中世の覚醒

前日のつづき。

ヴァンダル人に包囲された北アフリカ都市

ヒッポは死に瀕していた。天蓋で覆われた寝台の上で荒い息をついているヒッポの司教も、死に瀕していた。もうニヶ月以上もこの都市を包囲している敵の部隊は、いずれ防御の薄い城門を打ち破って乱入してくるだろう、そのときまで自分は生きながらえていないだろう、とアウグスティヌスは感じていた。
 時は紀元430年。(略)
ヴァンダル族がスペインから北アフリカ一帯を席巻する数年前に、彼は『神の国』の最後の章を公刊していた。完成に15年を要したこの大部の著作は、ローマ帝国の壊滅的な衰退が意味するものを解明しようという、壮大な意図のもとに執筆された。その中核をなすメッセージは、混乱と苦悩を免れない地上の生は、神が人間に啓示した真理という観点からのみ正しく理解できる、というものだった。
(略)
 その後の700年間というもの、聖書とアウグスティヌスの自伝的著作の『告白』を除いては、『神の国』ほど西ヨーロッパ人の思想に大きな影響を及ぼした著作は現われなかった。(略)『神の国』はアリストテレスの世界観を決定的に排斥し、プラトンおよび新プラトン主義者の世界観を受容する立場を表明している。

激動の時代だからプラトン

 アウグスティヌスプラトンの世界観を選択した理由(略)
アリストテレスが重視される時代には、経済的な成長と、政治的な拡大主義と、文化的な楽観主義が知的な雰囲気を彩っている。この時代の人々は、人間どうしも、人間と自然の世界もたがいに結びついている、と感じている。(略)世界は全体として統合され、目的をもち、そして美しい。
(略)
 これとは対照的に、プラトンが重視される時代は不安と渇望が渦巻いている。(略)社会は分断され、健全な社会を実現する道は、暴力的な争いによって断たれている。(略)人々はたがいに分断されていると感じ、自分を支配しているのは理性ではなく、制御不能の本能と欲望にほかならないと感じている。宇宙は全体として悪ではないとしても、そのあるべき姿からかけ離れている(略)
現世の彼方で、より善く、より真なる自己や社会や宇宙が、彼らを待っている。そこに到達するためには、ある種の変質を遂げなければならない。

アリストテレスは間違っている

 プラトン主義の思想はアウグスティヌスに、人間の堕落という観念と調和させることが可能な知識の理論も提供した。この司教とその後継者たちの見解によれば、人間の知識は神の「照明」によって与えられるものであり、人間が理性だけで獲得するものではない。それゆえ、合理的な思考のみによって宇宙の謎を解明できると主張した点で、アリストテレスは間違っている。(略)もっとも、アウグスティヌス自身は理性の働きについて、それほど単純な見方はしていなかった――なんといっても、彼は当代きっての思想家だったのだ。けれども、大多数の人々は彼の見解をごく単純に受けとめていた。
(略)
かくして、プラトンアウグスティヌスをつうじて、長い苦難の時代を生き延びた。それに対して、アリストテレスは正体のはっきりしない伝説的人物と化してしまった。

イスラームの覚醒

381年第一回コンスタンチノープル公会議においてニカイア信条が追認され(略)るとまもなく、キリスト教異端派や、ユダヤ教徒その他の異教徒に対する暴力的な攻撃が、この地域一帯に燎原の火のように広まったのだ。(略)
地中海世界は半ば無意識のうちに、「キリスト教が単に優勢な宗教である社会」から「キリスト教がすべてを支配する社会」に向かって、一歩を踏み出していた
(略)
 ビザンツ帝国にとどまった異教徒たちは、今日なら極端な「原理主義者」と呼ばれるであろう戦闘的な人々の攻撃から、身を守る術がなかった。東方ギリシア世界では、異教の寺院の焼き討ちが一種の大衆的な娯楽となり、宗教的熱狂が点火した炎の中に、貴重な文化財が次々と消えていった。(略)
[ギリシア哲学が形骸化する中、心ある学者はメソポタミアやペルシアへ逃亡]
亡命した学者たちは異郷の地で、祖国では失われてしまった学問の自由を見出した。その結果、ビザンツ帝国では無視され、非難され、あるいは単に保存されていただけのギリシア哲学や科学や神学の著作が、ペルシアでは積極的に註解をほどこされ、当代の問題解決に応用されるようになったのだ。
 こうした経緯で、七世紀にビザンツ帝国領土に侵入したアラブ人が、アリストテレスギリシア科学の著作という知的財宝を相続するに至ったのだ。
(略)
[翻訳された知識をもとに]
プラトンアリストテレスイスラームの思想を混淆したファルサファと称される哲学が誕生した。西方ラテン世界のキリスト教徒が祈祷に埋没し、東方ギリシア世界のキリスト教徒が形式化した論争に明け暮れているあいだに、ビザンツ帝国ではついに生じなかった文化の覚醒が、イスラームに栄光をもたらしていたのである。

12世紀のトレドでキリスト教徒の学者が

アリストテレスを初体験するとどうなるか

あなたの困惑と驚愕はいかばかりだったろう。アリストテレスのものの見方と彼が前提としている諸々の仮定は、あなたにはまったく馴染みのないものだったに違いない。どうやらアリストテレスは、感覚世界が苦悩に満ちた非実在の世界であることも、その彼方により善で真なる世界が実在することも認識していないようだ。アリストテレスの宇宙はただ一つしか存在せず、彼はその宇宙にすっかり満足しているらしい。彼の著作は創造主たる神や贖い主たる神にいっさい言及しておらず、人間が生来罪を負っていることや、人間が死後の生で受ける報いに、ほとんど注意を払っていない。アリストテレスによれば(ここで、キリスト教徒は十字を切りたくなるだろう)、時間と空間は永遠に存在し、自然は神の介入を受けることなく自律している。そして、人間の理性は欠陥があるどころか、人間が知識を獲得し、義しく行動し、幸福になるのを充分保証できるだけの力をもっている。
(略)
 敬虔なキリスト教徒の学者はこれほど心をかき乱す書物を読んだあとで、それらを火に投じたいという思いに駆られたかもしれない
(略)
アリストテレス全典の魅力の一端は、さながら百科事典のような視野の広さにあった。ヨーロッパでは久しく形式論理学の大家として知られていたアリストテレスが、いまやあらゆる学問の大家として出現したのだ

分量半端ですが、疲れたので、明日につづく。