江戸時代、拷問は不名誉だった

チラ見したら北町奉行与力から聞いた江戸時代に拷問は横行していなかったという話があったので借りてみた(元警官が拷問横行してましたとは言わないだろうという意見もありましょうが)。

岡本綺堂随筆集 (岩波文庫)

岡本綺堂随筆集 (岩波文庫)

 

拷問は不名誉

罪人を拷問して自白させるというのは吟味方の名誉でない。口頭の吟味で罪人を屈伏させる力がないので、よんどころなく拷問を加えて、無理強いに屈伏させたということになっては、自分たちの信用にも関するので、奉行所ではなるべく拷問を避けることになっている。芝居や講談にはややもすると拷問の場が出るが、諸大名の領地は知らず、江戸の奉行所では前にいったような事情で甚だしく拷問を嫌うことになっている。あの町奉行は在職何年のあいだに何回の拷問を行ったといわれると、その回数が多ければ多いほど、彼の面目を傷けることにもなるので、よくよくの場合でなければ拷問を行わないことにしているのである

↓うーむ、これだと件の与力は何を指して拷問と言っていたのかわからなくなる。

普通に行われたのは笞打と石抱きとの二種で、他の海老責と釣し責とは容易に行わないことになっていた。(略)世間では普通に拷問と呼んでいるが、奉行所の正しい記録によると、笞打、石抱き、海老責の三種を責問、または牢問いと云い、釣し責だけを拷問というのである。しかし世間の人ばかりでなく、奉札所関係の役人たちでも正式の記録を作製する場合は格別、平常はやはり世間並にすべて拷問と称していたらしい。

↓なんかこれもかなりムチャな論理

 元来、徳川時代の拷問はいかなる罪人に対しても行うことを許されていない。それは死罪以上に相当すると認められた罪人にのみ限られている。即ち所詮は殺すべき罪人に対してのみ拷問を行うことを許されているのであるから、拷問の際にあやまって責め殺しても差支えないことになっているが、その罪状の決定しないうちに本人を殺してしまうことは努めて避けなければならない。(略)
更に未決のうちに責め殺してしまったとあっては、いよいよ彼らの不名誉をかさねる道理であるから、かれらは一面に惨酷の拷問を加えていながらに、一面には罪人を殺すまいと思っている。その呼吸を呑み込んでいる罪人は、自分の体力の湛え得るかぎりはあくまでもその苦痛を忍んで強情を張り通そうとするのである。吉五郎もその一人であった。

拷問に耐え抜く吉五郎は牢内のヒーロー

さてこの吉五郎、笞打と石抱きを四回まで耐え抜くも五回目で自白。しかし病気届けが出て仕置きは延長。ところが全快したら「去年の申口をかえて、更に再吟味をねがい出」。「本人が押して再吟味を願い立てる以上、無理押し付けにそれを処分することも出来ないので」再吟味に。

 かれはすぐに第二回の拷問を繰返すことになって、笞打のほかに石八枚を抱かされた。強情に彼はこれまでの経験があるので、七枚までは眼をとじて堪えていた。大抵のものは五枚以上積めば気をうしなうのである。七枚のうえに更に一枚を積まれたときに、吉五郎もさすがに顔の色が変って来て、総身の肌がことごとく青くなった。こうして一時(今の二時間)あまりもそのままにしておかれるうちに、かれは眠ったようにうっとりとなってしまったので、その日の拷問はそれで終った。(略)
[別の日]石がだんだんに積まれて八枚になった時に、かれは気をうしなったようにみえたので、役人は注意してその顔色をうかがっていると、彼は眼を細くあけて役人の方をそっと見た。かれは仮死を粧って拷問を中止させようとする横着物であることを役人たちはちらと看破して、決してその拷問をゆるめはしなかった。

拷問に耐え抜く吉五郎は牢内のヒーローとなり、拷問から戻ってくれば総掛りで介抱、拷問に向かう時には声援が送られる。遂に拷問18回の伝馬町新記録を樹立。「石川五右衛門の再来と牢内の人気を一身にあつめた」。牢名主の声掛りで特別待遇、三日に一度は鰻飯で壮健肥満に。さらに海老責・釣し責を耐え抜き記録は26回に。埒が明かぬと奉行所は最終決断。自白なしで判決を下す察斗詰(さとづめ)に。これは奉行の独断では不可能で老中の許可が必要。

 江戸の町奉行所で察斗詰の例は極めて稀であった。士分の者にはその例がない、町人でも享保以後わずかに二人に過ぎないという。そういう稀有の例であるから、老中の方でも最初は容易に許可しそうにも見えなかったが、再三評議の末にいよいよそれを許可することになった。

死刑執行の日、贈られた晴衣を身につけた吉五郎に「見送る囚人一同は、日本一、親玉、石川五右衛門と、あらゆる讃美の声々をそのうしろから浴せかけた。」

満州従軍とあるのは日露戦争従軍記者として渡満した時のこと)

 用があって兜町の紅葉屋へ行く。株式仲買店である。午前十時頃、店は掻き廻されるような騒ぎで、そこらに群がる男女の店員は一分間も静坐してはいられない。(略)
洋服姿の男がふらりと入って来て「郵船は……」と訊くと、店員は指三本と五本を出して見せる。男は「八五だね」とうなずいてまた飄然と出てゆく。(略)
若い男が入って来て、「例のは九円には売れまいか」というと、店員は「どうしてどうして」と頭を掉って、指を三本出す。男は「八なら此方で買わあ、一万でも二万でも……」と笑いながら出て行く。
(略)
 私は椅子に腰をかけて、ただ茫然と眺めている中に、満洲従軍当時のありさまをふと思い泛んだ。戦場の混雑は勿論これ以上である。が、その混雑の間にも軍隊には一定の規律がある。人は総て死を期している。随って混雑極まる乱軍の中にも、一種冷静の気を見出すことが能る。しかもここの町に奔走している人には、一定の規律がない、各個人の自由行動である。人は総て死を期していない、寧ろ生きんがために焦っているのである。随って動揺また動揺、何ら冷静の気を見出すことは能ない。(略)

他にやることがあるので、残り少しだが明日につづく。