猫猫ブログへの疑問

古代ギリシャ・ローマ文化は中世には忘れられていて、ルネサンス期にイスラームから逆輸入されたとある。村上陽一郎がそう書いているらしく、私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い。クルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』を来週までに読んでくること。アリストテレスが中世神学の柱だったことも常識である。ただ私も、プラトンは知られていなかった、と思ったが、これもネオ・プラトニストによって伝えられているから、中世は古典文化を忘れていたというのは、ギリシャ劇とか、プラトンの原典およびソクラテスに限定された話でしかない。

と猫猫ブログ上記引用部にあるのだが、1974年出版の村上陽一郎の下記本にはこう書かれている。

近代科学を超えて (1974年)

近代科学を超えて (1974年)

学生達に、私が講義のなかで次の話をすると、きまって笑い出し、昔の連中は何と愚かであったのか、という顔をする。話というのはこうである。中世ヨーロッパの学界は、12世紀以降、アラビア文化圏を通じて、ギリシア=アラビアの学問が流入するや、その整合性、合理性に驚嘆して、それらの紹介された文献類をほとんど金科玉条として取り扱う習慣が養われた。

1974年にこう書いていた村上陽一郎小谷野敦に「ルネサンス期にイスラームから逆輸入された」と講義するとは思えない。するとこの「ルネサンス期」というのはいわゆるイタリア・ルネサンスではなく「12世紀ルネサンス」という意味なのか、12世紀以前からアリストテレスは「ど真ん中」だと小谷野氏は言うのか。
また1982年の本で村上氏はこう書いている。

 すでに繰り返し述べてきたように、プラトンの『ティマイオス』のラテン語訳は西方ラテン世界に古代から存在し、アウグスティヌスによるプラトン並びにプラトニズムについての紹介もあり、そしてプラトン研究についての伝統も決してないわけではなかったにもかかわらず、『ティマイオス』(と『メノン』および『パイドン』)以外のプラトンの著作や厖大なネオプラトニズムの文献を体系的に翻訳しようとする気配は、シャルトル派のような自発的なプラトニズムたちの間にさえ見られなかった。それどころか、シャルトル派の間でさえ、これまで全貌の知られなかった「新鮮な」アリストテレスの著作が歓迎されたのであった。「翻訳の世紀」に西方世界に齎されたギリシア哲学の原典は、故意か偶然か、圧倒的にアリストテレスに傾いていたのである。

部分引用なので判りづらいかもしれないが、要するにプラトニストでさえも、イスラム経由で知った「新鮮な」アリストテレスに夢中になったという主旨。
例えば下記リンク先で引用した本でも
kingfish.hatenablog.com

1210年、パリで開催された公会議が、コルドバの人アヴェロエス(イブン・ルシュド)の書いたアリストテレスの注釈書を禁書処分にした。
(略)
[イスラム経由の]アリストテレスの明晰な洞察が規範的な信仰を揺るがし、キリスト教世界の頂点に手に負えない衝突を生んだ
(略)
12世紀中葉までのラテン・ヨーロッパに存在した貧弱な「古いアリストテレス」とはまるで違った野獣のようであった。

また下記リンク先引用本には
kingfish.hatenablog.com

トマス・アクィナス登場の意味はまさにここにあって、彼の思想的営為は歴史の現実にそぐわなくなったアウグスティヌスの教説に代わって新しいアリストテレスの政治教説を西欧中世杜会に受肉化させたのであった。

要するに再発見されたアリストテレスを勉強したいけど、そうすると教会に怒られる。そこでトマス・アクィナスが「神学大全」を書いてうまく折り合いつくようにしたという話。
最近出たばかりのこの本の序章では

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

1000年以上も闇に埋もれていた(略)アリストテレスの著作は、中世キリスト教徒のスター・ゲートだった。(略)
それらはギリシア語ではなく、アラビア語で書かれていたからだ。さらに、それらはギリシアの陶製の壷に納められていたのではなく、バグダード、カイロ、トレド、コルドバなどの大学の図書館に所蔵されていたからだ。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパの秩序が破綻してからというちの、アリストテレスギリシアの科学者たちの著作は、繁栄し教化されたイスラーム文明の知的財産となっていた。(略)
アリストテレスの「自然哲学」関連の著作は伝統的な思考様式に脅威を与えたために、西ヨーロッパでは当初、大学で教授するには危険すぎるとみなされた。十三世紀初期にこの類の著作を講じることは禁止され、その熱狂的な支持者の一部は異端の徒として火刑に処せられた。それから半世紀以上を経た1277年にも、教会は十三世紀最大の天才トマス・アクィナスが支持した命題も含めて、アリストテレス思想に基づく219箇条もの命題を大学で講じることを禁止した。けれども、キリスト教会上層部はやがて、新しい世界観によってキリスト教思想が変容することを容認せざるを得なくなった。

また本文でもアウグスティヌスアリストテレスを排斥し、プラトンをメインにおいたせいで、アリストテレスは「正体のはっきりしない伝説的人物と化してしまった」「古代の魔術師になり果ててしまった」とある。
これらを見ても村上陽一郎は不勉強と非難されることは書いていないと思うのだが。肝心の小谷野氏推奨の『ヨーロッパ文学とラテン的中世』が田舎の図書館にはないので確認のしようがない……だが、だがだが、しかし、よくよく調べたら正しいタイトルは『ヨーロッパ文学とラテン中世』で、こちらの図書館にもあった。近々借りてきて検証してみようと思う。
そういうわけで肝心の『中世の覚醒』の中身は明日につづく。

  • 念のため疑問点をまとめておくと

1.村上陽一郎が「ルネサンス期にイスラームから逆輸入された」と書くだろうか?
2.プラトンは知られていたけど、アリストテレスは忘れられていたのでは?少なくともプラトンの方が知られていたのでは?