高橋源一郎鼎談-赤いラノベの東MAX

新潮の鼎談東MAXはああもすかしているのか「純文学とはちがうのだよ」と赤いラノベに乗っているのかがよくわからない(まあろくに読んだ事がないのだからわからないもなにもないが)。

上記を図書館でチラ見したところ、「データベース」と「反復」というのが自慢らしい。「反復」はともかく「データベース」はそんなに新しいことなのか。ポモから脳軟化とバカにされている吉本隆明を引用してみる。
古典 (吉本隆明全集撰)

古典 (吉本隆明全集撰)

1971年に出版された文章DEATH。

〈物〉が〈共同〉の象徴としてとらえられていればいるほど、〈心〉を叙することとつながりはないというように、発生期の〈和歌〉の形式は存在している。その理由はおそらく単純である。〈心〉は詠んだひとのものだが、このばあいの〈景物〉は〈共同〉の観念の表象であるから、その意味では、詩の意識が景物の〈共同性〉につながりようがないからである。〈畝火山〉も〈埴生坂〉も〈足柄の箱根〉も〈日下江〉も、固有名詞に名指されている山や坂や入江そのものではなく、〈雲〉とか〈かぎろひ〉とか〈和草〉とか〈花蓮〉とかにたどりつくための〈共同〉の表象である。だから当然〈畝火山〉や〈埴生坂〉や〈足柄の箱根〉や〈日下江〉は、ただそう詠まれただけで、多数の人間に共通の関心をよびおこすものでなければならない。
(略)
その地名を詠んだだけで、いまではわからなくなっているある〈共同〉性をよびおこすものとされなければならない。

〈和歌〉形式が発生の当初にもっていた生々しさや鮮烈さを喪ってまでも、〈象徴〉の地平を、いわば第二の自然、つまり〈物〉として見出さざるをえなくなった必然にも、それなりの詩的な意味がなければならないはずである。たぶん、このあたりに『古今集』のもつ詩的な特質があったとおもわれる。

この変容はかな文字の成立による表現の自在さにたくさんの側面を負っているだろう。これはきわまるところ、平俗な言葉の導入にまで、どうしても走らざるを得なかったものである。それとともに〈景物〉の描写は、詠むものの眼によって切断されるまでになった。〈和歌〉形式の独自な存在理由は、このあたりで危うくなる徴候をしめしはじめたといってよい。定家はこの必然をよく理解していたようで、もはや『万葉』はかえらないことを感じ、なまなかのものは『万葉』を学ぶというようなことをかんがえないほうがよいとおしえたのである。
『後拾遺集』は俗語の自在な導入という意味で、〈和歌〉の世界をとうとうもってゆくべき最終のところまでもっていった。これは〈景物〉からいっさいの伝承性をうばいさるものであった。

 いうも愚かなことだが、かれらは、現在のわたしたちとおなじように、梅の香をかぐこともできたし、入江の浅地にそろそろ緑をだしはじめた芦の様子を、いつでも、すぐに眼にみることができた。あるいは、現在よりももっとひんぱんにみることができた。だから、そういう体験だけからいえば、わたしたちがその〈景物〉を陳腐であると感ずるのとおなじように、陳腐であると感じてよいはずである。あるいは実際に陳腐であるとおもったかもしれない。しかし、〈和歌〉形式のなかに、その陳腐な〈景物〉を導入することは、まったく陳腐とは別のことである。わたしたちには現在まったくわからなくなっているが、かれらにとっては〈和歌〉がこういう陳腐な〈景物〉を収容できることを発見したとき、どんなに驚異を感じたか、はかりしれなかったのである。

初期歌謡論 (ちくま学芸文庫)

初期歌謡論 (ちくま学芸文庫)

1975年頃書かれた文章DEATH。

  夏衣うたしめ山の郭公今は來とよめ立ち歸りなけ
(略)
 歌の初原の形がもうすこし保たれていたら「立ち帰りなけ」(略)のような、イメージがおおきな対象から小さな対象へ縮まってゆく詠み方はされない。(略)もはや歌が、自然と心情の交歓と解放であるようには詠みえない契機がやってきている。〈しめ山のほととぎすよ、もう夏衣を着るころになったのだからやってきて騒げ、帰ってきてなけ〉とよびかけるとき〈それはやってきて鳴いてくれないだろう〉という喪失感が秘されているのだ。

  今さらに山へかへるな郭公こゑのかぎりはわがやどになけ
  郭公そのかみ山のたび枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ
(略)
「今さらに山へかへるな郭公」のほうは本歌にくらべてなにがちがうのか。この作者は「今は来とよめ立ち帰りなけ」を、言葉の粗々しさにひかれて本歌にとったか、発想をかりたのだが、じつは本歌が喪失感の表現であるとはうけとらなかったのである。それで〈寂しいから山へかえらずにわたしの住家で鳴け〉とうたうことで、じつは空無を表現することになっている。「山へかへるな」とうたっているとき、郭公がいまここにいることが前提になっている。だが作者は、それを視ているのでもなければ声をきいているのでもなく、そういう概念があるだけだから、空無を表象するものとならざるをえない。
(略)
 「郭公そのかみやまのたび枕」は
(略)
〈ほととぎすがむかし神山への旅のそらで鳴いていた。そのときわたしは定かでないひととほのかな声でなにか語りあっていた。それは忘れられない〉という意味を連想させるところに、この歌の〈心〉があるようにみえる。ここまでくればもはや本歌の「今は来とよめ立ち帰りなけ」が終ったところから、虚構と想起をまじえてはじまっているというほかない。ほととぎすをみたかきいたかは問題ではなくなり「ほのかたらひ」の追憶があらたに虚構の質としてたいせつなものとされる。

新古今集』をけんらん豪華な〈和歌〉の世界などという歌人の見解はたわ言にしか すぎまい。それよりも俗謡、歌曲のような大衆今様の世界に滲透されて解体寸前といってよかった。歌人たちは主題を純化して、かろうじて〈和歌〉の世界を支えていたのである。ここに『新古今集』が〈古今的なもの〉が終ったところから、あらたな虚構の世界を築いた意味があった。山と里を虚構の世界で行き来していた「郭公」は、『新古今』のこの歌まできて、〈時間〉のなかに姿を消してゆく。

どこが「データベース」とつながるのだというヤングは「オメエはそれでいいや」と片付けて明日につづく。