギリシア人の時代、第二はローマ人の時代、第三はわれわれ西ヨーロッパ人の時代であって……アラブの哲学にもスコラ哲学にも言及する必要はない。この手の哲学はその絶頂期には、筆者たちの体重を上まわる大量の論文によって、諸科学を押しつぶしていたのだ。
 この見解によれば、中世ルネサンスは「砂漠や荒野」ということになる。いうまでもなく、ベーコンがこれを書いた頃には、スコラ学者たちは信仰の問題について似非科学的な推論を行なったり、アリストテレスの結論と矛盾する新たな発見にことごとく異を唱えることによって、みずからの評判を落としていた。

ルターとホッブズ

[近代初期のアリストテレス嫌いの双璧をなす二人]
マルティン・ルターはスコラ学全般を嫌悪し、とりわけアリストテレスを毛嫌いしていた。彼はその思いを「一言でいうなら、アリストテレスと神の関係は、闇と光の関係に等しい」と簡潔に述べ、さらに、「アリストテレスぬきでは神学者になれないというのは、誤りである。それどころか、アリストテレスぬきではなれないのであれば、誰も神学者にはなれないのだ」と断じている
(略)
[一方ホッブズは「不愉快&無知な言説」とアリストテレス本をばっさり]
国家の法律が唯一の法である、とホッブズは宣言した。(略)
ホッブズの最大の敵となる哲学者は、国家の法は自然法や道徳律とは異なり何ら拘束力を有さないと主張したトマス・アクィナスと、自著の『政治学』において、政治は道徳の一部門であり、国家の目的は単なる安全保障ではなく、正義の実現であるという原理を擁護したアリストテレスだった。

アリストテレスの評価が地に墜ちた

理由の一端は、ヨーロッパにおける文化的覇権を保つために、カトリック教会が彼の思想を利用してきたことにあった――つまり、西ヨーロッパの多くの人々が抑圧的とみなしていたカトリック教会の覇権が、完全に失われたことに起因していたのだ。

  • 悪の知性

余白があるので意味なくボードリヤール

悪の知性

悪の知性

権力

 権力は与えられるものであり、気に入ろうが気に入るまいが、それを行使することしかできない。権力を取り去ることは誰にもできない。王の廃位という考えは、立憲的な神という考えと同じくらいばかげている。
(略)
 各人が呪われた部分の分け前をもつということが、民主主義の原則だ。だが「市民」はこの至上の義務にしたがうことを本当は望んでおらず、自分自身についての自由裁量を怖がっているように思われる。
 それゆえ権力は、ある種の人びとに割り当てられることになるだろう。それが政治家だが、彼ら自身もたいていは権力を放りだすことしか考えていない。彼らがあらゆる手を尽くして権力を再分配するのを見ればよい。彼らは一方で自分が権力をもっていることに納得し、他方で誰もそこから逃れられないようにするためにそのことを行なっている。というのも、権力を受け入れない者は危険だからだ。
(略)
 政治の存在自体にとって大きな危険は、人びとが権力をとるために競いあうことではなく、権力を欲しないことなのだ。
(略)
権力と金銭については無罪放免がなく、試練は全面的でありつづける。この意味で金持ちと権力者の苦難は決定的だ。その特権そのものによって、彼らは被害者の位置にある。それというのも、彼らは責任のすべてを背負っているからだ。すなわち、われわれが手放したあの責任、彼らがその端役を演じ、またその金に雇われているあの責任である。
(略)
 政治家や国家元首を告発し、槍玉にあげるたびに再浮上し、当然のことながら裏切られるのが、権力についての千年王国論的要請である。
(略)
 人びとは政治家が自分の無用さ、不誠実、腐敗を告白することをつねに期待している。われわれは彼の演説や日頃の行ないについて、最終的にその欺瞞が暴かれることをつねに待ちかまえている。だが、われわれはそれに耐えられるだろうか。というのも、政治家はわれわれ自身の仮面であり、もしわれわれがそれを引き剥がすとしたら、われわれは剥きだしの責任に直面する危険があるからだ。まさに彼のために、われわれが放りだしたあの責任に。