グリーンスパン、黒字で苦悩

前日のつづき。

波乱の時代(上)

波乱の時代(上)

ブラック・マンデー

FRBの声明の文言について協議していたとき、若手のひとりがこう発言した。「過剰反応かもしれない。数日待って、様子をみることはできませんか」
 (略)このときだけは声をあららげた。「待つまでもない。何が起こってるのかは、十分に分かっている」。
(略)
[軍のジェット機でワシントンに戻ると副議長から電話]
ニューヨーク証券取引所が一時間後に取引を停止する計画を伝えてきたという。買い手がいないために主要な銘柄で売買が成立していないことがその理由だ。「とんでもないことになる。取引が停止されたら、正真正銘の破局をわれわれが処理しなければならなくなる」とわたしはいった。暴落のときに取引を停止すれば、投資家の苦痛が強まるだけになる。市場が開いていれば、評価損がとんでもなく膨らんでいると思えても、少なくとも脱出の方法があることは分かっている。ここで出口を閉じてしまえば、投資家の恐怖心がさらに強まる。その後に取引を再開するのは、極端にむずかしくなる。適正な価格が誰にも分からなくなっており、最初の買い注文を入れようとは、誰も望まないからだ。取引再開までには何日もかかり、それまでの間、金融システムが麻痺状態になって、経済が大打撃を受ける。証券取引所の幹部に取引停止を止めさせようにも、FRBにできることはあまりない。だが、市場の動きに救われることになった。その一時間の間に十分な買い手があらわれて、ニューヨーク証券取引所は計画を棚上げする決定を下したのである。
 (略)とくにつらかったのは、昔からの知り合いの金融家や銀行家と話したときだ。みな、アメリカ各地の大手金融機関の経営幹部なのだが、恐怖で声が震えている。長いキャリアのなかで富を築き、社会的な地位を獲得してきた人たちが、奈落の底をみて、すくんでいるのだ。
(略)
水曜日の朝、ゴールドマン・サックスはシカゴのコンチネンタル・イリノイ銀行に七億ドルを支払う予定になっていた。だが当初、他の取引先から予定されていた入金を確認するまで、支払いを延ばしていた。その後に考えなおして支払いを実行したが、ここまでの額の支払いが滞っていれば、市場全体に債務不履行の連鎖反応が広まっていただろう。後にゴールドマン・サックスの経営幹部が打ち明けてくれたが、その後の数週間に資金繰りが苦しくなると予想していれば、この支払いは行わなかっただろうという。そして、将来に同じような危機が起こったとき、入金のないまま支払いを行うのはためらうのではないかと語る。

市場経済移行の実験場

市場経済から中央計画経済への移行については、多数の事例を観察してきた。(略)[ベルリンの壁崩壊まで]自由市場に必要な制度的基礎について考えていた経済学者はめったにいなかった。そして思わぬ展開から、旧ソ連市場経済への移行の実験を行うことになったのである。(略)
 中央計画経済が崩壊したとき、資本主義が自然に確立されるわけではない。この点で、保守的な政治家の多くが語っていたバラ色の夢は間違っていた。自由市場には、文化や制度の面で膨大な基礎があり、それが長い年月をかけて発展してきている。法律、慣習、行動、専門職、慣行などであり、いずれも中央計画経済には不必要なものである。
 ロシアは一夜にして経済体制を転換する必要に迫られて、自由市場制度ではなく、闇市場の制度を築く結果になった。(略)契約法も破産法もない。紛争が起こったときに裁判所に訴えて解決を求めることができない。自由市場経済の要である財産権が、闇市場経済には欠けているのだ。
 このため闇市場では、法律に基づく取引が社会にもたらす利点はほとんど得られない。政府が財産権を保護することが分かれば、国民はリスクをとろうとする。この姿勢が、富の創出と経済の成長には不可欠である。自分の資本でリスクをとった成果が、政府やギャングにいつ強奪されるか分からないのであれば、リスクをとろうとする人はまずいない。

クリントンとの初会談

純粋に知的な能力という点でみてあきらかに、クリントンニクソン元大統領に匹敵する(ニクソンには明白な欠点があったが、以前に会った大統領のなかではとりわけ優秀であった)。そして、クリントンは経済の動きについて、政府がとるべき経済政策について、わたしと同じ意見をもっているか、そうでなければ、いままで出会ったことがないほど相手に合わせるのがうまい政治家なのか、どちらかなのだろう。

レーガンの残した巨額財政赤字

クリントンがたいていの政治家とは違って、現実をごまかそうとしない点に感心した。(略)
財政赤字削減を進める決定をくだしたのは、政治的に勇気ある行動であった。逆の方向をとる方がはるかに楽だったのだ。一年や二年、三年たっても、これがいかに勇気ある行動だったかに気づく人はそう多くないはずだ。
(略)
興味深い点だが、当初の世論の反応はよかった。世論調査によれば、財政を立て直すために犠牲を払うという考え方を、意外なことに国民は受け入れたのである。
 (略)議会では逆に、大半の議員に嫌われた。(略)大統領は議会の抵抗の激しさに衝撃を受けたと思う。共和党は予算案を頭から拒否し、民主党議員の多くも反対にまわって、論争が晩春まで統いた。(略)
 クリントン大統領には、その年の秋の動きでも感銘を受けている。北米自由貿易協定(NAFTA)の批准のために戦ったからだ。(略)
長期的な経済成長を重視する姿勢を決して崩さなかったのが、クリントン政権の特徴であった。

金融引き締めのタイミング

フェデラル・ファンド金利の誘導目標は六パーセントになった。利上げをはじめて一年たっていないが、その間に政策金利を二倍に引き上げたことになる。FOMCの委員はみな、リスクを認識していた。ネジを一回転、締めすぎたのではないだろうか。逆に、締め方が足りないのではないだろうか。われわれは濃霧のなか、手さぐり状態で進んでいた。FOMCがいつも念頭においていることだが、金融引き締めサイクルでは、利上げを打ち止めにする時期が早すぎると、インフレ圧力が再燃し、簡単には抑え込めなくなる。このためFOMCはいつも、これ以上の利上げが不要である可能性を十分に認めていても、万一を考えて政策金利をあと一回引き上げておこうと考える。金融政策で利上げという抗生物質の投与を止める時期が早すぎると、インフレという感染症がぶりかえすリスクがあるのだ。

なぜ財政黒字でも困るか

いうまでもなく、債務負担がなくなるのはアメリカにとって素晴らしいことだが、同時にFRBにとっては大きなジレンマになる。FRBが金融政策の主な手段にしているのは、アメリカ国債、つまりアメリカ政府の借金証文の売りと買いである。政府債務が返済されていけば、アメリカ国債は残り少なくなり、FRBは金融政策の実行にあたって新たな資産を使わなければならなくなる。(略)アメリカ国債以外に売買が可能な資産があるかどうか検討(略)
よいニュースは、政府債務がなくなっても、FRBの仕事がなくなるわけではないということであった。悪いニュースは、規模、流動性、安全性の面でアメリカ国債市場に匹敵する市場はないというものであった。報告書は結論として、金融政策の実行のために、FRBは地方債、外国政府債、モーゲージ証券、入札割引窓口証券などの債務証券で構成される複雑なポートフォリオの管理方法を学ばなければならなくなるだろうと論じている。
(略)
二年に一兆ドルを超えるペースで黒字が蓄積していく。
 この見通しには、困惑を感じていた。五千億ドルというのは想像もできないほどの金額だ。アメリカの年金基金でいえば、上位五基金の総資産の合計に匹敵する金額であり、しかもこれが毎年、蓄積していくというのだ。財務省はこれだけの資金をどうするのか。どこに投資するのか。
 これだけの資金を吸収できるほどの規模がある民間市場は、アメリカと外国の株式市場、債券市場、不動産市場しかない。アメリカ政府高官が世界最大の投資家になる図を想像してみた。この見通しは過去にもぶつかったことがあり、そのときに検討した結果、まったく恐ろしいアイデアだという結論になった。二年前の1999年、クリントン大統領が七千億ドルの社会保障基金を株式市場に投資するよう提案した。投資の判断に政治が介入するのを防ぐために、民間機関が基金の運用を監督する仕組みを作ると述べた。しかし、政府がここまで巨額の資金を運用していれば、ニクソンやジョンソンのような人物が大統領になったときに不正が起こると容易に想像できた。(略)
財政黒字の継続は財政赤字の継続とあまり変わらないほど、経済の安定性を損なう要因になりうるのである。