18世紀の永久著作権闘争

寡占高価格を維持するロンドンで「アン法」の定めた期限が切れた本を低価格で販売したエジンバラの本屋が盗人よばわりされて訴えられた。

文学の所有権は想像の産物

順序は飛ぶが、とりあえず被告側弁護人サーローの主張が爽快なので長文引用。

 書店主のひとたちはね、みなさん、ごく最近まで著者などというものに関心はなかったのですよ。立法府に請願するために、著者を使ったのです。自分たちの所有権を確かなものにするためにね。そうでなければ、自分だけがコピーを作れるのは、それが慣習法だからと主張するために、あとになって著者を担ぎ出したのです。(略)
特定の誰かだけがコピーを作れるなどというのは、印刷術ができるまえも、できてからずっとあとも、なかったのですよ。著者が自分の作品の印刷に文句をいうのは、所有権を侵害されたということではなくて、誤植があるときだけだったのです。
 文学の所有権などというものは、想像の産物ですよ。そういうものがあることにしておけば利益になるとわかったときに、書店主らの頭のなかに入ってきたのです。著者のほうは、作品に所有権があるなんて、少しも思っていません。(略)
 文学の所有権というものは、無知な書店主らによるスキャンダラスな独占を招きますよ。ほかのひとの才能のおかげで書店主は肥え、抑圧することで書店主は豊かになっています。

ペローの弁論

 著者はたしかに彼の原稿の権利をもっています。でも出版されてしまえば、誰でもその本を印刷できるでしょう。かつては、一度出版した本の印刷に、著者が排他的な権利を主張することはありませんでした。(略)
 機械の発明者は、著者のように、彼のアイデアを公衆のものにしたのです。発明者が彼の機械を売ったのに、買ったひとにはそのモデルにつづくものを作る権利がないとは、聞いたことがありません。機械発明品を作る排他的な権利は、独占禁止法で奪われています。
 本が出版され売られるときに、著者と購入者のあいだに暗黙の契約があるという議論は成り立ちません。購入者は紙と印刷という物質的な面を買い、そしてそのアイデアを使うという非物質的な面も買ったのです。第三者が本を印刷すると、著者は損害を受けますが、傷つくことではありません。
 「アン法」は、著者や書店主がもっていた権利に保証を与えたものに過ぎません。コピーの所有者に14年間の権利を与え、その期間が終われば権利は著者に戻り、さらに14年間つづきます。

「永久コピーライト」を粉砕したカムデン卿

のながーい歴史的演説をはげしく抜粋

印刷術が最初に発明されたあと、その技術はおよそ50年間、自由でした。(略)
 ところが、その技術の政治的・宗教的な効果がわかるとすぐに、ヨーロッパの国王たちはそれを奪い、自分たちのものにしました。イングランドでは、何を印刷するかのライセンシングの権利と、印刷の独占権を国王がもちました。
(略)
彼はその権利を特許という形にしました。彼の独占をより強めるために印刷業者を結びつけ、組合を作りました。その組合の決まりでは、組合員でない者は本を印刷してはならなかったのです。
(略)
 彼らは占有、没収、投獄などの権力を当たり前のように思い、星室庁の判決が彼らのやり方を追認しました。これらのことは、わたしが思うに、慣習法とは何の関係もありません。それが慣習法だというならば、組合と関係のない著者はどこで彼の作品を印刷し、権利を主張すればよいのでしょうか?
(略)
この所有権は、遺贈でき、移転でき、譲渡できるものなのでしょうか? 出版されたとき、本を買ったひとはそれを友人に貸すことができるのでしょうか? 彼は、貸出図書館がしているように、それを貸すことができるのでしょうか? 彼はこの国で行われているように、その本を文芸クラブの共有物にすることができるのでしょうか? 慈善のために写本を作るのはどうでしょうか? それでは、作品のどの部分が、この気まぐれな権利主張を逃れるのでしょうか?
(略)
 もしこの世界に人類に共有されるべきものがあるとすれば、科学と学問こそが公共のものです。それらは空気や水のように自由で、普遍的であるべきです。
(略)
 いま争われている永久性は、忌まわしく利己的なものです。それは最大限、反対されるに値し、我慢ならないものです。知識と科学は、このような蜘蛛の巣の鎖に閉じこめられるものではありません。

こうして訴えられたドナルドソンは無罪となり「文学の所有権」は「永久」ではなく28年で切れることになった。海賊出版は認められたが、判決後も大書店主たちは永久コピーライト体制を維持していたようである。

  • ここから本の冒頭に戻って

18世紀イギリスの大書店主は、

本の企画・製作・印刷・流通・販売のすべてにかかわっていた。だから当時の書店のことを、町に店をかまえる本屋のイメージだけでみてはいけない。そのころの書店主は、出版文化の総合プロデューサーだった。

エジンバラの書店

 話は横道にそれるが、エジンバラの書店は大学の講義チケットも売っていた。学生は授業の最初の日に教授に報酬をわたすか、あるいは書店で講義チケットを買う必要があった。教授には講義に集まる学生数に応じた収入があり、また書店から大学教授に授業料が流れる仕組みがあったのだ。18世紀エジンバラの書店がもっていた役割は、じつに多様だった。

大書店主サイドは「永久コピーライト」の根拠にロックの自然権を用いた。だがロックは手紙で彼等をこう批判していた

彼らがここで現在出版している以上のより良い正確な版や、新しい注釈のついた版を、彼らと示談交渉することなしに輸入することを許そうとしません。それ故、これらの最も有用な書物がひどく高価にしか学者の手にはいらず、そして独占による利益が無知で怠惰な書籍業者たちの手に渡っているのです。

 書店主が本の内容の所有権を握っていることを、ロックは怒っている。人間には生まれたときから自然権という権利があると、ロックは主張した。大書店主たちはこの自然権を使って、文学の所有権は人間が生まれながらにしてもっている自然権だといわんばかりの主張をした。
 ところがロック自身は、著者の権利は自然権ではなく、法律で作られた財産権だと考えていたようだ。

独占の名目

 書店主組合は、政府の検閲の下請けをするために独占を許されていた。ところが、17世紀末になると、書店主組合から検閲の機能が奪われ、彼らは自分たちの独占を正当化する、別の大義を打ち立てる必要に迫られた。
 そこで書店主組合が持ち出してきたのが、「学問の振興」という名目だった。「学問の振興」のためには、本の著者に利益が与えられなければならない。「海賊版」がはびこると権利者の取り分が減り、著者の意欲が失われてしまう。(略)これはいまでもさかんに使われているいい方だが、17世紀末にできた論法だ。

もう少しで終わるが明日につづく。

  • w誤植

P215 小泉潤一郎が「知財立国」を
がむばれ、みすず書房
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